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エリ

 どこにでもエリはいる。

 エリはいつの間にか近くにいて、こちらの背後をとる。私の不意をつくことができたと知って、訳知り顔で微笑むエリ。

 エリは増殖する。おかっぱのエリ、おさげのエリ、少女のエリ、喪に服すエリ。どこにでもいるから、かえって気づくことができない。

 こちらを覗きこむエリには、少なくともあからさまな敵意はない。反論の余地を許さない眼差し。自分が強者であることに無自覚な、多数派のエリ。

 逃げても逃げても追いかけてくるのに、そばにいて欲しい時にはいないエリ。それとも、私には見えないのだろうか。エリ、と声をかけても、自分の声だけが廊下を反響する。湿った窓の外に、エリの顔を探しても誰もいない。

 かと思えば、次の日には何もなかったように街角から顔を出す。こちらの気も知らないで、とりとめのないおしゃべりを続けるエリ。勝手気ままな振舞いに、いい加減我慢ならない。

 エリを放っておいても、知らぬ間に噂が広まって、身動きが取れなくなるのはいつものことだ。弁解しようにも、増殖したエリは勝手を言って聞かない。私の意図とは離れて、エリの作り出した私が歩き出す。それを止めるのは至極困難で、エリが飽きるのをじっと待つ。

 エリを叱ったことは、一度や二度ではない。静かに苦情を申し入れたことも、面と向かって怒鳴ったこともある。悪びれもしないエリにあきれ、諦めてしまったのは私だ。元来どちらかといえば大人しい性格だったのが災いして、あるいはそれも、エリにしてみれば織り込み済みだったのだろうか。もしもそうなら腹立たしいが、目の前のエリに怒りをぶつけても何も解決はしない。目の前のエリと、過去のエリは、違うエリかもしれないからである。

 エリとはそういうものだと、諦めてしまったほうが賢明だ。納得はしても、その都度苛立つことは止められない。

 私のことを、なんでも知っているエリ。私がひた隠しにしたいと思う、昔の思い出をほじくり返すエリ。そんなつもりはなかったのだと、今になって言い訳したくてもそれは叶わない。私が嫌がっていることに気づいているのに、さもそれを吹聴することが私の意に沿うとでも言いたげなエリ。エリを前に、言い返す気力も失われていく。

 エリはどこまでも親切であろうとする。あくまでエリのものさしで、こちらを窺っている。そういう無遠慮さが私の神経を逆撫でするのは、エリには伝わらないのだろうか。親切心をいたずらにも受け取ってしまう私が、更にエリを助長させる。

 私は、エリを嫌いなのではない。憎むことはあるけれども、どちらかと言えばどう相対すればいいのかが分からない。エリが私の中に飛び込んでくることに、いつまでも準備が整わないのだ。

 もしもエリがいなくなってしまったら、私は困惑するだろう。エリを前に心がかき乱されるよりもずっと。

 エリの不在を心細く思う日が、ぽつりぽつりと増えていく。そばにいて、と声にならない声が喉に張りついている。

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