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新井高子『唐十郎のせりふ 二〇〇〇年代戯曲をひらく』まえがき「奇想と知恵」全文公開

 2021年12月1日、幻戯書房は新井高子著『唐十郎のせりふ 二〇〇〇年代戯曲をひらく』を刊行いたします。
 1960年代に旗揚げした「状況劇場」から現在の「劇団唐組」まで、半世紀以上にわたり日本の演劇界を牽引し続けてきた鬼才・唐十郎。今年12月に渋谷シアターコクーンで再演される代表作『泥人魚』をはじめ、その芝居は厚い支持を得てきました。一方で、「一度見ただけでは全貌が掴めない」「難解」とも評されてきた戯曲の迷宮、ことにこれまで言及が少なかった2000年代に光をあて、秘められた伏線とメタファーを次々に読み解くのが本書。
 今回公開するのは、本書のまえがきにあたる部分です。詩人でもある著者が「文学探偵」として見出した、鬼才の「巨大な耳」とは――?

12月19日、巖谷國士さんとのトークイベントを開催予定しています)

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奇想と知恵――まえがきとして

 劇作家、唐十郎。「鬼才」という語がこれほど似合うひとがあるだろうか。

 彼の芝居小屋は仮設のテント。新宿花園神社で、雑司ヶ谷鬼子母神で、はたまたほかの町の広場で、紅色のそれが夕闇に包まれるころ、劇団員の声が高らかに響き、客入れがはじまる。小さな入口をくぐってテントに足を入れ、天井を見上げれば、まるで巨大な生きものの皮膜のように赤い布地がたわんでいる。ここを胎内に喩えたひとがこれまで幾人あっただろうか。

 腰を下ろし、めいめい筵に座りだす観客たち。前方と花道の脇から席が埋まっていく。袖すり合う縁になったお隣りさんに、挨拶するひともある。舞台を見やれば、どこかの裏ぶれた一角が設えられ、開演まで暗転しながら息を潜めている。テント後方の小さな屋台のような音響室では、奥ゆかしいオープンリールの再生機もその開始を待っている。

 このような特別な道具立てで、唐十郎の演劇は半世紀以上つづいている。一九六〇年代に、いわば時代の寵児として、状況劇場を引っさげて登場した彼は、八〇年代末にそれを解散したのちも、新たに立ち上げた劇団、唐組で、独自のテント興行をさらに貫き通した。

 劇中、役者への掛け声が響いたり、しきりに客席から笑い声が上がったり、時にしのび泣きが聞こえたりするそこでは、劇と人間のつきあいが懐かしいほどに濃い。さらに、鬼才ゆえの幻想性に富む奔放なその作品は、しばしば「迷宮」と評されてもきた。

 正直に言えば、一見だけですべてを摑むことはできないのだ。それにもかかわらず、芝居が跳ねても、真っすぐうちに帰れないような、なにかにとり憑かれてしまったかのような、強烈なとどろきが胸に宿る。頭を揺らす。

 詩や小説など、ほかのジャンルを含めて見渡しても、唐演劇の複雑さ、奇々怪々さは傑出している。凄まじいことばの坩堝がここにはある。劇評や人物論、行為論はこれまで数多くしたためられてきたが、そのことばが記された「戯曲」に殊に注目し、文芸としての魅力を捉えたものがむしろ稀れであったのは、もしや難解さのせいであったかもしれない。だが、ゆえにこそ、それは汲めども汲めども尽きない宝箱である。

 本書は、これまで言及が少なかった唐組時代、その成果が実った二〇〇〇年代の戯曲の面白さを、できるかぎりひらき、風を入れてみたいと思う。迷宮とくくるだけでなく、その複雑なせりふを読み込むことで、扉を開けて内側に分け入り、テーマや劇作術をできるかぎりとき放ちたいと思うのだ。

 読売文学賞、紀伊國屋演劇賞、鶴屋南北戯曲賞をトリプル受賞した唐組の代表作『泥人魚』(二〇〇三年)の手前ごろから、じつは唐十郎は、状況劇場時代とは異なる鉱脈をしっかと当て、掘り進めていた。その寵児を卒業した彼は、時代なるものをむしろ距離をもって突き放し、その上で、なにを働きかけるか、いまの状況になにを投ずるべきか、果敢に追求してきたのである。その思想と方法は、かつて以上に考え抜かれているとさえ思う。河原乞食を標榜し、テント芝居を長らく続ける劇作家ならではの、地べたに近い、低みの目線が貫かれた一作、一作。現代批評に満ちたそれらは、唐十郎という稀代の知恵者による哲学の凝縮であるとも思う。

 本書の各戯曲論では、二〇〇〇年代に主に唐組で上演されたものから、十五作品をとり上げる。

「Ⅰ 幻獣篇」は、その劇に親しみのない読者への案内にもなるよう、唐十郎という人間、また、状況劇場から唐組への変化と継承が伝わりやすい作品を選んだ。前掲した『泥人魚』の考察も収めつつ、本書の入口になればと思う。

「Ⅱ 宝箱篇」は、『泥人魚』前を扱う。唐組時代に摑んだその鉱脈がここで鮮明になる。

「Ⅲ 疾風篇」では、『泥人魚』後を取り上げる。Ⅰ、Ⅱで論じた唐の世界観がさらに発展するとともに、紙芝居やラジオドラマなど、みずからの幼少期をふり返って原点を再構築する戯曲も執筆された。

「Ⅳ 謎海篇」には、二〇一二年五月、突然の転倒事故によって脳挫傷を患い、筆を折った唐の最晩期に当たる作品をまとめる。

 なお、『透明人間』『虹屋敷』『ジャガーの眼』は、二〇〇〇年代の上演に際し、旧版の改訂がそれぞれなされた。唐によって新たに投じ直された大事な戯曲なので、新作ではないが、改訂版を底本に本書で論じた。

 終章の総論「Ⅴ 巨耳篇」は、二〇〇〇年代を中心にしながらも、状況劇場時代との比較なども踏まえて、「唐十郎のせりふ」の特徴をさまざまな角度から考える。また、各論を補足するとともに、魅惑的なことばの源泉を探る。

 唐十郎という摩訶不思議な才能、奇想のかたまりのようなその戯曲の、さらなる羽ばたきの一助になれば幸いである。本書は、せりふの行間をさぐる旅、その迷宮に対する一種の「探偵」かもしれない。

【目次】
奇想と知恵――まえがきとして

Ⅰ 幻獣篇 
鉄砲水よ、分裂のかなたで咲け!――『透明人間』2006(改訂再演版)  
ひょうたん池の海底は、永遠――『風のほこり』2005
詩は溢れる、極小の海に――『泥人魚』2003

Ⅱ 宝箱篇 
唐版・卒塔婆小町――『虹屋敷』2002(改訂再演版)
人形が人間になるとき――『夜壺』2000
使え、いのちがけで――『闇の左手』2001
へその糸を切っちまえ――『糸女郎』2002

Ⅲ 疾風篇 
二つの風、一センチの宇宙――『鉛の兵隊』2005
メールストロームの彼方で笑え!――『津波』2004
渾身の夕暮れ――『夕坂童子』2008
縫え、記憶という絵を――『紙芝居の絵の町で』2006
不死身のかたまり――『ジャガーの眼2008』2008 (改訂再演版)

Ⅳ 謎海篇 
漆黒の女坑夫は、何処へ――『黒手帳に頬紅を』2009
「八重」という女――『西陽荘』2011
水の大工か、唐十郎は――『海星』2012

Ⅴ 巨耳篇
唐十郎のせりふ―二〇〇〇年代戯曲を中心に

詩のように読む――あとがきにかえて
唐十郎略歴
【著者略歴】
(あらい・たかこ)1966年、群馬県桐生市生まれ。慶應義塾大学大学院修士課程修了。詩人。埼玉大学准教授。詩誌『ミて』編集人。詩集に『タマシイ・ダンス』(未知谷、小熊秀雄賞受賞)、『ベットと織機』(未知谷)等。英訳詩集に『Factory Girls』(Action Books、Jeffrey Angles編)等。編著に『東北おんば訳 石川啄木のうた』(未来社)。共著に『世界文学としての〈震災後文学〉』(明石書店)等。企画制作した映画に、『東北おんばのうた』(監督・鈴木余位、山形国際ドキュメンタリー映画祭2021アジア千波万波部門入選)。アイオワ大学国際創作プログラム2019招待参加。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。この続きはぜひ、新井高子『唐十郎のせりふ 二〇〇〇年代戯曲をひらく』をご覧ください。