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ソウルに行かない私の事情 初ソウルでハングル酔い

韓国は地方しか行かない現在の私ですが、初渡韓先はまだ仁川国際空港はなく、オリーブヤングができたばかりの2000年のソウル。今はなき雑誌の取材、10日間の滞在でした。

24年前のソウルも楽しかった

初渡韓は文藝春秋のカルチャー誌『Title』韓国特集での取材でした。

ある重大な指令と「ガイドブックで紹介されていない現地の人おすすめのうまい店を、最低10軒探してこい」という編集部からの依頼を受けたのです。当時は英語の日常会話くらいならいけたので、韓国語では「こんにちは」と「ありがとうございます」しか知らなくても、「ソウルは都会だから英語くらい通じるっしょ」と金浦国際空港へと飛びました。相棒で友達のカメラマンはのんびり屋さんなので、私が引っ張って仕事を成功させなきゃと張り切る20代のワシ。

デジタルカメラやLED照明は当然なく、すべての撮影はフィルムとストロボ照明で行います。カメラと器材は重くてかさばり、フィルムも感光しないように厳重に包んだりしてと、海外取材は気を使うことが多かったんです。ノートブックも重かったし、スマホもwifiもありません。papagoもしかり。

夕方のソウルは大渋滞

到着したのは夕方。ソウル市内では帰宅ラッシュが始まりかけていました。
金浦からタクシーで明洞にあるメトロホテルまで向かう道中、すごいものを目撃しました。回収した段ボールを自転車に丘のように詰み、おじいちゃんが車道のど真ん中をユラリユラリ漕いでいるのです。後続車は大渋滞。車窓から見えたアジアらしい光景は、ソウルを思い出すたびにパッと浮かびます。衝撃でした。

とにかくソウルは車は多いし、運転は荒い。歩道にはゴミが落ちているし、舗装と敷石はデコボコ。あれ、これは今も変わってないか。

メトロホテルは当時から老舗ホテルだった

編集部支局が設置されたメトロホテルが、スタイリッシュホテルに変身していて驚きです。当然、現在はWi-Fi完備。あの時はフロントに1台だけある国際電話回線を通じてアクセスポイントにダイヤルアップし、原稿をメールしていました。町中にあったPC房は日本語が使えなかったと思います。

2020年に開館60周年を迎えたそうです。お世話になりました。

なお、出張当時、メトロホテル地下にはカラオケパブがあり、深夜の客室階ではお持ち帰りされたホステスさんの妖しいお声や、お客様のうめきが聞こえることもありました。だから今でも、韓国のモーテルはちょっと苦手です。

オールモスト・ハングル

当時のソウルは明洞の有名店に日本語表記のメニューがちょっとあるくらい、アルファベットすら見かけません。文字情報が一切、頭に入らない世界は初めてで、しかも初日から、路地裏の焼き肉屋でいきなりぼられてケンカし、「明日からの取材は大丈夫だろうか」と不安になりました。ついには読めない字のネオンに目まいを起こし、ほこり臭いホテルのベッドで「もう、ハングルは見たくない」とハングル酔いを発症したのです。

この方も同じ症状を起こしたようです。不快感がよくわかります。父も同じことを言っていました。

ハングル酔いの克服法

仕事は楽しくてはかどりまくった

深夜の東大門や大学路や江南、カロスキルなど、ソウルのおしゃれ女子たちに声を掛けてファッションスナップさせてもらったり、ある重大なミッションに体当たりしたり。友達のカメラマンとコーディネーターさんと3人、模範タクシーをチャーターしてソウル中を駆けずり回り、おいしいお店で食べまくりました。

韓国の新聞社が集まる地域にある人気の食堂では、初めてケランチムを知りました。プックリ膨らんだ状態で出てきたのに、カメラの準備が間に合わなくてしぼんでしまい、通訳兼コーディネータさんから「早く撮れ」と友達がしかられました。素人のスナップじゃないんだから、それは無理だよ、とかばいます。真実だし、一発目の取材でチームの雰囲気を悪くしてはいけません。

こちらは東日暮里の名店「ザ味元(ザミウォン)」のケランチム。
作り方を教えてもらい、自作するようになった。

毎日毎日食べ歩き。お粥を欲する

取材交渉や会話はぜーんぶはコーディネーターさんにおまかせしきました。教えてもらった「ヨンスジュンジュセヨ」とお店の方にお願いすると「よく知ってるね!」とチヤホヤ。「領収書ください」の一言で大モテです。取材中は「ありゃー日本人かい、初めて来たよ!」「これ食べろ」「これ持っていきな!」とVIP待遇されて楽しい日中。夜、ひとりぼっちになると、視界に入るハングルが脳を攻撃してきます。でも、弱ってる姿を編集者には見せられません。

英語より日本語が堪能な若者が多いことは収穫でした。市場では「日本語がわかる子を連れてくる!」とおばちゃまが走り出し、わけもわからずに若者が連行されて通訳させられるなんてこともしょっちゅう。これは今もありますね。お忙しい中、私のためにありがとうございます! 助けていただいております。

疲れた胃に打撃を与えた辛ラーメン

中耳炎を発症したほど、疲労困憊だった出張最終日。
ひとりで朝ごはんを食べに近くの食堂に入り、読めないメニューを適当に指さしたら、出てきたのが辛ラーメンだったときの悲しみ。敗北感。

私はね、お粥が食べたかったの。鮑のお粥が食べたかったの。

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ハングル酔いの後遺症

最終日の敗北は、今も引きずっています。字が読めないと食べたいものが食べられない。でもハングル酔いは怖い。韓国映画やドラマは見ていても、そんな恐怖心で韓国行きを15年以上諦めていました。子もいましたし。

それでも、あるものを見るために韓国の地方に行こうと決意しました。

地方に行くなら少しは韓国語を読んで話せるようにしないと。必要に迫られて韓国語を独学し始めた頃は、あの辛ラーメンのせいで目がハングルを断固拒否。最初の2〜3年は食べ物関係の単語と地名の文字を覚えるだけで精一杯で、目を慣らすためにキーボードをハングルに代え、スマホにもハングルを入れました。

どちらもメルカリで購入。マイクロソフトのキーボードは重宝しています。
右手が母音、左手が子音、シフトキーを押すと濃音に。合理的。
尊敬する蓮池薫先生の著書。ハングルの子音の形成を図解説明しているので、発音と書き取りに迷うとここに立ち戻りました。一時はどこに行くにも持ち歩いていたのでボロボロ。

片言でも褒められて有頂天

こんなへっぽこ状態でも、papagoがあれば地方の旅はできます。恐る恐る全羅道と光州に行ってみたら、地方のあたたかさとご飯のおいしさにはまりました。特に炒りたて、絞りたてごま油の香り高さったら、もう。

「日本から、東京から旅行で来ました。ひとり旅です」と片言の韓国語で話すだけで「よく勉強してるね」と褒められます。「ひとりで来たなんてすごい!」「日本人が来たのは初めてだよ」とあれ持ってけ、これ食べてみろがスタートです。そして荷物がどんどん重くなり。最高は5㎏の高級お餅セットをいただきました。

こんなこと、ソウルではありえない歓待ぶりです。普段は東京のど真ん中で引きこもり状態なので、韓国の地方でかまってもらえるのがうれしくてうれしくて。

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目的を伝えるともっと楽しく過ごせる

地方の町に来た目的をはっきりと伝えると、知り合いをたどって、ネットを駆使して、日本語を話せる人に電話したりと、一生懸命に調べて繋いでくれます。そんな時はみなさんのご好意に甘えちゃいます。お互いに非日常を楽しむという感じでしょうか。

私はおいしいコチュジャンと材料を求めて名産地の全羅北道、淳昌(スンチャン)へ行きました。香りに釣られて入ったパガッカンでは、明るいお姉様の紹介で一瞬にしてコチュジャン作りの名人につながり、コチュジャン、カンジャン、テンジャンの作り方を見せていただきました。周辺にも伝統的なコチュジャン作りのお店が密集していますが、こちらのコチュジャンがいちばん味に深みがあっておいしい。また買いに行きます。

韓国料理好きでパガッカンを知らないのはモグリだと思っています。↓ 解説あり


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お節介を受け入れてみる

お土地柄もあると思いますが、地方の方は親切で好奇心旺盛。若い方はお節介に感じるかもしれないけれど、旅先なんだから一度くらいは巻き込まれてみましょう。都会のソウルとは違うおもしろさに開眼しますよ。

韓国は、ソウル以外は全部地方です。

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