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自己肯定感ってなんだ!!

最近よく考えてたり友人と話したりすることを書いてみる。
とても個人的な雑記。


 
 自己肯定感、最近よく聞く言葉。ここ半年くらい、私は「自己肯定感コンテンツ」なるものをよく見たり聞いたりする。
「可愛くてごめん」は半年くらいずっと聞いていた曲だったし、Meghan Trainorの”Made you look””Me too”とか、HWASAの”l love my body ”とか。ギャルマインドのYouTuber(Kemioとか)とか、自分のことを好き!かわいい!言うYouTuber(そわんわんとかむくえなとか)もよく見る。たぶん「私もあなたも可愛くて素敵」「自分のために時間とお金を使う」「自分が自分のことを1番好きでいる」というマインドが好きで、安心するんだと思う。


 でも、自己肯定感って謎なのだ。「肯定する」って何?自己肯定でも自己肯定感情でもなく自己肯定「感」って何?
最近のよく考えることなので自己肯定感に関する??を並べて書いてみる。



「可愛くてごめん」は肯定じゃなくてポジティブ抵抗ソング?

 「可愛くてごめん」という曲に半年くらいはまっていた。理由は歌詞にあふれる「自信」とか「自己肯定感」の高さ。「私が私のことを愛して何が悪いの?」とか。
よくある好きな人のために努力して垢抜け、可愛く「なる」というシンデレラストーリー的な歌には(共感はするけど)なんか好きにはなりきれない。そういう歌で表象されている変身前の姿は大体垢抜けていなくて、主人公達はそんな自分自身を否定して変身していくから。自分が頑張るためにそういう歌を聴くときはやる気をもらえるけど「今のままの私」ではダメで常に成長を求められている社会の価値観を突きつけられている感じがする。
そういうわけで「可愛くてごめん」を自己肯定感高いソングとして聞いてたけど、ちょっと前にびっくりしたことがあった。友達としゃべっているとき、「可愛くてごめんって自己肯定感ソングなの?!ただのポジティブな子の歌だと思ってた。」と言われたのだ。

えーーーー!!!!

なんでだろう。考えてみて1つ思ったことがある。「可愛くてごめん」で気になるのは「常に何かと闘っている」イメージだ。「可愛くてごめん」って口では言ってるけど「私が私のことを愛して何が悪いの?」「(サビ部分の)〇〇でごめん」「あなたはあなたのことだけどうぞ 私に干渉しないでください」とか、「自分の味方は自分でありたい 一番大切にしてあげたい 理不全な我慢はさせたくない それが私」とか。自分で自分の価値を確立しているようで、他者からの評価を気にしている。「他者からの評価は気にしていません」の表象によって、よりこの女の子が他者からの評価を気にしていることを表しているようにも見える。他者/社会からの評価に抵抗することで自分を確立しているみたいだ。それを自己を肯定するようなポジティブな言葉を並べていることで、肯定してるように見えるのかも。

自己肯定感=否定しないこと?

 ということは自己肯定感はただポジティブなのとは少し違う気がする。
素敵なことがあったり、素敵なものを身につけたりしたときに「私はすごい」「私は素敵」と思えることは良いことだと思う。でも「可愛くてごめん」を考えてみるとそれは自己肯定感が高いというか「ポジティブ」なのかもしれない。(ポジティブも素敵だけど)つまり、「肯定」は強くしてるけど多分その裏で自己否定もしているんだと思う。そうではなくて、嫌な事があったときも、失敗したときも、体調が良くないときも、事実だけを淡々と受け止めてそれ以上自分の内面に原因を広げて否定する、ということをしないことが自己肯定感なのかもしれない。でも(マイナスな自分の状態を否定しないけど、)それは向上心がないことを表しているんじゃなくて、向上しようとする自分もあるならそれも受け入れるというか、否定しないというか。呼び名を「自己否定しない感」に変えたら受け取り方が変わるのかな。


自己肯定感≠「ここが好き」?

友達に教えてもらって本田真凜ちゃんと宇野昌磨くんの動画を見た。 

 動画の中で、友達と私がときめいたのは宇野昌磨くんが真凜ちゃんの好きなところを聞かれて「全てが好き」「ここが好き、というとそうでない自分じゃないといけないというプレッシャーを与えてしまう」と答えていたところ。ときめいたポイントは「全てが好き」ではなく「ここが好き、というとそうでない自分じゃないといけないというプレッシャーを与えてしまう」だと思う。これを聞いて、いつもなら尊い~!!!憧れる~!!!で終わるんだけど、自己肯定感に引き寄せて考えるとまた新しい見方ができる気がする。つまり、動画では「恋人」という関係にある他者のことだけど、「自分」にも置き換えられるかも、ということだ。自分にも「こういう(例えば若い、とか痩せてるとか成功しているとか?)自分が好き」を思い込みすぎると、そうでなくなったときがプレッシャーを自分に与えるというか。
他者だけじゃなくて自分にもこういう距離の取り方ができる人になりたいな…




自己肯定感≠「周りと比較しない」?

「自己肯定感をあげる」というよくある啓発本を読んじゃって「人と比較しない」みたいな言葉を見た。

えーーー!!!!そんなことできるの??

そういう人もいるかもだけど、私は比べてしまう。だから私の思う自己肯定感が周りの人と比べないことじゃなくて、比べるけど、比べるだけでストップさせるというか。比べる「→だから自分は劣ってる」という思考にならないことな気がする。


自己肯定感=孤独を一人で抱きしめられること?

 生きてれば多分誰でも感じる不安みたいなものがあると思うんです。
悩みとか嫌な出来事とかあるわけじゃなくても、なんか不安、なんか寂しい、なんか疲れたとか。そういうときに感じる寂しさは誰かといても紛らわせることは出来ても、根源的には自分で受け止めないといけないんだと思う。私はちょっと前は、一人暮らししてなかったこともあって、あんまり考えずにとりあえず誰かといようとしていた気がする。(それが悪いわけじゃないけど)自己と他者の境界線がちょっと曖昧というか。多かれ少なかれそういう性質誰にでもあるし、あっていいと思う。
でも、一人のときの独りだな~~寂しいな~~感情を自分で抱きしめられることが自分の思う自己肯定感。受け止めるだと、ひとりで抱え込むみたいになっちゃうけど、「抱きしめる」はそれも大切だと認めてあげるというか。



結局自己肯定感ってなんだ!!!

 結局一般的な自己肯定感が何かは分かりません!!こんなにかんがえたのに!!!!!でも自分の思う自己肯定感は、自分を否定しないことだし、寂しさを抱きしめられることかなぁと思う。肯定感が高いことと誰かより強くなろうとすることは違うし、高かったら一人で生きていけるわけでもないから、誰かと生きるうえで(友達でも恋人でも家族でも)、自分も相手も大切にするという意味で必要で、憧れることだなぁと思う。


そういえば

後期の教育学部の参加させてもらっているゼミのテーマが「承認」に決まった。自己肯定感と関わるかもしれないなぁ。





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