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余りいちなら不安になるさ

仕事なくなるとぽつーーーーんとする。

仕事があるからかろうじて人と繋がっていたのを実感する。
煩雑だった毎日のルーティーンがなつかしく思え、仕事以外のコミュニティが存在しないことを思い出す。
友だちがいたり、SNSとかもあるけど。でも、明確な所属がない!名刺ない!わたしだれだっけ?みたいな。

現実から存在が切り離されているようだ。余りいちの感覚。
何者かになっていればそんなこと心配する必要もきっとないんだろうけど、わたしはなにものにもなれなかった側なので人並みに心配をしてしまう。

人間関係はわずらわしい。自分自身、得意な方ではない。むしろ苦手である。人のようすがやたらと見えたり、存在に音がまとわりついていたりすると落ち着かない。
しゃべるのも苦手だ。なんかいいかんじのはなしをして、いいかんじに盛り上げて、いいかんじにキャッチボールする。苦手だ。

でも、苦手であったり落ち着かなかったりしても、それは自分のなかで「不要」でも「悪」でもない。苦手と要不要、善悪は違う。
苦手でも嫌でもわたしにとって人は「要る」のだ。
だって人がいないとわたしはあまりいちのままで、わたしの外でしか得られない存在しないものを見つけて気づいて「わたし」にするにはわたし以外がいないとだめなのだ。

だからずっと数日ぽつーーーーーんとしている今、あの煩雑さを恋しく思っている。
あっというまに白旗をあげて、辞めた職場に戻っていたらどうしようかと思っている。
一週間もたってないのに、わらえねえわ。