今年の夏も終わります、いや、夏は永遠に終わりません。『Endless Summer(2001)』/ Fennesz
日本の音楽界が
「自分を信じていくのだぴょぉぉぉ〜ん♪」
に唖然としていた同時期に、電子音楽/エレクトロニカ界隈のリスナーの間で話題を独占していたのが、Fenneszの『Endless Summer』である。
フェネス(Fennesz)ことクリスチャン・フェネスは、オーストリア出身のギタリストで、ウィーン音響派の総本山だった知る人ぞ知る名門レーベルmegoを、世界的な知名度まで推し上げた同レーベルの看板アーティストである。
2001年の7月に発表された『Endless Summer』は、グリッチノイズとギターの調和によって過ぎゆく夏への郷愁、叙情とノスタルジーの世界を見事に表現しきり、現在でもエレクトロニカ/ラップトップミュージックの金字塔として名高い作品である。
Endless Summer
Caecilia
Shisheido
そもそも「エレクトロニカ」という音楽の歴史は、「ドンギュンドンギュン」みたいな重低音バッキバキのクラブミュージックへのカウンターとして「電子音楽をダンスフロアやレイヴパーティから引き剥がす」という大義のもとに始まった。
「踊れないテクノ」という表現があるように、複雑かつ高速なビートパターンでわざとダンサブルなリズム要素を外したり、カットアップやグリッチやドローンノイズを多用してメロディ要素を希釈したり、ビートを排除してアンビエントに接近したりして、レーベルおよびアーティスト各々の方針やカラーによる様々なアプローチと派生によって進化と発展と遂げてきた。特にヨーロッパ各国で。
ブレイクビーツを突き詰めてロック界隈のリスナーから歓迎されたオウテカ、エイフェックス・ツイン、スクエアプッシャーらのWarp勢の比較的キャッチーだったアプローチとは逆に、アンビエントやミュージックコンクレートに接近したより先進的で実験的な電子音楽を模索していたのがmegoである。
megoというレーベルの音楽性については、フェネスと長年に渡って共作を発表してきた旧友であるジム・オルークが「パンク・コンピュータ・ミュージック」と評したように非常に取っ付きづらくはあるのだが、Fenneszの『Endless Summer』というアルバムは、それまでエレクトロニカが意図して避けてきた主観的で情感的な要素、とりわけフォークギターの旋律によるセンチメンタリズムを落とし込むことで、耳の肥え過ぎていない一見の音楽リスナーにもリーチを伸ばすことに成功した。「フォークトロニカ」と評されるこのエレクトロニカは、例えばそのジャンルにおいて先駆的なmúmらの「北欧の澄んだ冷たさを感じる」サウンドスケープとは似て非なるものだった。
電子音楽をダンスフロアから連れ出して、自室のスピーカー/ヘッドフォンリスニングへと誘ったエレクトロニカを、2001年の夏に夕景の海に引っ張り出したのがフェネスであり『Endless Summer』だった。
今夏、存分に海を満喫した若者たちも、海に行けなかった大人たちも、夏の終わりの切なさに思いを馳せる全ての人に、『Endless Summer』を聴いて感じてほしいのである。
結局穿かなかった新品の海パンも、結局連絡しなかったサーフィン教室も、甲子園の砂も、また来年に持ち越し。
つまり「夏は終わらない」と。
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