黄土高原史話<9>「東農西牧、南稲北麦」というけれど by谷口義介
春・夏のワーキングツアーでは、夜行列車のコンパートメントや農家に泊まるときの4人1組、ホテルや招待所の場合の2人1組、すべて相手が変ります。毎夜組合せを換えることで、相互の理解と全体のまとまりを、という深謀遠慮からでしょう。
「クラス仲間はいつまでも」の歌詞が通ずる世代のツアー仲間から、暑中見舞いを兼ねて質問がひとつ。
「中国の南・北を秦嶺(陝西省)-淮河(江蘇省)ライン、年間降雨量 800ミリで分かつことは納得。では、東・西はどのあたりで?」
北は黒龍江省の愛琿(アイグン、現愛輝)と南は雲南省の騰衝を結んだ線、だいたい年間降雨量400ミリラインに相当します。このラインの西側は雨が少ないので牧畜区、反対の東側は農業区。さらに農業区は秦嶺-淮河ラインで南の水田稲作と北の雑穀畑作に分かれるというわけ。
これを総称して「東農西牧、南稲北麦」といいますが、この区分だと黄土高原はおおむね北麦地帯に入ります。ただし「牧」と「麦」の間には、ムギより乾燥に強いアワ・キビなどを栽培。また黄土高原の村では、経営を補完するためヤギ・ヒツジが数千年前から飼われていたことは、前回述べたとおり。
なお、黄土高原でも条件に恵まれた区域では、稲作もじゅうぶん可能。今年の8月下旬、山西省中部の太原市郊 外で稲穂の垂れかかった水田を見ました。ここよりずうーっと北西の銀川市 (寧夏回族自治区)の手前では、たしか6年前の7月下旬、水田に稲の葉が青々。まさしく「塞上江南」のいわれを実感した次第です。
もちろん、大地はノッペラボーの真っ平らではなく、山あり川あり、丘陵・盆地あり。とうぜん作物の分布には、高低差や水利条件も考慮に入れなくてはなりません。
たとえば、山西省北部の場合、盆地には山からの水が集まってくるのでトウモロコシ・ヒマワリ・コーリャンを、丘陵地ではアワ・キビ・ジャガイモを栽培、それより上の山地だとエンバク・ソラマメしかできません。
つまり、平らな地図の上に定規で線を引くような区分けは、とうてい無理。あくまで大雑把な目安程度、とご理解を。
ちなみに、年間降雨量400ミリライ ンと800ミリラインの交点は甘粛省東部。しかし地政学的にいうと、東・西の境は、陝西省を東に通りこした河南省西部、“箱根の山もものなら”ない天下の険=函谷関でしょうか。
(緑の地球87号(2002年9月発行)掲載分)