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学ぶことは面白い。面白さを理解するのに、年齢は符号にしかすぎないだろう……

おはようございます!

今日からは、『なんおために学ぶのか(著:池上彰)』を読み始めました。アウトプットを開始いたします。

こんな経験はありませんか?

「なぜ、勉強をするの?」と大人に聞くと、「大人になったらわかる」とその時には全く納得いかない答えを返された経験を。著者も同様の経験をし、もやもやとしたそうです。

しかし、大人になり、日々の社会の動きを理解し、自身の行動を決定する上で、中学校教科書レベルの知識は重要であったと再認識したそうです。これが「大人になったらわかる」だと……。

皆さんはいかがですか?


第1章「勉強が好きじゃなくてもいい―おもしろいことが一つあればいい―」では、著者の経験談も交えながら、勉強することの楽しさを伝えられています。

‟Even if I knew that tomorrow the world would go to pieces, I would still plant my apple tree.”

これはとても有名な一説ですね。宗教改革を行ったマルティン・ルターの名言、「世界が明日、滅亡に向かおうとも、今日私はリンゴの木を植える」です。

著者は、リンゴ→学びに置き換えています。それは、父の姿勢と学ぶことに楽しさに気づいたことが影響をしているようです。

著者の父は、寝たきりになった88歳になっても『広辞苑』を読み続けるという学ぶ楽しみを体現した方でした。学ぶことに、年齢の壁が存在しないことを改めて感じたようです。

著者が学ぶ楽しさに気づいたのは、大学を卒業してからだったようです。ニュースの勉強をしていく中で、好奇心を満たす喜びを感じました。著者自身が大学を卒業してからだったように、学ぶ楽しさを得るのはいつからでもいいといいます。

それを知ることが大切であり、生涯学び続けられます。

生涯の中で、基礎知識を固めておくと、応用につながることがあります。研究の分野では、それを「セレンディピティ=思わぬ発展につながる偶然(≠たまたま)(=不思議な出会い)」と呼ぶそうです。

ニュートンがリンゴを観て「万有引力」を発見したように、著者が連載テーマに困り書店に行くと‟手招き”をする本に出合うように、必死に考えた先に得られるものが、‟セレンディピティ”なのかもしれません。フローでいう、‟アハ体験”に近いのかもしれませんね。


その中で、「学び=年収」というのは一つの議論のテーマかもしれません。特に、子供の学力=年収に依存するというデータが存在します。著者はそれに対して警戒を鳴らします。

『風をつかまえた少年』から読み解けるように、大切なことは、本人が「勉強をしよう!」と思うことであり、大人がその環境を作ることです。環境とは、日本においては図書館が整備され、十分に整っています。

医師のお子さんに医師が多いように、もしかしたら、年収というよりも、親の知的好奇心のようなものに学力は依存するのかもしれませんね。


知識というものは、今日学んで今すぐ使おう!!というものは少ないかもしれません。僕自身も本を毎日読んでいますが、それをその日に使おうなんて難易度が高すぎます。

‟いつか意外なところで役立つもの”

僕もそう考えています。

毎日行うことを決めたので、ルーティンワークですが、本を読んでアウトプットをするこの流れが僕にとって最高に面白いです。面白いと感じれることが何よりも大切ですね!


今日も学んだ!!


ではでは、今日もワクワクするような最高の笑顔で、いってらっしゃい!!

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講内 源太



追伸

まだまだ火曜日!!夏日の中を頑張るあなたを応援するYoutube!!


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