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「辞める」ことは悪いことなのか。



だらだら前置き


1年生の4月から入っていた団体を3か月後くらいに辞めることにした。

理由は、十分にバイトする時間がないほど忙しいとか、きつさが楽しさを上回ってしまったとか、よくわからない体制の中で動かないといけないことに嫌気がさしたとかいろいろある。
 
色んなことがあるけれど同期は好きだし、後輩もかわいい、先輩はすごい人ばかりで尊敬してる。企画をつくること自体は達成感もあってきついけど、終わった後のやってよかったなぁと感じる一瞬だけで、最後まで突っ走れてしまう。

私は一応、立候補でなった役職を2個、もっているので簡単に団体から距離を置いて自分の生活を守れるわけではなく、むしろここから1年がもっと忙しくなる。いままでも冗談で辞めたいと言ってたものの、2割くらいしか本気じゃなくて、本当は多分辞めたいわけではなかった。ただ、やりたいやりたくないではなく、できるできないで考えた時に、来年の秋までは続けることができないなぁと思った。


辞めることにした

うだうだ考えること大体3ヶ月。私が決断したのは、思い切りの良い母の「辞めてみれば?」という一言と、色々なことにチャレンジしていてきらきらしている友達との会話だった。大学生、やりたいこともたくさんあるし、それにはお金と時間が必要だ。そのためには責任とか考えるより自分がやりたいように生きた方がいい、というわけだ。

これを聞いて、またいろいろ考えて決断し、周りにも辞めます宣言をしたわけだが、この決断については私は全く後悔していない。

わりと周りに流されがちで、周りの人が関わると自分がどうしたいか分かってても行動できなかった今までの私を考えると、むしろ大きな進歩で、成長したのかなぁ、なんて考えている。

決断してから約1ヶ月半。相変わらず気持ちは変わらないが、決断する前も後もなにか悪いことをしている感が自分の中で拭えない。今回のことについては吹っ切れてるけれど、そもそも何かをやめることを悪いことだ、と考えてる節がある。やっと考えたくなったので、私が辞めることが悪いことだと思ってしまう理由を考えてみた。


なぜ悪いと思ってしまうのか

・自分の価値観の問題
辞めることは中途半端で、最後までやり遂げることはすごい、という思い込みがなんとなくある。
これは育った環境が理由にある気がする。高校とか中学とかの決められた3年間や6年間の間に部活という枠組みで続けていたこと以外で◯年間続けました!とかずっとやっています!とか言える何かがあまりない。その割に、小学生のころから「責任感がある」「一度決まったことを最後までやり通せる」「頼りになる」という先生、友達、通知表とかからの評価が他の要素に比べて多い。(これ全然思われてなかったらめっちゃはずかしい)そのせいか面談とか試験などの「自分の長所は?」という質問には「責任感があることです。」と答えるようになっていった気がする。長所で責任感があり最後まで物事をやり遂げられることを、周りに自己評価として語るうちに続けること=すごいことという規範のようなものか内面化していったのかもしれない。

・残った人の負担
これは上のとはまた別の問題である。今回みたいにコミュニティは好きだけれど、自分の役割や仕事がきつくて辞める場合、残された人の負担を気にしてしまう。自分がきついと思っている仕事量を他の人もきついと思っているという前提ではあるが、自分が抜けた分、1人当たりの仕事量は当然増える。自分がきつくて抜けると決めたものの、団体に残っている人が今の自分の状態よりも大変になるんじゃないか、ということへの罪悪感(自分だけ楽な方を選んでいる)がとてもある。辞める=逃げを考えてしまうのもここからだ。
周りの辞めちゃいなよ、と心配してくれる人は「その人でなきゃできないことなんてそこまでない」と言う。この考え方もとてもわかるが、やっぱり負担そのものを一緒にかかえずに放り出すことで、大変な思いをする人がいると思うとすっきりしない。今回の場合はそれを減らすために、自分ができる限りの引き継ぎ資料をつくって辞めようということで自分の中で落ち着いた。


・辞める=逃げ?、逃げ癖がつく?

よく、すぐ諦めると逃げ癖がつくという言葉を聞く。私も最初に辞めようと思った時この考えが浮かんできた。
でもよく考えると、この要素を今回の場合に当てはめるのはおかしい気がする。なぜ辞める=逃げることなのかという前提が分からない。なぜこの場合において起こったことが、状況が違う別の場合に適用されると言い切れるのかわからない。
辞めたい気持ちはあるけど団体には残る、と決めている子たちに話を聞くとどうも辞めることを逃げと捉えている節があるから、この前提は、そのコミュニティの中に入ってるか外から見てるかの立場の違いなのかもしれない。そういえば私に最初に辞めてもいいんじゃない?って言ってくれた友達は辞めることは逃げじゃなくて一区切りして新しいステップに行くことだと思うよって言ってくれたから、やっぱりその人が置かれてる立場によって変わる考えは違うのかな。   


・逃げ=悪いこと?

もう一つ上と一緒に考えたのは、逃げを悪いことだという自分の中にある前提だ。相談した友人の1人には「(やめることを逃げだと思うにしても)逃げる練習だと思えばいいんじゃない?」と言われてとてもびっくりした。仕事はやめたら確かにそれなりのリスクがあるけど、そこまで生活に支障が出ないものなのだから今のうちになにかから逃げる経験をした方が良い、ということらしい。思えば、火災や震災、津波に対しての訓練は何回も学校という場で経験した。対象が自然のものなので一緒にするのは不適かもしれないが、その割には「逃げる=正しい」の考えは学校で定着せず、むしろ逆の価値観が育った気がする。この考えが筋が通っているかは置いといて、「逃げる練習」という考えにはびっくりした。それほど逃げることが悪いことだと思い込んでいた気がする。



・逆張り精神(?)
これまで辞めたい、辞めたくないかの話ではなくできる、できないで考えないと埒があかないのはなんとなくわかっているのに、その考え方の方向にいかずにだらだら悩んでた。その理由の一つは、謎に逆張りしてしまう癖にあると思う。価値基準の問題ではなく、周りが「辞めてもいいんじゃない?」と言ってくれたり、心配してもらえたりすると「まだやれる」と反射的に思ってしまう。周りから心配してもらえたときに出てくる「まだやれる」という感情が自分の本当に思っている気持ちかと思っていた。でも、そうではなく自分が強くいたいがために反射的にでてくる逆張りなのかもしれない。



・周り(あるいは自分)への説明
今回の場合は、一応辞めるときに辞める理由を皆前で言わなければいけない(というルール?になっている。)そう決まっていない場合でも、ある行動をする時に周りに/あるいは自分にちゃんと納得させるような説明ができるかどうかを自分にとっての正しさにしている時があると思う。一貫性を求めるというか、「言葉にできない」感情とか何かを認められない傾向にあると思う。かと言ってその姿勢を良いと思ってるわけでもなく、なんでも言葉で表すとかなんでも一貫した論理を求められるのはむしろ好きではない。就活の面接とかがなんとなく嫌だったり、芸術とか言葉ではないものに憧れをもったりするのかも。



なんとなくまとめ

辞めることがどうかは人にも場合にもよるし、自分の中で、辞める=悪い/悪くないの結論を出したいわけではない。でも、こう思ってしまう要因を自分で考えられるだけ客観的になれた分進歩したのかなぁ。また自分が何か辞めたくなった時に、今日書いたnoteがヒントになれば良いと思う。




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