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自分の中のもう1人の自分。*3

(いじめ等の事が書いてある為、
苦手な方は戻ろで、お願いします。m(_ _)m)

前回*2からの続きです!長文です。

不登校気味の不登校児の日々を過ごしていた。
問題が表面上解決した様に見えても、人間関係のギスギスは
中々修復出来ないからなのか、腫れ物扱いだったのもあった。
そんな日々を過ごして、数ヶ月。冬になりかけの頃。

母が再婚をした。
ずっと助けて、心配してくれていた人と。
私にも優しく、少しずつから、と理解してくれていた。
そんな人だったから、私もその人を信じる様になり、
「大丈夫、怖くないよ。」と伝えると安心して、喜んでくれて
私の義父になってくれた。母も幸せそうだったから良かった。

義父は転勤が多い仕事だったらしい。
転校する事になってしまうけど、いいかな?と相談を受けた。
正直言って嫌な思い出しかなかったのもあって大丈夫!と
違う所でまた、頑張ろう!と思えた。
そして、小学2年生の新学期に新しい学校に転校した。
先生は事情を理解してくれて、優しく、接してくれていた。
友達もでき、少しずつ学校にも行ける様になっていった。が、
やっぱりトラウマが良くならなく、休む事もただあった。
その繰り返しで先生も一緒の人だったのもあり、
安心して、小学3年生も過ごした。
家族の応援もあったのも、ありがたかった。

そして、小学4年生になり、先生が変わった。
その先生は私が面倒だったみたいだ。
「不登校児は本当にめんどくさいから。」と、
ダイレクトに三者面談で母と私に言っていた位だ。
そんな先生が私は苦手だった。男の先生が居ると、
先生が「私ちゃん、安心してね〜」なんて、急に猫撫で声。
私と2人きりだったりすると冷たい。
また、学校に行くのが少なくなっていった。

そんな時、ちょっとした出来事があった。
図工の工作で粘土で自分の作った作品を、
棚の近くで遊んでいた子が当たって作品が壊れた出来事。
泣いてるその子をなだめて、一緒にまた、作り直そうって、
言ってくれて、先生に伝えた後、その子と作る事になった。
全然気にしてなかったのもあり、壊れても、あらら、位
だった。不登校気味だったから、学校に来たぞ!
授業受けたぞ!と、証拠が残るかな?位だったから。

休み時間に作ろう!ってなって先生に伝えたら、
「わかった。じゃあ、もう大丈夫だね!出来たら職員室に呼びに来てね」と。この時、ちょっと顔が引きつっていた。
その子もやる気満々。頑張って、作るから!って、
じゃあ、前よりも良いのもを、と。
一生懸命にその子も自分の作品よりも良いものをって。
そんなに時間が掛からず作品が完成した。
2人して、「すごくよくできた!」と喜んだ。
その子にお礼を言い、先生に言いに行くのは自分だけでいいと
外で遊びたそうなその子は「いいの!ありがとう!」って、
外に出る為、教室をでた。
「外で遊ぶのが好きなんだ!」って、言っていたから、
私なりの思いやりだったかも知れない。


自分は先生に言いに行こうって職員室に向かう。
換気の為かドアが開いていて、休憩中の先生達が何人かいる。
先生もその中の1人、喋っているのが聞こえる。

先生が、
「いや〜、さっきね、不登校気味の子の作ったやつを、
違う子が壊しちゃってさ〜、仲直りしたのはいいんだけど、
完全に不登校になったらどうするのって思ったよね〜。」

聞きたくない事が聞こえてしまった。
その場に行きたくなくて、教室に戻ってまだ作ってます風を
出すことにした。しばらくして、
教室に様子を見に来た先生に「あ、今終わりました。」
なんて、ちょっと嘘ではあるが伝える。

先生は「良かった〜、すごい良い作品だね!作品も完成したし
もう大丈夫だね、明日も来れるね!」って。

この時は嬉しそうに、安心した様に優しかった。
そう。この先生の「もう大丈夫」は
この出来事が原因となり、不登校にならないかの心配の

「(学校に来るよね?面倒にならないよね?)もう大丈夫」

だった事に気付いて、傷付いて、期待するのをやめた。
心が無になる、折れる感覚。私は学校に行くのを嫌になった。

そして、冬の季節に義父の転勤が決まった。

                       続く、、、

学校の先生とも相性があるのだな、と思えた思い出です。

言われて、気付いて、傷付いて。の記事に出てくる先生。

細かく書くと、もはや先生との戦いでは?なんて。

転勤が多い家族は転勤族って言われるみたいですね。

やっと慣れてきた頃の転勤。大変だった。けど、

いろんな人が居ると体験できたから。と、今は思います。

ここまで読んで下さりありがとうございます(*≧∀≦*)


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