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幻冬舎での自費出版奮闘記

今年の六月、幻冬舎ルネッサンス(幻冬舎の自費出版部門、以後、表記は幻冬舎R)にて、ワタクシ、本を出版しました。

いままでそういうことに縁のない人が本の出版をするということは、当事者としては、それはそれなりにデカい人生の事件ではありますが、いわゆる第三者にとって、そういった話は、それもnoteなんかに書かれても、ヘタしたらただの自慢話のように取られるのは必須であります。

それで、本の題名なんですが。


さあ、それではあらためて自慢話を始めますか(苦笑)



出版に至る経緯


本の中でも述べていますが、ワタクシ、FXで本の題名のようになって以降、意気消沈?してツラツラとそんなことになってしまった経緯をブログで記していくうちに、それなりの文量になったので、ヤケクソ?でいろいろな出版社に送ってみたのです。
その一つに幻冬舎Rさんがありました。

とりあえずネットにおける、一般からの原稿募集をしている大概の出版社は、出版流通に対するコスト・負担を、著者にほとんどかけないような感じ(商業出版)に見受けられたため、個人的にもそれが良いと思い、そんな出版社ばかり選んで送っておりました。
そして、幻冬舎Rさんもそういうところだろうと思い込み、ついうっかり送ってしまいました。

数日後、幻冬舎Rさんから連絡がありました。
そこの編集部の方々から、どうやらそれなりに気に入っていただいた?ようで、ぜひ出版しましょうとおっしゃっていただいたのですが、そこで初めて、幻冬舎Rさんは自費出版であると、不覚にも認識したのでした。
内心、まあそうだよなあ、でも編集のプロの方に褒めていただいたみたいで、それはお世辞でもうれしい、と思いつつ、お返事としてはお金が掛かるのであれば無理であることを告げて、その場は終わるところでした。

連絡をくださった方は大変良い方で、こちらの勝手な事情をご理解いただき、かつ、ワタクシの書いた文章についての講評は送ります、無料ですから(笑)とおっしゃっていただき、そうですかとワタクシ、半ば呑気に、その講評を待ったのでした。

その講評、侮るなかれ。
凄まじい破壊力がありました。
どういったものかといいますと、自費出版を頑なに拒んだこのワタクシの気持ちを、自費出版に決断させるぐらいの気持ちに切り替えさせたのです。
こちらの文章を隅々まで読み取り、また、こちらの執筆に至る心境に想いを巡らせなければ、到底あのような講評とはならない、さすが文章のプロ集団、と大変感激し、同時に圧倒された思いになりました。

さあ困りました。
幻冬舎Rさんでの出版にいたく前向きになったものの、予定外の出費をするという決断に、どう自分を納得させるかです。

こう考えることにしました。
幻冬舎Rという「学校」にこれから通うのだと。
出版までにかかる期間(編集さんとのやりとり)は一年ほどなので、かかる費用は「学費」です。
まさかこの年?で「学校」に通うとは思わなかったけれど、また、何が身につくのかはその時点では未知数だったけれど、少なくとも講評をいただいた時点で、幻冬舎Rさんに対する信頼の担保は十分でした。
そして、そういったことに賭けるのも、これまた人生、ということで。

あ、この時の具体的な心境については、本にも書き記しましたので、モノ好きな方はどうぞ(^_^;



編集担当(窓口)の方々とのお付き合い



お二人に関わっていただきました。
最初のTさんは、あまり多くは語らなかったですが、ここぞというポイントで大事なご指摘をいただいた感じです。
ただ関わっていただいた期間が一回目の校正だけで短かったので、ちょっと名残惜しかったかな。
その後、最後の出版の段階まで関わっていただいたHさんは、非常にこちらに対する気遣いが素晴らしく、より編集とのやりとりをスムースに取り計らっていただきました。
また、本の表紙や表題、レイアウトは、ほとんどHさんの案で、要するに、まるでご自身のことのようにこちらの出版物に(内容が内容なんですが)取り組んでいただきました。
期間のウェイトとしても結果、長くお付き合いさせていただいたので、ワタクシ個人としても、幻冬舎「学校」は、Hさんの朗らかな印象で心に留まることとなりました。
編集担当の方は他にもいらっしゃると思うので、おそらくですが、幻冬舎さんといえども、結局はそこで働いていらっしゃる人それぞれの姿勢やお人柄によって、関わる著者にとっての印象もまた変わるのではないでしょうか。
ともあれ、個人的にはHさんと関わらせていただいたこと、ただただ感謝に堪えません。



プロの編集


さて、自分の書いたものが出版流通するまでに至る工程全般の、ズバリその感想です。

結論から語るならば、自分の文章を買っていただくレベルで世に出すのであれば、幻冬舎Rさんにちゃんと関わっていただいて大正解でした。
というか、逆に自分の書いたものが、プロの編集さんを通さないで、もし、世に出したとすれば、こんな空恐ろしいことはない、と痛切に思いました。

個人としても、もちろん書いたものに対する校正なり推敲は大切、と思っております。
が、あらためて編集のプロ集団を通した場合、如何に自分の推敲レベルが大変稚拙であるかを痛感します。

自分の場合、慣用句やことわざを勘違いしていることが割と多く、さらに、あまり具体的なことを論うとホント、恥ずかしいことばかりご指摘を受けまくりました。
最初の講評での有頂天はなんだったのか(^_^;

このご時世、いわゆるスラップ訴訟にだって一般人が関わらないとはいえません。
そんな意味で、あらゆる事柄から著者を守り、かつ、文章の構築のノウハウを学ぶことが出来たのは、本当に幻冬舎「学校」とこちらが主張する所以です。

まあ、学べたというよりは、自分の文章単独では、とてもではないけれどお金を出してもらう価値に見合わない、ということも痛感した、ということですね(-_-;)



~☆~☆~☆~☆~☆~


先の事とつながりますが、その気になればkindle等でセルフ出版だって出来る時代。
でも、その出版、本当にお金を出して読める価値があるのか?
といったことをあらためて考える機会を持つことが出来ただけでも、幻冬舎Rさんと図らずも関わって、自分の出版物を世に出すということを通して学べたのでした。
ちなみにこちらnoteに掲載した記事の一つ「ガラスの仮面についてなら~」は、幻冬舎Rさんと関わっている空き時間に記しました。

勝手に、あれは卒業論文?と思っています。
それが無料で読める理由は、もうおわかりですね(笑)


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