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自分を解放する感覚

昨日、Lucky Kilimanjaro というバンドのライブに行ってきた。
彼らの作る曲はダンスミュージックというジャンルに属するらしく、まさしく、彼らの曲を聴いていると心が躍りだす。
歌詞も好きだ。
ボーカルさんのまっすぐな言葉を聞くと、そっと背中を押されるような感覚になる。
今この文を書きながら、彼らの公式Youtubeに上がっていたライブ映像を見ていたのだが、その動画に集まったコメントひとつひとつに共感してしまう。

「ファンが恥ずかしがることなく自分のリズムで踊れているライブが好き」

わかる。心の底からリズムに乗って踊る感覚。
自分を押さえつけてはいけない、自由に自分を解放する感覚。
本当に不思議な経験で、刺激的だった。

「ライブから帰るときの、身体全体に満ちる情熱。この時間すべてが応援歌だった。」
まさに。彼らの音楽を全身に浴びて、受けたエネルギーがとんでもなかった。ライブ自体全然行ったことがない人間だったので、本当に感動した。

ライブの序盤の方は、音楽に合わせて体を揺らしたり、腕を高く上げて降ったりするのが少し恥ずかしかった。
だいぶ後ろの方で見ていたというのもあり、周りの人も控えめに見ている人が多かったように感じる。
しかし、徐々に気づき始める。前で思いっきり腕をあげたり、跳び跳ねたり、リズムに乗っている人を羨ましがっている自分に。
そして、自分がどんなにリズムに乗るのが下手だろうが、動きが不自然だろうが、周りの人はそれを気にも留めないということに。

私は肩の可動域を明らかに狭めていたコートを脱いで、丸めて足元に置き、思いっきり手を挙げてみた。頭を揺らしてリズムに乗ったり、ドラムに合わせて力強く手を叩いた。
何も考えず、大音量の音楽に身をまかせ、体を踊らす。初めての体験だったが、とても気持ちが良かった。とても自然な気持ちになった。
ライブの最中、リズムに乗りながら、自分は海をたなびく海藻で、ここにいる人みんなで水流に乗って揺れているような感覚になった。
今思うと変な例えだが、確かな一体感を体感した。
みんな自由に、それぞれの体の動かし方で踊っているはずなのに、一人だけどひとりじゃない気がした。とても不思議な体験だったと今振り返って思う。



少し前まで、というか今までずっとそうだったのかもしれないけど、自分の心の揺れ動きに自分自身がとても敏感になっていた。
他人のたった一つの言動にあーだこーだ考えてしまい、たくさんの時間を消費した。
この考え方の癖がなかなか治らないとは思うが、ここ最近は比較的心の治安が良い気がする。
なぜなんだろうか。
なんなんだろうか、今の自分を安心させているもの…。

きっとまた病み病み期間が来るだろうから、その前に何か、自分を楽にさせる思考の抜け穴を見つけていたい。そしてそれを言語化しておきたい。

ライブの感想を書いていて、まさかこんな話になるとは思わなかったが、きっとこのライブに行って感じたことに、この現状を打破するヒントがあるのかもしれない。そんな気がしている。


そうだ、最近意識していたことを思い出した。
素の自分を出すこと、相手に嫌われるんじゃないかと思わずに、相手を試すきもちで素直でいることを意識していた気がする。

自分が話したくない時は変に会話を繋げようとしないし、思ったことがあったら隠さずに言ってみる。
書いていて思ったけど、他人の言動に対して気になっていることって、自分の言動に対しても引っかかってる部分だったりしないだろうか。
人の目を気にするあまり、自分に対する評価基準が厳しくなり、結果その基準に他人をも当てはめていた気がする。

私の場合はそれがとても苦しかった。だからやめることにした。
他人に自分を期待させない、他人に期待しない。頑張ることをやめるのではなく、無理することを止めるために。

ここまで書いて、「人の目を気にしない」という点で、昨日のライブと繋がりに気づいた。

「自分を解放する」

今の自分にとってとても大切なテーマかもしれない。
ありがとう、Lucky Kilimanjaro
最高の夜でした。
これからもたくさん聴きます。


そんで次ライブに行くまでに、もっともっと成長していたいな。



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