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【おじいちゃんと蟹】

例年、みきた市の秋祭りは宵宮と本宮があり9月に開催される。

秋祭り翌日が敬老の日となり、毎年、町の老人会総出で後片付けに追われるため、お
じいちゃんはお祭りが終わった翌日はいつも「敬老の日や言うのに、一番老人が働か
されるんやから、世話ないで」と言って目をまわしていた。

そんなお祭りが始まったのは、江戸時代。みきた城主の殿様が五穀豊穣を祈願したことが始まりとされている。
お盆を過ぎると、子供達が練習するお囃子が町中に響き、皆がお祭りの準備に追われる。
牛頭町のおばあちゃん達ホスト側も、お祭りに集まる家族やゲストのための食事や宿
泊の算段をするのにギアをあげていく。

お米に、食パン等いつもの朝食の用意はもちろん、コンニャク、ゴボ天、じゃがいも
に牛筋は関東炊き用。ボイルした蟹にお刺身、ビールにソフトドリンク、ワタリガニ用の蟹酢を作り、関東炊き用の下ごしらえに茹でたじゃがいもとたまごの殻をひたすらにむきまくる。
秋の味覚松茸も確保して準備万端だ。
濃い目の出汁で煮込んだホクホクのじゃがいもは毎年好評で、ある年は一人で30個を
食べた、と豪語する者も出た。

お祭り前のその時期、夜の町中は、取り付けられた提灯の明かりがなんとも言えず優しく光り、
吹き抜ける風は少しひんやりとして、日中の残暑を他所に、秋の気配が感じられる。

宵宮、曳き手は祭り装束に身を包み、まだ暗いうちに火打石で穢れを払い、家を後にする。
今や気候がかわってしまい、9月はまだまだ暑い夏日が続くが、私が小さい頃の曳き出しの朝は、夜明け前、外はまだ暗く、空気がピーンと張り詰めて寒いくらいだった。その空気感はお祭りが神事であることを思い出させた。
曳き手や子供達を送り出し、簡単に身なりを済ませ、母やぶうわは曳き出しを見に行くのが通例で、朝の辛い早起きもお祭りの日は事も無げにやってのけた。

お祭りへの興味が薄かった私は、母達が起き出すのを寝ぼけ眼の端に留め、牛頭町の2階、二間続きの和室に敷きつめられた夏布団の上で一人、深く大きく息を吸い込んだ。

おばあちゃんが用意してくれたタオルケットは柔らかく甘い香りがして、素足にパリッと糊の効いたシーツの質感が心地良い。
二階の大きく開け放たれた窓から、秋風に乗って祭囃子が聞こえてくる。
『あ、動き出した』そう思うか思わないかの内に、掛け布団を引き寄せ、私はまた眠りに落ちる。

それからどれくらいたったか、大きく吹き抜ける風が、太鼓と笛の音とともに、曳き手と観覧者の歓声とを一度に連れてきた。
私はグ~っと大きく伸びをして、むくりと上半身を起こした。
そんな宵宮の夜に事件は起こった。

その年も相変わらず家族の他にも沢山の来客があり、かわるがわるに牛頭町に集ってはお祭りを見にいくのだが、その年はいとこのたいがが大学の友達を数人呼んでいて、そこにはお酒が強い可愛い女子が一人含まれており、おじいちゃんは気を良くし、話もお酒も食事も弾み、ご機嫌に過ごしていた。

夜の曳航を見に来客メンバーが出払った頃、夕食の後片付けをしていた私は、おじいちゃんがいないことに気がついた。
「あれ?おじいちゃんは?どこやろ、トレイかな?」とおばあちゃんに聞くとおばあちゃんも
「トイレとちがうかな」というので、トイレを確認すると電気がついていた。私は少し安心し、ドアをノックする。「おじいちゃん、トイレ?」と声をかけた。が、返事がない。
「おじいちゃん?おじいちゃん、トイレ入ってる?」と再度ノックするも返事がない。
中の様子をうかがうと、中には人の気配がした。
「おじいちゃん入ってる?大丈夫?しんどいの?」私は少し焦っていた。
「おじいちゃんトイレにいるけど返事がない!しんどいんちゃうかな」と台所
の母に小声で伝える。おばあちゃんを不安にさせたくなかった。
母はすぐに来てトイレのドアをノックし、ドア越しに声をかける。
「お父ちゃん、しんどいの?大丈夫?」トイレに入ろうとドアを引くと鍵がかかって
いた。「お父ちゃん、トイレの鍵あけられる?鍵あけて、入るから」と、カシャっと
音がした。「開けるで」と母が言いドアを開けると、おじいちゃんはトイレの便器に
顔を突っ伏し、少しあげたその顔は蒼白だった。
「おじいちゃん!」私の頭は真っ白になった。
「お父ちゃん、どないしたん、しんどいん?気持ち悪いん?」と母は聞く。
母はすぐに、「救急車やわ」と言い、
オロオロしている私に、「はな子、おじいちゃんの背中さすっちゃって」と指示し、
母は電話を取りにいった。

私はただただオロオロし、おじいちゃんのかがんでる背中をまたぎ、背中をさすり始める。私は顔色のないおじいちゃんを見て動揺し、戻った母に、「食中毒かな。カニ食べたから」と言うと、「みんなカニ食べて何もないから食中毒ではないと思うけど
…」母はとても冷静で、私とともにおじいちゃんをトイレから抱え出しいつもの座椅子へ座らせる。

「お父ちゃん、大丈夫ですか?」おばあちゃんは静かにおじいちゃんの傍へ寄りそう。私の心配をよそに、おばあちゃんは以外に冷静で動揺しておらず「血圧かの」と血圧計を取り出していた。「おじいちゃん、大丈夫?大丈夫?しんどい?」むしろ私の方が冷静さを欠いていた『あ~おじいちゃんに何かあったらどうしよう』
『早く救急車きたらいいのに。お祭りやから入ってこれないんかな。時間かかるかな』と救急車の到着をまだかまだかと待っている。
暫くしておじいちゃんを見ると、ん?
顔色が少し戻りつつあるようだ…。
「あれ?おじいちゃん、どう?」と私が聞くと
「吐いてスッキリしたわ」とトイレから出て初めておじいちゃんが声を発した。返事がかえってきたおじいちゃんの様子に、私は正気に戻る。

「も~さっきは、えらいのなんのって、も~えらかったんや」というおじいちゃん
に、「吐いてスッキリしたんやな。」母は頷き、「たいがの友達の若い子らが来てたから、お父ちゃんよう飲んで、よう食べてたもん!」と母が付け加えた。
おばあちゃんは終始おじいちゃんの背中をさすっている。

とそこに、救急車のサイレンが聞こえてきた。私は「どうするん?救急車呼んでしまってるやん」と母に言うと、母は「もうくるわ、行くわ。おとうちゃん、救急車の人くるから、あんまり元気そうにしてたらあかんやで」と母に言われ、おじいちゃん
は神妙な様子で一つコクリとうなずいた。

救急車のサイレンの音が聞こえてきたので、母は救急隊員を迎えに出た。救急隊員から、いくつかの質問を受けている時もおじいちゃんは顔をしかめて、うなだれている。
救急隊員が二言三言、救急車へおじいちゃんを運ぶ際の手段を相談し、おじいちゃんは担架で運ばれることになった。担架に乗せるのに、救急隊員がおじいちゃんの両脇を抱えた瞬間、おじいちゃんは一気に脱力した。背の高い大柄なおじいちゃんの脱力
に救急隊員二人は一度はよろめいたが、そこはプロ。すぐに態勢を立て直し、担架に乗せ、おじいちゃんは運ばれていった。
救急車に運ばれるおじいちゃんの後を母と私でついていく。

そこに、夜店を冷やかしに出かけた弟のえいすけと、いとこのふーちゃんが帰ってきた。
ことの顛末を知らぬ二人は、おじいちゃんの様子と救急車がきている状況に気が動転し、
担架に乗せられたおじいちゃんを追いかけ、目には涙をいっぱいに溜めている。

母とおじいちゃんを乗せ、救急車は再びサイレンを鳴らして出発した。
私は『あ~大事にならないで済みそうかな』と思う反面、えいすけとふーちゃんの様子に、心がざわつき、『万が一、急変したらどうしよう』と自分の思考が、慣れ親しむ不安を呼ぶのを振り払うように『とにかく、母からの連絡を待とう』そう思いな
おした頃、お祭りのお囃子が聞こえてくる。もうすぐ宵宮が終わろうとしていた。

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