平等な支援、公平な支援

集団生活の中で1人の利用者に時間をかけて支援を行っていると、「それって不平等じゃないか」「特別扱いしていないか」と言われることがあります。施設生活の特性上、限られた時間、限られた支援者の中で生活を送るには規律を守り施設側が決めたタイムスケジュールに則って生活していく方が支援者にとって都合がいいです。
しかし、施設に入所されている利用者は皆それぞれ普通と言われる生活に生きにくさを抱えながら生きています。
生きにくさを感じている部分は皆それぞれ違っていて支援の必要なタイミングや関りが必要な度合いも違います。
特に知的な障害は生きにくさに起因するものが目に見えていないため障害故の行動でも怒られてしまったり難しいことを指導されてしまったりします。
例えば身体に障害を抱え、歩けない方がいたとします。常識的な支援者であればその方に対して「なぜ歩かないんだ。歩けないのは根性が足りないからだ。しっかり一人で歩きなさい」とはいわないでしょう。
しかし、知的な部分に障害のある方の多くがこういった指摘をされてきた、あるいは今もなおされています。
同じ身体障害でも全く立てない人、杖があれば歩ける人、車いすが必要な人など、同じ括りでも必要な支援は人それぞれです。
知的な障害にもそれは当てはまります。いわゆる重度と呼ばれ排泄に支援が必要な方もいれば、軽度ではあるが対人関係の構築に支援が必要な方もいます。支援の必要なタイミングや関りの度合いは違えど、どちらにも支援が必要なのです。ですがこの場合軽度の方が厳しく指導されることが多いよう感じられます。
それは目に見える身の回りのことに支援の必要がないため精神面にも支援が必要ないと過剰な評価をされているからです。
杖が必要な人と車いすが必要な人、二人を見て不平等な支援だとは誰も言わないでしょう。なぜならそれぞれに合った不平等な支援が必要だからです。それは知的障害に対する支援も同じです。我々支援者がしなければならないのは全員に同じような支援を行う「平等」ではなく、全員が同じように生活できるよう支援する「公平」です。平等とは公平の上にこそ成り立つものなのです。


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