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ピエール・ルヴェルディ『魂の不滅なる白い砂漠 詩と詩論』訳者解題(text by 平林通洋、山口孝行)

 2021年7月21日、幻戯書房は海外古典文学の翻訳シリーズ「ルリユール叢書」の第15回配本として、ピエール・ルヴェルディ『魂の不滅なる白い砂漠 詩と詩論』を刊行いたします。ピエール・ルヴェルディ(Pierre Reverdy 1889-1960)はフランスの詩人。本書収録の、「イマージュは精神の純粋な創造物である。」という文章から始まる「イマージュ」は、アンドレ・ブルトンやルイ・アラゴンらに大きな影響を与え、のちにシュルレアリスムが提唱されることになったと文学史上で伝えられている詩論です。
 本書は、ルヴェルディによる「詩と詩論」の精選集となっています。初期から晩年にいたる詩人ルヴェルディの詩作品30篇を集めました。「イマージュ」のほかに、本邦初訳となる「詩と呼ばれるこの情動」などルヴェルディを理解するうえで決定的な詩論4篇を収録。また、エドゥアール・グリッサンによるルヴェルディ論「純粋な風景」(本邦初訳)を附しました。詩人ピエール・ルヴェルディの全貌を窺い知る決定版入門書ともなっています。
 以下に公開するのは、訳者・平林通洋さん、山口孝行さんによる「訳者解題」の一節です。

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ピエール・ルヴェルディ『魂の不滅なる白い砂漠 詩と詩論』訳者解題(text by 平林通洋、山口孝行)


 ルヴェルディのイマージュ論の革新性を明らかにするために、従前のイマージュ概念と比較してみよう。20世紀初頭文学においてイマージュは比喩や隠喩と同義であり、ある特定の表現対象をよりよく表現する修辞的手法として伝統的文学観の範疇に閉じ込められていた。だがルヴェルディは、「AのようなB」と表現することでAを用いてBという対象をより良く表現する修辞的表現ではなく、AとBを断片的詩要素として紙面上に並び置くことで、AだけでもなくBだけでもない、AとBを含み入れるCという新たな対象を読者の心の中で浮かび上がらせようと試みたのである。この詩人はあらかじめ意図した表現対象を、修辞的手法を駆使してより良く表わそうとするのではなく、無から有を生み出すような「創造」を強く意識しながら、「二つの現実の接近」によって喚起される「精神の純粋な創造物」こそが「イマージュ」であると主張したのである。

 上述のような「イマージュ」論の特徴が良く出ている詩作品をいくつか取り上げよう。まずは詩篇「朝方」(本書26‐27頁)である。

影はむしろ右に傾く
        輝いているのは金
空にはいくつもの折り目がある
青い大気
             ありえないような織物
多分それはもうひとつのレース模様
窓辺に掛かる       
        瞼のように瞬いている
風のせいで
    大気
          太陽
                夏
まだ到着していない

 この詩作品では、まず傾く「影」が現れ、その次に「金」が現れている。「影」が生まれるのは、明け方の光線である「金」が差しこんでくるからである。ここでは「影」(A)と「金」(B)の関係が結ばれ、さらに「青」、「風」などの断片的詩句を通じて朝の清涼な風景(C)が生じてくるのである。朝の光景は決して描写されたものではないが、読者の心の中に「創造物」として立ち上がってくる。「大気」、「太陽」、「夏」などの要素は朝の雰囲気を完成させるものであろうが、結末の否定の一文「まだ到着していない」を通じてこの詩作品を包む空気は変わってくる。この後で再び全体を読み返してみると、清涼な朝の風景とは異なった風景、光に取り憑く影、青いという色が醸し出す冷たさ、風だけが通り抜ける誰もいない風景が立ち上がってくるかもしれない。後者の風景もまた、読者において更新されて現れてくる「創造物」として価値あるものである。

 詩篇「文字盤」(本書18‐19頁)においては次のように観察される。

      月の上に
                ひとつの言葉
      とても高くにある文字
                片目だったのかも
      〔…〕

 ここでは「月」、その上に「言葉」が重ね合わされる。それだけでは、「月」の上に刻み込まれた「言葉」のような模様(A)が見えるというだけであるが、そこに「高」さ(B)が加えられることで、一気に夜空の光景(C)へと開かれる。夜の暗さと模様を明らかにしている月の明るさ、そして奥行きを兼ね備えた夜景である。次に、「片目だったのかも」とあたかも仮想の対話者に問いかけ確かめるように、段々と何を見ているのかが明らかされていく。「言葉」や「文字」が現れるとその意味をこちら側から探ろうとするものであるのにたいして、「片目」かもしれない何かは向こう側からこちらを見つめている。「言葉」や「文字」の言わんとするところを探ろうとしても掴めない宙づり状態のうちに、誰に向けたのか判然としない問いかけをとおして、高みから見られているかもしれないという不安感とも安心感ともなり得る感慨が月明かりに照らされる夜空の光景に満たされているのだ。

 ところが、現在最も手近なものとして読むことのできる『ルヴェルディ全集』やポエジー・ガリマール叢書『ほとんどの時間』では1925年のアンソロジー『海の泡』出版の際に修正された詩作品が採用されているが、本書で典拠とした1918年の初出作品とは大きく異なっている。

月の上にひとつの語が刻まれている
高みに一番大きな文字
それは片目のように潤んでいる[★05]
〔…〕           

 右に引用した詩作品(以下修正後作品と呼び、前に取り上げた詩作品を初出作品と呼ぶ)においては、断片的詩句の配置を実践していた作風とは違い、文章をもって詩句が構成されている。初出作品では「月」と「片目」は、問いかけを通じて緩やかに重ね合わされ、滲み合うようにゆっくりと浸透していったのであるが、修正後作品では「月」と「片目」が「~のように」を通じて明確に関係付けられ、比較されている。それによりルヴェルディの描き出そうとした風景がより明確に表されているのは確かである。だが初出作品の断片的な詩句を積み上げてゆく作風とは異なり、修正後作品では構成要素が叙述の流れのなかで静的に固定されてしまい、「イマージュ」論が訴えていた「二つの現実の接近」による「純粋な創造物」が私たち読者の心に浮かび上がっているとは言い難くなってしまっている。さらには「イマージュ」論では「それ〔イマージュ〕は比較から生まれることはなく…」(本書113頁)と明言されていたにもかかわらず、「~のように」が平然と用いられている。自ら提示した詩論が自らの詩作にはまるで関係ないかのようなこうした振る舞いはたしかに読者を困惑させるものではある。ルヴェルディはこうしたことへの説明をまったく拒絶し続けてもきた。

『ほとんどの時間』だけではなく修正前の初出のテクストにもアクセスできる現在、すくなくとも指摘できるのは、1925年のテクストは1918年当時の詩的力学を体現するものではなくなった、という事実である。つまり、修正後の詩作品を頼りにイマージュ論を解読しようとしても両者の繋がりは見えづらく、例えばブルトンが「シュルレアリスム宣言」でイマージュ論とともに明確に示した例、「女の顔をした象と、空とぶライオン[★06]」のように詩論と詩作品を合わせ鏡としたような例は見えてこないのだ。詩作品は必ずしも詩論の実践として捉えるべきではないとはいえ、あまりにも有名になったイマージュ論と修正後の作品の間にある乖離がなおさらルヴェルディ詩作品の読解を困難にし、読者を遠ざけてしまったところがあると言わざるを得ない。

 そこで1918年の初出時の詩作品を紐解いてみれば、そこにはやはり一貫した詩的構想が見えてこよう。その詩的構想とは、描写して詩世界を描き出すのではなく、断片的詩句を配置して読者の心の中に詩世界を描き出させることである。つまりルヴェルディにおける「イマージュ」は、叙述のレベルではなく読者の精神において初めて統合され現れてくるのだ。この統合は、詩作品において二つの詩語に限られることなく、多様にそして重層的に関連付けられた詩語によって織り上げられる。そのようにして現れた「イマージュ」が「創造物」と呼ばれるのは、メタファーや比較などの修辞的手法の効果や現実にある事物事象の模倣とはまったく異なる次元にあるからだ。読者が紙面に対峙をする。複数のイマージュを関連付けた読者の精神にはそれらを総合した心象像が現れる。まさしくそこにこそ、詩人が「詩的現実」と呼ぶ詩に固有な世界が開示されるのだ。ところが、一九二五年の修正で詩作品には補足的な要素が加えられて、若干解読の手がかりが与えられたかのようではあるが、実はこうしたダイナミックな詩的生成運動は見えにくくなってしまっている。それゆえ本書では一九一八年に出版された『屋根のスレート』と『眠れるギター』の作品については、修正後のテクストが採録された『ほとんどの時間』ではなく、それぞれ初出のテクストを採用することにした。 


[★05]『ルヴェルディ全集I』、166頁。 以下『全集I』と略記する。
[★06]アンドレ・ブルトン『シュルレアリスム宣言 溶ける魚』、巖谷國士訳、岩波文庫、72頁。

【目次】

詩人のことば──巻頭言に変えて

I 詩
(スレートが一枚ずつ……)
文字盤
天窓
夜遅く
鐘の音
朝方
太陽
待ちながら
予見されたパリ
現在の精神
美しき西方
より清らかな血
セントラル・ヒーティング
さらに愛を
いつも愛を
翼の先端
自由の種
愚かさの鞘
忘却の標石
流れ星
近くのドア
魂の不滅なる白い砂漠
美で満ちた頭
二つの星
水平線を飲んだくれる者ども
不意の心情
秘められた内奥
季節の翌日
ギリシア旅行
流砂
「I 詩」解説

II 詩論
イマージュ
抒情

詩と呼ばれるこの情動
「II 詩論」解説

  附論
   エドゥアール・グリッサン「純粋な風景」

   
    ピエール・ルヴェルディ[1889–1960]年譜
    訳者解題
    訳者あとがき
【訳者紹介】
平林通洋(ひらばやし・みちひろ)
1972年大阪府生まれ。立教大学文学研究科博士後期課程満期退学。パリ第三大学DEA課程修了。いくつかの大学でフランス語講師を務めた後、現在は仏語圏アフリカ諸国との国際協力を中心に日仏通訳・翻訳者として活動。

山口孝行(やまぐち・たかゆき)
1970年群馬県生まれ。筑波大学博士一貫課程修了。博士(文学)。パリ第三大学マステールⅡ修了。現在はECC国際外語専門学校専任講師、神戸大学国際教養教育院および人文学研究科非常勤講師。主な著書に『ピエール・ルヴェルディとあわいの詩学』(水声社、2021年)がある。

 最後までお読みいただき、ありがとうございました。本篇はぜひ、『魂の不滅なる白い砂漠 詩と詩論』をご覧ください。