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バンコクで2年だけ社長になった思い出と視点の変化によるちょっとした気づきと

日本に帰国してから、1年ちょっと経った。いまいろいろと仕事がらみで勉強する機会があって、少しずつ視点が変わってきてる。

見え方、考え方に変化が出てくると時々バンコクで社長をやらせてもらってた頃を思い出す。

バンコクには1999年から2019年ごろまでの約20年間住んでいた。タイ人経営のタイ100%の出版社に勤め、主にグラフィックデザインの仕事をしながらタイ人向けのコスプレ雑誌を立ち上げ、編集長やコスプレコンテストの審査員などをやっていた。そんな中、在住最後のほうにとあるご縁があって、日本の経営者の人と知り合い、2年間ほど雇われ社長をやらせていただいたことがある。タイのオタク界に関われる内容だったので、とても楽しみに引き受けさせてもらったのだ。

げのは経営経験がないばかりか、日本の会社での勤務経験もほとんどない人間だ。全然威張れることじゃないけどAdobe以外、Officeなんて使えない。エクセルなんてもってのほか。とにかく何から手を付ければいいか、どうやってお金を作ればいいかさっぱりわからないまま社長になったのである。


最初は意気揚々と楽しくやっていたのだが、当たり前に売り上げが伸びない。でも何したらいいのかわからない。経営者に聞いても自分で考えろ、エクセルなんて新卒でも使える、と言われる。なんとか考えてみても知恵がないから何も思いつかない。やらせてもらってることはタイでは有名な場所や雑誌になってはいるものの、とにかく売り上げにつながらない。会社の通帳の数字がどんどん減って行っても、こわくて日本の本社に送金依頼が出せない。そして売り上げがないから何か月も自分の給与は出ない。ついてきてくれたタイ人の分の給与はとにかく必死にかき集めようとしていた。


げのは完全に詰んだのである。


そしてたぶん、めちゃくちゃ病んだ。こんな役立たずはいなくなったほうがいいんだろう、でも働いてくれている人たちに迷惑はかけられない、そんなことばかり毎日考えてた。経営者が来タイし、ミーティングの時間になっても一言もしゃべれなくなっていた。

当時、げのの完全に気の触れた愚痴とも悲観ともつかぬ、マイナス思考なチャットに何か月も付き合ってくれた方々には本当に感謝しかない。いま思い返してもそのころのげのから出る言葉は、経営者へ対する不満や文句ばかりだった。本当は自分の力不足も大いにあったのに、だ。

視点が終始、経営している側ではなく雇われている人間側であり続けたのだと思う。だからいろんな齟齬が起こり、そしてげのは勝手に病んで行ったのだ。


いまがめっちゃ経営目線で動けてるかといえば全くそんなことはなくて、上手く売り上げも伸ばせないし、どうやってお金を産めばいいのか相変わらず試行錯誤中であり、視点が少し変わってきた、くらいの状況でしかないんだけど、それでも今の考え方や見方で、あの社長をやってたら少しは違った結果になったかもしれないなと想像する。


少しずつでも勉強をつづけ、視点を変え、広い視野で物事を見れるようになっていきたい。

これからいっぱいお金を生み出せるマンになるといいなー!(欲望


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