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祭囃子が聞こえる

 兄から帰省するように言われた。
 父に勘当されてから、十年近く帰っていなかったが、どうやら父の容体が芳しくないらしい。
 鈍行の電車に揺られながら、父を想った。
 一体、今更会って何を話すって言うのだ。
 私は村の人々に嫌われている。帰りたくないというのが本音だった。
 車窓に映る景色はどんどん低くなって黄緑や橙が一面に広がっていく。
 天井にぶら下がった扇風機が首を振る音が、あの秋に意識を引き戻していく。
 あの秋、私は祭囃子を聞いた。
 私の暗くなっていく気持ちを冷やかすような祭囃子を。
 
 私が生まれた村では、五十年に一度村長が村で一番の娘を指名して、土地神様と結婚させる習わしがあった。
 その娘に十五の私が選ばれた。
 結婚と言っても神社で神酒を飲み、そのまま村の御神体の藤山に捨てられる所謂供物だった。
「十五は若すぎる」と父と兄は反対した。
「三つ上の七瀬の家の子はどうだ」と隣の落井さんも加勢してくれた。
 しかし村長は「あいつは女のくせに大学に行くらしい。どうせ村には帰ってこない。変に頭の回る女は何を仕出かすかわからん。その点お前のところの娘は物わかりがいい。土地神様も喜ぶだろう」と相手にしなかった。
 そんなやりとりを母は泣きながら聞いていた。
 十一月二十三日。村の五穀豊穣をお祝いする藤山祭りが行われる。土地神様との婚姻は毎回この時行われた。
 学校に行けば私を見るなり、おめでとうと皆が口々に行った。先生たちも私を祝った。
「結婚と言っても生贄に過ぎないのにな」
 幼馴染の拓実が苦い顔をした。
「皆自分のことじゃないから思ってもないこと言えるのよ」
「何かできることないかな」
 拓実は路肩に生えたシロツメクサを摘んだ。
「何もできることなんてない。狂った大人が考えたことを子供が何かできる訳ないよ」
 子供の頭で考えられるような話じゃない。こんな時代で、土地神に若い女を捧げて豊穣を約束してもらうなんて信じてる奴らのことなどわかるわけがない。
 私の眉間を拓実が突いた。
「逃げるか」
「逃げるって何処に逃げるの。何処かに逃げるお金もないよ」
「金はいらない。土地神との婚姻はあの祭りでしか行われない。あの祭り間中、隠れていればいいんだ」
「祭りが終わった後にさせられるかも」
「それはありえない。あの祭りで婚姻することに意味があるんだ」
「大丈夫。絶対なんとかなる」
 もし、結婚させられたら、と聞こうと思ったが聞けなかった。
 拓実の横顔は何か狙いがあるように見えた。
 
 私は祭りの前日の夜、こっそり家を出た。
 祭りの間、山の側面に掘られた防空壕に身を隠すことにした。
 中は暗くて湿っていた。近くを歩く人の足音で壕の中が振動した。
 見つかっても見つからなくても確実に怒られるだろう。
 しばらくして祭り囃子が聞こえた。
 ぴゅーひゅるどんどこ。耳を裂くような甲高い笛の音がする。
 腕時計を見ると針は十時を指していた。祭りの主役はいないはずなのに、祭りは順調に実行されていた。
 何かがおかしい。身を隠しながら外を覗いた。
 祭りの段取りでは十時、娘の家から娘の乗った籠が出る。そして藤神社に着いて、お祓いやお清めがされる。二十時に藤山の麓に連れて行かれ、山の奥にある祠まで一人で歩くことになっている。
 誰か代わりに出されたのか。それとも、誰も乗っていなくて、私をまだ探しているのか。
 どっちにしても私はここにいなければいけない。
 ぬかるんだ土壁に体を預けた。夜中に家を出たせいで眠くなったのだろう。意識を手放した。
 
 うっかり寝てしまっていたらしい。時計を見ると二十一時を過ぎていた。
 色とりどりの提灯が灯っていたが、辺りは怖いほど無音だった。
 まるで静止画の中にいるような感覚。恐る恐る外に出た。
 人もいない。世界に私だけのような感じがした。
 不意に肩を掴まれた。
「瑞穂」
 肩を掴んだのは兄だった。
「兄さん、ごめんなさい。もう誰にも言わないで」
「無理だ。だが、儀式は終わった。お前は土地神様に捧げられなくて済んだよ」
「儀式が終わったって、誰か代わりになったってこと」
 兄は眉間にシワを寄せて、唸るように頷いた。
「お前の代わりに拓実が捧げられたよ」
 兄は私がいなくなった後の話をした。
 祭りの朝、私がいなくなったことに気づいて家は大騒ぎになった。
 すると、拓実が家に入ってきて自分が代わりになると言い出した。
 男が土地神と婚姻するなんて聞いたことがないというと、土地神が男だとは限らない。この祭り中、捧げられる人間は面を被る。だから誰も違いに気づかないはずだ。と言ったらしい。
 結局、大人たちは騙され、拓実は代わりに捧げられた。
 家に帰ると、父に勘当だと言われた。
 拓実の家や方方に迷惑をかけた。無理もないなと思った。
 中学卒業を機にそのまま家を出て上京した。
 
 久々の村は、あの頃と変わらず田んぼだらけだった。
 腰の曲がったお爺さんたちが、作物を収穫していた。
 一応面倒になりたくないためフード深くかぶった。
 実家に着くと、兄と甥っ子が出迎えてくれた。
 年賀状でしか見たことがなかった甥っ子は、よたよた歩いて可愛かった。
「久しぶりだな。こっちは大知だ。病院までは遠いから、車に乗りな」
 軽トラの座席は狭く、私の膝の上には大知が乗っかった。
 大知は道中戦隊もののヒーロの話をしてくれた。
 病院に着くと、大知に手を引かれながら、父の病室に連れて行かれた。
 もともと痩せていた体に、骨が浮いていた。
 もう長くないと、顔や体を見ればわかった。
「もうね。おじいちゃんはおき上がれないんだ。でもね。声はきこえてるってぱぱが言ってたよ。だからみずほお姉ちゃんもおじいちゃんに話してあげて」
 大知はお手本を見せるように、父の手を握りたくさんの話をした。
 父はもう声も出せないらしく、目を細めるだけだった。
 大知が私を見た。次は私の番らしい。
「父さん、ごめんなさい。親不孝な娘で。でもね、それなりに生きてこれたのは、父さんのおかげだと思っているよ」
 私は東京に出てからのことを話した。父さんは目を閉じて話を聞いていた。
 父は私の方に手を伸ばし、熱い手のひらが私の手を握った。
「すまなかったな」
 苦労させた。掠れた声だったがそう聞こえた。
 大知はにっと笑った。
「よかったね!なかなおりだ!」
 兄が売店で飲み物を買って来て、このまま少し話をして、病室を出た。
「みずほお姉ちゃんは、今日のお祭りにいかないの?」
「祭りは行かないかなぁ」
 大知は駄々をこねた。兄は私のことを察して無理強いはしなかった。
「瑞穂はあの祭りが好きじゃないんだ。残念だけど、大知はお留守番だ」
 家の者は皆祭りに出て行ってしまうのだろう。目に見えるようにしゅんとしおらしくなった大知を見て、思わず「わかった。私といっしょに行こうか」と言ってしまった。
 
 兄は私に面を渡した。大地の好きな戦隊もののお面だろう。
「多分、村の連中が今のお前を見てもわからないだろうが、念には念を。お前もそのほうが楽だろ」
 それから、水色にオレンジの花が散っている浴衣を渡された。兄の奥さんが大知を連れて行ってくれるからと貸してくれたらしい。
 甚平を着せられた大知は、かわいい浴衣に戦隊ヒーローのお面したちぐはぐな叔母を見るなり「かわいいね」と言った。もう三十路間近のおばさんにかわいいと言ってくれるのは甥っ子くらいかもしれない。
 ニカニカ笑って、私の手を握った。
「迷子になっちゃったらたいへんだもんね」
 大知と屋台に並ぶ食べ物を一通り制覇した。
 この小さな体のどこに食べ物が入っているのか。子供の食欲に驚かされた。
 大知は食べかけのチョコバナナの棒を私に渡してきた。
「トイレ行きたい」
 さすがにトイレまではついていけないので、トイレの前まで連れて行って、しばらく待つことにした。
 しかし、十分経っても二十分経っても出てこなかった。
 お腹が痛いにしても長過ぎる。心配になって、トイレから出てきた人に「五歳くらいの男の子がトイレにいませんでしたか」と聞くと、「今男子便所には誰もいないぞ」と言われた。一応女子トイレも確認したが、誰もいなかった。
 兄に連絡すると、本部から飛び出して来た。
「ごめんなさい。目を離したつもりはなかったんだけど」
「いや、これだけ人がいたら迷子になるだろ。こっちは俺が探す。お前は家の方を探してくれないか。」
 家までの畦道を浴衣を崩しながら走った。
 家に戻ると、明かりはついておらず、周囲にも人の気配はなかった。
 提灯の明かりを便りに、山の方に歩いていった。まさか山には行かないだろうが、確認のためにそっちの方にも歩いていった。
 祭り囃子の音がする。さっきいた場所の音ではない。
 笛や太鼓の音が重奏な音楽を奏でている。
 赤い提灯の下に大知がしゃがみこんでいた。
「大知!」
 大知の方に駆け寄ると、大知の姿はみるみる内に大きくなり、成人程の大きさに成長した。
「ごめん。俺は大知君じゃないんだ」
 立ち上がったその人は顔を見ようにもおかしな布をつけていた。
「すみません、人違いでした」
 面倒に巻き込まれたくない。それに祭りの最中にこんな山にいる男などかなり怖い。踵を返して山を降ろうとした。
「俺にとっては人違いじゃないんだ。瑞穂を待ってた」
 待ってた。という言葉が私の耳に入った途端、体が金縛りのように動かなくなった。
 振り返ることもできず、汗が吹き出す。
「私に何か用事でもあるんですか」
 男は下駄を鳴らして、わざわざ私の前に回ってきた。
「あの日、あの祭りの時にお前の代わりに捧げられた少年を覚えているかな」
 拓実のことだ。拓実のことは忘れたことはない。あの祭り以降、山の中を探し回ったが拓実はいなかった。拓実はこの村に降りてきたことはない。
「えぇ、もちろん。忘れたことなんかないわ。私のせいでこんなことになってしまったんだから」
 男は嬉しそうに話した。
「彼はね。君のこと大好きだったみたいだよ。だから、君の身代わりになった。その結果君は村の人達に嫌われたわけだが」
 まぁ、子供の考えることさ、それにしては頑張ったほうだよ。と男は嬉々として話した。
「なんで、そんなに嬉しそうに話すんですか」
「彼は面白い少年だったからね。君は拓実君が今どこにいるか知っているかい」
 そんなの知るはずがなかった。あの祭りが終わって、卒業までの間はこの村にいたが、学校には行けなかった。学校中が私を責めるから。もちろん、私が行けないのだけれど。家ではあの祭りでの出来事はとても口に出せる雰囲気ではなかった。一人でこっそり山に入り、拓実を探したこともあったが、どこにもいなかった。
「まぁ知らないだろう。そんなにしょっちゅう人間をこちらに連れて行くのは面倒なことになるからね」
「君が探していた拓実君はもういないよ」
 男は頭を掻いた。「話すとね、長くなるのよ」と笑った。
「拓実に何があったの」
「俺は彼とお話しただけだよ。俺は人間と話すことで、そいつの記憶食って生きているんだ」
 風が強く吹き付けた。冷たい夜風が浴衣の裾をなびかせる。
 男の面布がちらりと捲れそうになった。
 顔を見てやろうと思ったが、生憎風が止んでしまった。
「貴方は何者なの」
「こんなヘンテコな格好の人間がいると思うかい。人間ではないさ」
 男はしゃがみこんだ。
「君が捧げられるはずだった土地神だよ」
 金縛りが解けた。動けるようになったのに、ここから出ていく気はなくなってしまった。もう出ていけないような気さえした。
「拓実や捧げられてきた人間は、みんな俺と話して記憶を食われたんだ。記憶がなくなった人間の成れの果てはどうなると思う」
 黙り込む。そんなのわかるわけない。わかりたくもない。
「気が狂うんだよ。人の形をした人ならざる者になって、山の中で死んでいく」
「じゃあ拓実も」
 土地神は黙り込んだ。
「いや、彼は違った。記憶がなくなっても、日記をつけていたらしい。あの娘達みたいにはならなかった」
「彼は俺ら側になってしまったんだよ。俺と一緒にいる時間が人であった時間より長くなってしまったから」
「君はこの布の下を見たいようだね。でもそれはできない。この下は結婚する人間にしか見せられない。逆に言えば、素顔を見たものは神に娶られる」
 あの大知君はここにいない。彼を探しているんだろ。と付け足した。
 私は動けなかった。ここにいれば、拓実に会えるかもしれない。ここが神の領域なら、神様になった拓実に会える可能性がある。
 動かない私を見て、土地神は微笑んだ。
「そんなことしても拓実は喜ばないよ。こうならないように君の身代わりになったんだから」
 すると急に提灯の光が強くなった。
 目を刺すような光に思わず目を瞑る。
 何か耳元で囁かれた。気がする。
 目を開けると、普段の山の様子に戻っていた。
 しばらく周りが見えなかったが、子供の泣き声が聞こえてはっとした。
「大知」
 子供の方に声をかけると、大知は振り向いて抱きついてきた。
「ごめんなさい。ごめんなさい。トイレを出たらね。魔神ジャーレッドがこっちに来てって言うからね。ついて行っちゃったの。お姉ちゃん待っててくれたのに、ごめんなさい」
 大知をぎゅっと抱きしめて、そのまま山を降りた。
 山を降りて本部の櫓の方まで戻ると、兄は心配そうに待っていた。
 大知を抱き上げて、「見つけてくれてありがとうな」と言った。
 兄の奥さんが私を気遣ってくれた。
「ごめんなさい。せっかく帰ってきたのに大変だったでしょう」
 奥さんに案内されて風呂場に着いた。
「あら、その指輪。可愛いですね。シロツメクサですか」
 ふと指を見ると、シロツメクサがくるりと指に巻かれていた。
「季節外れな気がしますけど、どこで見つけたんですか」
「それが全然覚えてなくて」
 シロツメクサの指輪を外す。
 今日はとても疲れた。また当分こちらには帰らないだろう。
 浴室が蒸していて、風呂場の窓を少し開けた。遠くでちんどん音が鳴っている気がした。目蓋を閉じた。音が近づいてくる気がして、私は息を止めた。

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