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こでまりさん

こでまりさんは、いつも土曜の夜8時に牛頭町の家へとやってくる。丁度、いかりや長介が「8時だよ、全員集合!』と元気に叫ぶ顔がTV画面にズーム
アップされる頃だ。
ガラガラガラと玄関の戸が開く音がして、
「こんばんは~」というこでまりさんの声に「どうぞあがってちょうだい~」とおばあちゃんが受け玄関へと向かう。

夕飯を終え、TVを囲んでいる牛頭町のメンバー(おじいちゃんや私や弟、時にはぶうわやこうたろうおじちゃんがいたりすることもある)が『8時だよ~』を見ているその横を『どうも、どうも』と会釈しながら、こでまりさんは静かに通り抜けお風呂場へ向かう。

その途中おじいちゃんが「ようお越し。今日も熱おすなぁ、ゆっくり入ってちょうだい」とか、母やおばあちゃんが「そのまま通ってちょうだい」とかこうたろうおじちゃんが「こんばんは!どうも!」と声をかけたりしていた。

こでまりさんは、牛頭町の裏の長屋に住んでいて、おばあちゃんと大の仲良しだった。

こでまりさんの娘さんは既に結婚し別で暮らしていたので、こでまりさんは一人暮らし。娘さんもとても優しい人で、よく自転車でこでまりさんの様子を見に来ていた。

長屋はお風呂がなく、商店街にある銭湯へ行くのが通例だが、おばあちゃんがすぐ裏なのだからと入ってもらっていたようだ。
こでまりさんは、お風呂からあがると、
『どうもどうも』と今度は逆に来た道を通り玄関へと向かう。そこで、夏などは、おばあちゃんが、「ちょっと麦茶でも飲んで涼んでいって頂戴~」と台所から声をかけ「どうぞお構いなく」とこでまりさんが静かに答え、
すぐさまおばあちゃんが小さい応接セットの置いてある玄関横の客間に、グラスに氷と、冷えた麦茶をもってきて一緒に座る。
一服しているこでまりさんをおばあちゃんが団扇で軽くあおいだり、そのあおいでいた団扇をこでまりさんに渡したりして、客間と居間の間のガラス戸を閉めて、おばあちゃんとこでまりさんは20分程い
つも楽しそうに話をする。私はその様子を見るのが好きだった。

こでまりさんは竹の茶托をテーブルに残し、グラスをそっと右手で取って、左手で受け、少しずつ麦茶を口にする。その所作は見ていて子供ながらにとても美しいと感じるものだった。

こでまりさんは人の悪口や噂話をせず、おばあちゃんといつも楽しそうに話す。温和で、穏やかで、凛としたたたずまいで、私はこでまりさんが大好きだった。
私は小さいころから、週末はいつも牛頭町にいたので、そんな私を、生まれた時から、高野家の家族とともに、こでまりさんも可愛がってくれた。

おばあちゃんの手につかまり立ちしながら、牛頭町の玄関先で遊んでいると、ちょうど長屋につながる横の通路からこでまりさんが買い物籠さげ出てくる。

「あら~こんにちはお出かけですか?」とおばあちゃんが声をかけ、「ちょっとお豆腐きらしてるから、買いに行ってこようと思って。あら、はな子ちゃん、何してあそんでるの?」とこでまりさんはいつもかがみこみ、私と目線の高さを同じにして話か
けてくれた。

私が歩けるようになると、牛頭町の玄関前でおばあちゃんやぶうわが私を遊ばせていると、そこへ商店街に買い物に行くこでまりさんがいつものように通路から出てくる。

おばあちゃんとぶうわは「こんにちは。買い物ですか?気いつけて」と挨拶をするのだが、
私はこでまりさんを見ると、一緒に買い物に行きたくなって、「こでまりさんと行く」と言いだす。

おばあちゃんもぶうわも、私が厄介なことがわかっているので、それを阻止しようと、宥めたり透かしたりするのだが、私は頑として譲らない。

こでまりさんはその様子に、やれやれという風であったと思うのだが、「はな子ちゃん、今日は何も買わないよ。いい?わかった?」と私に念を押した。
私は「うん!」と首を大きく傾げてうなずいて見せる。おばあちゃんとぶうわも「はな子、ほんとにわかってる?買わないよ。何も買わないよ」
と何度も言うので、私はまた「うん」と益々大きく首を傾げてうなずいた。

「それじゃ行こうか」とこでまりさんが手を引いてくれるやいなや、逆にこでまりさんの手をグイグイ引いて商店街へ。闇市の通りを抜け、商店街に入るやいなや、あちらの店、こちらの店と、こでまりさんを引っ張っていった。
こでまりさんは困り果て、結局いつも何かしら買ってくれていたように思う。
こでまりさんの横で、洋菓子屋さんのショーケースに並ぶシュークリームやショートケーキを見ていた場面をよく思い出す。

ある日、いつものように牛頭町に居た私は、ふと思い立ち、「こでまりさんのところに行く」と言い出す。
おばあちゃんは「え?こでまりんさんとこ?何しに行くのそんなん」とおばあちゃんにしてはかなりの塩対応で、それからしばらく、おばあちゃんと私との攻防が続く。 聞きわけのない私に半ば呆れ、おばあちゃんは「ほな行っといて。」と言う。突き放し作戦だ。おばあちゃんのその作戦は功を奏し、こでまりさんの家に行ったことがな
く、おばあちゃんが連れて行ってくれるとばかり思っていた私は気勢をそがれ、静か
になった。ここで諦めるかと思いきや、そこからが一層厄介だ。私はめそめそグズグズを開始。結局、おばあちゃんが一番不得手な強引なべそかきで勝利を勝ち取った私は、おばあちゃんに手を引いてもらい、こでまりさんの家に出かける。

牛頭町の玄関の横にある細い通路を入っていくと、通路突き当りがS字クランクになっていて、抜けると一変、重なり合う屋根の間から、キラキラ眩しい太陽が輝き、3軒続く長屋の玄関前の物干し竿にはそれぞれに洗濯物がかかっていて、日に照らされ、気持ちよさそうに風に揺れていた。
こでまりさんの家は一番奥で、玄関の前には鉢植えが置いてあった。
おばあちゃんはこでまりさん宅の玄関前まで行くと、つないでいる私の手を揺する。
「さぁ、こんにちは、言い」
内弁慶の私は途端に恥ずかしくなって、おばあちゃんの横でモジモジしだし、おばあちゃんは次に私の背を押し、こでまりさんの家の玄関を私に開けさせようとするのだが、私は、私を押し出そうとするおばあちゃんの後ろ側にまわろうと、必死になった。
またもやおばあちゃんが「もう、ほんまにこの子は」と半ば呆れ「こんにちは~」と玄関の戸を開けた。すると中からは「は~い」とこでまりさんの声がした。

おばあちゃんの後ろからそっとこでまりさんのお家を覗くと、そこは土間になっていて、玄関を入って右手に高い上がり框があった。部屋の中は余分なものはひとつも無く、スッキリとしていた。こでまりさんは出てくると上り框に美しく正座をした。私
は会いたかったこでまりさんが出てきたので、また恥ずかしくなりおばあちゃんの後ろに隠れた。

こでまりさんが、「あら、どうしたん」とおばあちゃんに言い、おばあちゃんは事のあらましをこでまりさんへ伝えている。最後に「この子がこでまりさんとこ行きたいって聞けへんもんやから…」と申し訳なさそうに行った。それを聞いたこでまりさんは笑って「あら、そう」と言って、私の方に顔をグッと近づけて「はな子ちゃん、来てくれたん?こんにちは!」と声をかけてくれる。

おばあちゃんの後ろでまだモジモジしている私の手をとって「はな子ちゃん、一緒に遊ぼうか。何して遊ぶ?」と言って私の手を引いて家に上げてくれた。おばあちゃんは「それじゃ、よろしゅうお願いしときます」と言ってそそくさと帰っていった。

おばあちゃんが行ってしまうと、こでまりさんは「さあどうぞ」と私が上がり框に上がるのを手伝ってから、パリッと糊の効いた白い座布団を出してくれ、私はそこに腰を下ろした。スッキリとした和室のその部屋は、ちゃぶ台があり、その奥には食器棚とセットになった和箪笥が置かれていた。

こでまりさんは「何してあそぼうか」としばらく考えてから、「千代紙しようか。はな子ちゃん、千代紙好き?」と言う。私は千代紙がわからず、「チヨガミって何?」と聞くと、
こでまりさんは「あら、はな子ちゃん千代紙知らない?ちょっと待ってて」といって、私が当時見たことのない綺麗な千代紙と折り紙の本を出してきてくれた。
千代紙の美しさに、私の胸は高鳴った。「オリガミ」と私が言うと、「そうそう、折り紙。」と二人で言って折り紙の本をみた。「何を折ろうかな」とこでまりさんが言う。
私は、きれいな初めて見る千代紙を指差し「これいいの?」と聞いた。
こでまりさんは「いいよ、いいよ、どれにする?はな子ちゃんの好きなの選び」と言って、私はこでまりさんが出してくれた千代紙から気に入った1枚をもらうと、ぶうわに教えてもらって作ったことのある、風船を折り始めた。私が風船を歪みを気にせず時間をかけて折っり始めた。
しばらくして「はい、はな子ちゃん」と言うこでま
りさんの声に、パッと顔をあげると、こでまりさんの手の中には、美しい千代紙の花が咲いていた。

「わぁ~~~」その千代紙の花は、とても美してくて私は思わず声をあげた。すごく素敵だった。今思うと、それはアヤメを折ってくれたように思う。

そこからは、自分の風船はどうでも良くなり、こでまりさんに折って折ってとせがみ、こでまりさんの横で、その様子をじっと見つめていた。
こでまりさんは、私が知っている一羽の鶴ではなく、一羽の鶴に、小さい鶴が4方についている鶴や宝船など折ってくれ、それらはどれも見事で、美しく、心奪われた。
それからこでまりさんは、私が見てるだけではつまらないだろうと思ったのか、千代紙でだまし船を作ってくれた。船の帆先を持たせて私に目を閉じるように言って、目を開けるとあら不思議!をやってくれたのだ。

私はそれがとても面白くて楽しくて、その日からしばらくは、こでまりさんに教えてもらっただまし船を折りまくり、牛頭町のおじいちゃん、おばあちゃんを筆頭に、会う人会う人に、何度も何度も「はい、ここもって、め、つぶって、あ~らふしぎ、じゃじゃーん!めあけて」を繰り返すことになる。

こでまりさんとの楽しい静かな時間を堪能した私が帰る時には、こでまりさんはこでまりさんが折ったアヤメや宝船と一緒に、千代紙と折り紙の本もお土産に持たせてくれた。

私が大きくなり、母が牛頭町のおばあちゃんから聞いた話によると、こでまりさんは牛頭町の大きい地主さんで大店のお家の上(かみ)女中さんをしていたそうで、そこの子供たちの面倒を見ていたのだそうだ。私は女中さんにも上下(かみしも)がある
のかと驚いたが、こでまりさんの折り紙の腕前と、不必要なものが一切無いスッキリしたお家、要らぬ
ことはおしゃべりしない様子すべてに合点がいった。『やはりこでまりさんはすごい人だ。』と私は一人感じ入った。

千代紙に味をしめて、初夏のある日、こでまりさんのお家に行くと、こでまりさんの家の前にはルビー色に熟したゆすらの実がなっていた。
私は初めて見るゆすらに興味深々で、その様子を見てこでまりさんが「食べられるよ。一緒に取ろうか」と言ってくれ、台所から持ってきてくれたボールにゆすらを入れて、一緒に取らせてもらった。さくらんぼより小さい実を一つ一つ、そっとそっと取っていく。ボールいっぱい取ったらば、こでまりさんはすぐに洗って食べさせてくれた。

初めて食べたゆすらの実は、甘酸っぱくて、私はゆすらが大好きになった。食の細かった私が食べた貴重な実の一つだ。
帰りには沢山とったゆすらをお土産に持たせてくれた。

それから、季節はめぐり、私が少し大きくなって、こでまりさん家に行かなくなってからも、こでまりさんは『はな子ちゃんにあげてちょうだい』といつもゆすらの実がなると牛頭町に持ってきてくれていた。

私が高校生になった頃、こでまりさんはもう長屋から引っ越していて、結婚した娘さんのお家で暮らすようになっていた。

私が大学に入った頃、こでまりさんが亡くなったことを知った。
「こでまりさんが亡くなったって聞いて、びっくりした。入院してたならお見舞いとか、行きたかった」とおばあちゃんに言うと、「私もそうやわ」とおばあちゃんは寂しそうに言った。

牛頭町のおばあちゃんも、入院していることを知らず、亡くなってから、娘さんからの連絡で知ったそうだ。入院したことを知らせると心配をかけるだけだからとこでまりさんは言っていたそうだ。
最後に会って御礼を言いたかった。おばあちゃんと二人でこでまりさんを偲びしんみりした。

その年の瀬、牛頭町に帰省していたぶうわが、おばあちゃんと話している「そういえばおかあちゃん、こでまりさん、亡くなったんやって?やぁ~寂しなったなぁ。お世話になったわし、はな子なんかなぁ、いっつもこでまりさんに色々買わせてなぁ」と
言って笑っている。

それを見ていて、私も少し可笑しくなった。そうだ、私の大切な思い出の一つだ。



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