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井上陽水の「傘がない」を雨の日の誕生日に聴いて

雨天の誕生日に「傘がない」のエピソードを聴く

昨日は私の49歳の誕生日でした。voicyを聴いていたらパーソナリティの関根FPさんが冒頭で井上陽水の「傘がない」のエピソードを話していました。丁度雨天だったので、私がこの曲を初めて聴いて、それが私の人生に大きな影響を与えた事を話そうと思います。

この曲を初めて聴いたのは10歳(1985年、昭和60年)で、「フォークソングベスト20」という題名のカセットテープでした。1970年代の代表曲「神田川」「なごり雪」「帰ってきた酔っ払い」等が入っていて、当時流行っていた曲とは全くムードが違っていて衝撃を受けましたね。同時に、私が現代史に興味を持つきっかけになり、両親に学生時代の事をよく聴いたり、百科事典の年表を読む様になりました。

三島由紀夫の割腹自殺に衝撃を受ける

三島由紀夫が市ヶ谷の自衛隊総監室で割腹自殺したのを知ったのも百科事典でです。三島が1970年(昭和45年)に自殺してから僅か15年しか経っておらず、切腹という、前近代的な自殺を世界的に有名な作家が行った事にも衝撃を受けました。そのあと、三島の思想に興味を持って、三島の市ヶ谷での演説を聞きました。当時小学生だった私には理解できなかったですが、彼が最後に「天皇陛下万歳」と言っていたのが印象に残りました。多分、私が思想に出会った瞬間かもしれません。

1960年代は本当に熱い時代だった

1960年代を知れば知るほど、本当にすごい時代でした。登場人物もキラ星の如きで、ケネディ兄弟、キング牧師、マルコムX、ジミ・ヘンドリックス、ジャニス・ジョップリンなどなど、彗星の如く現れて消えて行ったけど、現代にまで影響を与えている人は数知れません。詳しくはNHKの「映像の世紀」に収録されている「ベトナムの衝撃」を見ていただけば分かります。私もこの時代に生まれていたら、と妄想した事が何回もありました。

サルトルの「アンガージュマン」を目指した若者の知的水準の高さ

三島由紀夫が東大で全共闘と討論した映像がありますが、三島という大作家に怯まず討論を挑む当時の学生を見て、当時の若者の知的水準の高さに驚きます。

小林よしのり氏が「ゴー宣スペシャル・脱正義論」でサルトルに影響を受けて学生運動に被れていたと述懐してますが、サルトルの「実存主義とは何か」を読めるだけでも当時の若者はすごいと思います。ま、その行動が過激化して文革みたいな破壊行動になってしまったのは大失敗ですが。

ゴーマニズム宣言スペシャル「脱正義論」より。分かります?この意味…。

「傘がない」は「足元見ようよ」と訴える曲だった

「傘がない」の思い出に戻りますが、1960年代のアツい時代直後に発表されたこの曲は「シラケ主義」「ミーイズム」の象徴と言われましたが、当時の若者が目指した共産革命が失敗に終わり、虚無感に覆われていた彼らに「足元見ようよ」と訴える曲だったのかもしれません。自分も足元を見ながら、サルトルの言う「アンガージュマン」になれる様、生きていきたいと思いました。

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