心理的安全性
ある日、職場の上司の口から出てきた“心理的安全性” という言葉。
1999年に提唱されて25年も経つのに、私は初耳でした。
これが保証されてない職場では、
“どうせ言うだけ無駄”
“言っても否定されるだけ”
“発言そのものが怖い”
となる。
それらに加えて、経験上、
“理解されないその先は人格否定” もあると思っている。
この安全性はどの組織でも確保されていてほしい。
企業の大きさ関係なく、こんな上司の元では成長なんてない。
究極を言えば死んだような組織になると思う。
ただ、
こんなにひどい職場じゃなかっとしても、結局は意見を受け取る側次第だと思う。
受け取る側にも、
こだわり、考え方、周辺環境、ある程度統制しなければいけない責任、などなど、
色々と拒む理由はあるのではないか、と。
この定義通りに安全性が保証されていれば、
個々の成長がチームの成長にも繋がり、組織が成長し続ければ、衰退なんてないと思うけど、
理想論すぎる気がするのは私だけか?
ちなみに、上司が発したシーン (=ことの発端)は心理的安全性の定義に当てはまらない気がするから、使うシーンそこなの?と心に留めておくだけにしとこう。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?