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それは思い出の片隅で
夫と結婚する前の同棲時期の初め、過敏性腸症候群になった。
夫は一人暮らしをしていた経験があり、私より家事ができた。
私はというと、箱入り娘とまでは言わないが、それなりにぬくぬく温室育ちである。
しっかりした夫、それに反する私。
「これから大丈夫かな。何もできない私、ちゃんとしていない私」と気が滅入っていた。
そんなストレスが体に出た。
強い腹痛に見舞われ、好きだったものも食べれなくなった。仕事にも行けなくなった。泣きながら、呼吸を乱しながら車を運転した。
トイレの前でうずくまりながら、夜勤に行けないと連絡したこともあった。
夫は「海に行こう」と言ってくれた。
生まれてから成人するまで、ずっと海の近くに住んでいた。
中学生時代、気になっていた先輩と夜中まで話しをしていたのはテトラポットの上だった。
夫と仲違いになり、友人に怒りをぶつけたのもそこだった。
夫と別れようと最後のデートをしたのもそこだった。また付き合った時も遊びに行っていたのはそこだった。
私の人生の悩みの岐路には、必ず海があったらしい。夫が私を海に誘ったのも頷けた。
強い海風。
しょっぱい、どこか懐かしい香り。
故郷だなぁ、なんて思った。
職場に行けないことへの申し訳なさ、夫のご飯の準備もできない悔しさ。
全部が一杯一杯で、気持ちが完全に沈んでいた。
安直ではあるけれど、海を見たら
「なーんだ、私の悩みなんてちっぽけだ。海はでかいんだもの。」なんて思えた。実に安直で安易である。
けれど、救われたという事実。
その後、恐々に久しぶりにラーメンを食べたら、吐くこともお腹が痛くなることもなかった。
海ってすごいね。
人間の気持ちを変えてしまうんだなぁ。
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