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ヴァレリー・ラルボー『聖ヒエロニュムスの加護のもとに』訳者解題

 2022年12月23日、幻戯書房は海外古典文学の翻訳シリーズ「ルリユール叢書」の第28回配本として、ヴァレリー・ラルボー『聖ヒエロニュムスの加護のもとに』を刊行いたしました。ヴァレリー・ラルボー(Valery Larbaud 1881–1957)はフランスの小説家・詩人・批評家・翻訳家。大実業家の家に生まれたラルボーは幼少時よりヨーロッパ各地を旅行するなど、コスモポリタン作家になるべくして育ちました。母国語の他に英語、スペイン語、イタリア語を自由に使いこなし、他のヨーロッパ諸語に通じるポリグロットの作家となったのです。こうしたラルボーの生い立ちの経験は、ラルボーの代表作となる『A・O・バルナブース全集』に結実します。創作としては、少年少女の独自の内面を鮮やかに描き出す小説、「内的独白」を用いた心理小説を多く発表しています。
 世界文学上のラルボーの功績といえば、作家ジェイムズ・ジョイスのよき理解者、紹介者たる批評家・翻訳家の側面がクローズアップされるでしょう。20世紀の十大小説に数えられるジェイムズ・ジョイスの『ユリシーズ』(1922年、パリのシェイクスピア・アンド・カンパニー社より刊行)の仏訳を監修(1929年出版)。仏語圏読者にジョイスをいち早く紹介しました。
 その他、英米語圏作家では、サミュエル・バトラー、コールリッジ、G・K・チェスタトン、スティーヴンソン、ホイットマン、ホーソーンらの文芸作品、スペイン語圏では、リカルド・グイラルデスやのアルフォンソ・レイエスら、イタリア語圏ではバッケッリやチェッキらの文芸翻訳を手がけており、世界文学の仲介者を自他共に任じる作家であったように思われます。
 本書は、みずから翻訳者にして批評家でもあったラルボーがエッセイを通じて、翻訳の理念、原理、技法を説き明かす翻訳論。500余名の文人が引き合いに出され、議論がなされます(原書にも収録されている「人名索引」が本書巻末にも収められています。一部、下記に「人名索引」ページ見本を紹介します)。
 以下に公開するのは、ヴァレリー・ラルボー『聖ヒエロニュムスの加護のもとに』の翻訳者・西村靖敬さんによる「訳者解題」の一節です。



本書巻末収録の、500余名の人物が掲載されている「人名索引」(一部)見本。本書第三部「第三部 技法――あるいは着想から印刷へ」でも論じられるヴィットーリオ・アルフィエーリの名前も見える。


『聖ヒエロニュムスの加護のもとに』について


 本書はヴァレリー・ラルボーの評論集『聖ヒエロニュムスの加護のもとに』の全訳であり、日本語による完訳としては本書が最初のものとなる。底本はパリのガリマール社から一九四六年に出版された初版(Sous l’invocation de saint Jérôme)を用い、同じくガリマール社から一九五三年に刊行された『ヴァレリー・ラルボー全集 Œuvres complètes de Valery Larbaud』の第八巻(Sous l’invocation de saint Jérôme)および同社から一九九七年に刊行された増補版(Collection « Tel » )を参照した。

 本書は第一部「翻訳者たちの守護聖人 Le Patron des Traducteurs」、第二部「技能と技芸 L’Art et le Métier」、第三部「技法 Technique」の三つの部から成る。そのうち第二部は前半の「翻訳について De la Traduction」と後半の「考察 Remarques」の二つのセクションに分かれており、大雑把に言えば、第一部と第二部の前半が翻訳論、第二部の後半と第三部が文学論や言語論と言えるだろう。以下に、本書の内容や成り立ちについて概観してみたい。

 まず第一部の「翻訳者たちの守護聖人」は、ラルボーがポール・ヴァレリーやレオン゠ポール・ファルグとともに編集していた季刊誌「コメルス Commerce」の1929年秋号に発表した同名の文章を収録したものである。ここで「翻訳者たちの守護聖人」と形容される人物とは、言うまでもなく、本書の書名にも含まれている「聖ヒエロニュムス」、すなわちエウセビウス・ヒエロニュムスに他ならない。この人物は初期キリスト教の教父であり、何よりも聖書のラテン語訳である『ウルガタ』を完成させたことで名高い。ラルボーはヒエロニュムスについて、「ヘブライ語の聖書を西洋世界にもたらし、エルサレムとローマ、そしてローマとロマンス諸語のすべての人々、あるいはその言語体系にラテン語の単語や表現——それらは多くの場合、『ウルガタ』中のものであったり、『ウルガタ』の最もよく知られた節とともに慣用化したヒエロニュムスの単語や表現なのであるが——を加え入れたすべての人々をつなぐ大きな架け橋を建設した者であった。他のどんな翻訳者がこれと同じことをしたであろうか。他のどんな翻訳者がこれほど巨大な企てを、これほどの大いなる成功と、これほどの時空の広がりをもつ影響を伴って達成し得たであろうか」と述べて、彼に惜しみない賛辞を呈するのだ(本書52頁)。 

 先に見たように、ラルボー自身も多くの外国の作家や作品を翻訳し、またそれらについて論じ、「文学の仲介者」として多大な功績を残した。彼の訳業に関して補足するならば、前記のジェイムズ・ジョイスに加え、彼が翻訳を行なった英語圏の作家や詩人には、ウォルト・ホイットマン、サミュエル・バトラー、アーノルド・ベネット、ギルバート・キース・チェスタトン(Gilbert Keith Chesterton, 1874-1936)、サミュエル・テイラー・コールリッジ、ナサニエル・ホーソーン、アーチボルド・マクリーシュ(Archibald MacLeish, 1892-1982)、イーディス・シットウェル(Edith Sitwell, 1887-1964)やロバート・ルイス・スティーヴンソン(Robert Louis Stevenson, 1850-94)、フランシス・トムソン(Francis Thompson, 1859-1907)などが含まれる。さらには、前記のアルゼンチンのリカルド・グイラルデスやメキシコのアルフォンソ・レイエスに加え、スペインのラモン・ゴメス・デ・ラ・セルナやガブリエル・ミロー(Gabriel Miró, 1879-1930)、イタリアのリッカルド・バッケッリ(Riccardo Bacchelli, 1891-1985)、エミーリオ・チェッキ(Emilio Cecchi, 1884-1966)、ジャンナ・マンツィーニなどの作品も翻訳したのである。このような秀でた翻訳業績を評価して、フランスの翻訳(理論)家エドモン・カリー(Edmond Cary, 1912-66)はラルボーを「現代の翻訳者の真の王」と評したのだが、翻訳者ラルボーあるいは「文学の仲介者」ラルボーにとって、ヒエロニュムスは偉大な先達であり、大きな目標であったに違いない。したがって、本書第一部のこの文章はラルボーのヒエロニュムスに捧げたオマージュであったと言えるだろう。

 そして、この「翻訳者たちの守護聖人」ヒエロニュムスへのオマージュには、この傑出した先人の功績を世の人々に想起させることによって、ラルボー自身もその一員である翻訳者の存在意義を強くアピールするねらいもあったものと思われる。この文章の冒頭にはこう記されている。

 翻訳者の存在は軽んじられている。翻訳者は最下位に置かれているのだ。言うなれば、他人のお情けだけにすがって生きている存在という具合に、である。最も取るに足りない役を自ら任じ、できる限り控え目に務めを果たすことを翻訳者は引き受ける。「奉仕すること」が翻訳者の信条であり、おのれのためには何一つ求めず、自らの選んだ主人たちに忠義を尽くすことのみを名誉とし、おのれの知的人格を無化するほどに忠実たらんとするのだ。だが、翻訳者をないがしろにし、翻訳者にまったく敬意を払おうとしないこと、そしてたいていの場合、翻訳者が訳そうと企てた原著者を裏切ってしまったと、往々にして何の証拠もなしに非難するためだけに翻訳者の名前を挙げること。反対に、翻訳作品が満足のゆく場合であっても、翻訳者を軽蔑すること、そのような振る舞いはまさに、この上なく貴い資質や類まれな美徳——自己犠牲、忍耐、思いやりそのもの、謹厳実直、知性、明敏さ、該博な知識、裾野が広くかつ敏速な記憶力——を蔑むことに等しいのだ。 (本書13頁)

 「おのれの知的人格を無化するほどに」原作者に「奉仕する」ことを「信条」とする翻訳者は「この上なく貴い資質や類まれな美徳」の持ち主なのであり、そのような高潔な人格の翻訳者が「軽んじられ」、「最下位に置かれている」ことはラルボーには到底受け入れ難いことであった。本書の第一部の文章には、こうした理不尽を正そうとする意図があったものと考えられるのである。

 ところで、後に本書の第一部を占める、この「翻訳者たちの守護聖人」の文章を発表した3年後の1932年に、やはり後に本書の第二部および第三部を構成することになる19篇の論考を収めた評論集『技法 Technique』がガリマール社から刊行される。これらの文章のうち、本書の第二部(第一セクション)に収録されることになるのは「鉛筆の先」のみで、他はすべて第三部に収載されることになるのだが、参考までに、それらの18篇の文章の題目を収録順に列挙すると以下の通りである(カッコ内は初出)。
 
 「新たな方針を打ち出すために」(「ヨーロッパ評論」誌1923年3月号)
 「ルナン、文学史と文学批評」(「ヨーロッパ評論」誌1923年6月号)
 「エミリオ・ベルタナとヴィットーリオ・アルフィエーリ」(「フランス゠イタリア」誌1914年)
 「三人の美しい物乞い女」(「コメルス」誌1930年春号)
 「残りはすべて」「マックス・ビアボーム、スタンダールとマシヨン」(いずれも「紙切れ Bouts de papier」の総題で、「ル・マニュスクリ・オートグラフ」誌1928年5・6月号)
 「資料—いくつかの地名」「歌の娘たち」(いずれも「紙切れ」の総題で、「ル・マニュスクリ・オートグラフ」誌1929年3・4月号)
 「選集」「ジョン゠ル゠トレアドール」「激しい嗚咽、統計の試み」「怠慢の罪」(いずれも「紙切れ」の総題で、「ル・マニュスクリ・オートグラフ」誌1930年3・4月号)
 「成年に到達すること」「文学的な句読法」「むかつく連中」「生存競争」(いずれも「塩か砂 Du sel ou du sable」の総題で、「コメルス」誌1930年夏号)
 「印刷業者への手紙」(「アール・エ・メティエ・グラフィック」誌1927年12月号)
 「索引」

 以上のような論考から成る『技法』の刊行を控え、1932年の3月から4月にかけてラルボーはギリシアのケルキラ島に滞在して、ゲラ刷りの校正を行なっていたのだが、当時の彼の日記には、「この評論集は準備中の著作、すなわち『聖ヒエロニュムスの加護のもとに』の(それに向けての第一段階)」と記されており、この頃にはすでに本書の題名が定まっていたことがうかがえる。さらには、その目次が以下のように記載されている。

 一、翻訳者たちの守護聖人
 二、技能と技芸
 三、歴史と批評
 四、技法、着想から印刷まで

 これから判断すると、この時点では本書は四部構成となることが想定されていたことがうかがえるが、章題を見比べれば、上記の第一部と第二部はほぼそのまま本書の第一部と第二部になり、第三部と第四部が統合、整理されて本書の第三部になったと考えてよいであろう。そして、同じ年の7月7日付けの友人マルセル・レイ宛ての書簡に、『聖ヒエロニュムスの加護のもとに』について、「次の冬には仕上げたいと思っているので、そうすると、1年後には刊行できるでしょう」と記されていることからすれば、1932年のこの段階で、本書は題目のみならず、その構成や内容もほぼ固まっていたと言えるだろう。すでに述べた通り、著者のラルボーはこれより3年後の1935年8月に脳卒中に襲われるわけであり、この三年の間に本書の最終的なかたちが定まっていったのである。

【目次】
第一部 翻訳者たちの守護聖人

第二部 技能と技芸  
  翻訳について   
   I 使命   
   II 翻訳者の権利と義務   
   III 翻訳者の喜びと利得   
   IV 翻訳者の天秤   
   V 執政官(コンスル)的書籍   
   VI 愛と翻訳   
   VII 決して終わらない話 EL CUENTO DE NUNCA ACABAR   
   VIII アレグザンダー・フレイザー・タイトラー   
   IX 鉛筆の先   
   X 短気な輩(やから)   
   XI 短気への対処法   
   XII 人間の名誉  
  考察   
   I 何人も神のために戦いつつある者は…… NEMO MILITANS DEO…    II とんでもない間違い   
   III 変な奴 IL MATTOIDE   
   IV ご一読を乞う L. Q.   
   V 擬古的表現   
   VI 物語体不定詞   
   VII インターナショナルをめざして   
   VIII 「カナダに行く ALLER EN CANADA」   
   IX 故(ふる)きを温(たず)ねる   
   X 母語   
   XI 「豚を殺す」   
   XII 軽石と塊金   
   XIII 我々のエンニウスが……したように ENNIUS UT NOSTER...    XIV 科学の進歩は……   
   XV 異国風   
   XVI 「私には恋人が二人いる」

第三部 技法――あるいは着想から印刷へ
 君主の専断
 「残りはすべて絵空事(リテラチュール)」
 マックス・ビアボーム、スタンダールとマシヨン
 煉獄(れんごく)のスタンダール
 激しい嗚咽、統計の試み
 歌の娘たち
 むかつく連中
 選集
 怠慢の罪
 引用
 ジョン゠ル゠トレアドール
 成年に達すること
 生存競争
 弾道学
 定冠詞の運命
 資料─いくつかの地名
 イグアス
 文学的な句読法
 新たな方針を打ち出すために
 ルナン、文学史と文学批評
 エミリオ・ベルタナとヴィットーリオ・アルフィエーリ
 三人の美しい物乞い女
 グラナダのカルトゥハ修道院
 印刷業者への手紙
 索引  

  人名索引

    ヴァレリー・ラルボー[1881–1957]年譜
    訳者解題

【訳者略歴】
西村靖敬(にしむら・やすのり)
1952年、神戸市生まれ。東京大学教養学部卒業。東京大学大学院人文科学研究科博士課程単位取得満期退学。千葉大学名誉教授。著書に、『1920年代パリの文学——「中心」と「周縁」のダイナミズム』(多賀出版、2001)、『文学の仲介者ヴァレリー・ラルボー——ラルボーとホイットマン、バトラー、ジョイス、ラテンアメリカの作家たち』(大学教育出版、2017)などがある。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。本篇はぜひ、ヴァレリー・ラルボー『聖ヒエロニュムスの加護のもとに』をご覧ください。

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