壽 乱舞音曲祭を見たら感情が大きすぎたのでここで吐き出させてくれ①
※この感想はネタバレ、個人的なキャラへの解釈が含まれます。地雷がある方は他の記事をお読みください。
2021年1月17日
私は久しぶりにミュージカル刀剣乱舞のライブを鑑賞していた。推しが刀ミュに出演しなくなって以来、私は心の中で刀ミュを避け続けていた。新しい沼へ足を踏み入れてしまうのではないか、推しが出てこない舞台はつまらないのではないかなどというつまらない先入観を持って無意識に遠ざかっていた。しかし壽が開幕した日から私のTwitterのタイムラインは壽の感想であふれていた。様々な感情が私のスマホ画面を泳いでいる。コロナ禍でことごとく舞台が中止・延期していく中こんなにも様々な感情が渦巻きながらも一体化したTLを見たのは久しぶりだった。
さすがに現地には行けないのでディレイ配信付きの配信を購入し観劇する。ぶっちゃけ期待はしていない。推しが出ていないからだ。推しのいない刀ミュは私にとってあんこの入ってない大福のようだった。
数分間画面の前で待機したのち、刀剣男士が画面の前で舞台を駆け回る。観劇上の注意事項を刀剣男士が雑談を交えながら説明していく。この前説は今回は浦島虎徹と日向正宗だった。今回しか見ていないのでどこが回替わりかはわからない。もしかしたら毎回この二振りがやっていたのかもしれない。前説の中に「いい塩梅」というセリフがある。ご存じの通り日向正宗は梅干しキャラだ。「塩梅」と「梅干し」をかけていたのなら初手からとうらぶギャグをかまされた。面白いな。
曲が始まる。私は好きなキャラには幸せに笑っていてほしいと思っている。しかし三日月宗近は蓮の花を持つと必ず悲しい顔をする。理由はわかっているがどうかそんなに苦しくて悲しそうな顔をしないでくれ。だれか三日月の持つ花をカーネーションか何かにかえてはくれないか。私は彼の憂い表情を見ると胸が締め付けられ、いわゆる「しんどく」なるのだ。祭りは弔いだという表現が過去の真剣乱舞祭であった。きっと彼の祭りであり弔いは蓮の花を持ち今まで関わってきた過去の人物たちを思いながら歌うことなのかもしれない。それが歴史であり三日月宗近の感情なのだ。傍観者である私はそれを受け入れるしかない。
三日月宗近と子狐丸のデュエットが終わると戦うモノの鎮魂歌を6振りが歌う。やはりこの祭りは弔いなのか。しかし個人的に今までの刀ミュの歴史をなぞるように阿津賀志、天狼、三百年という順番で歌ってくれたことがすごくうれしかった。私に大きな地雷はない。しかしあまり新しい曲をごり押しされてしまうと少し気持ちが引いてしまう。適切な言葉が浮かばないが過去の曲をないがしろにされているというか、過去を無かったことにされている気分になってしまうのだ。演出家さんにそのような気持ちは一切なく私の認知の歪みからくる感情だというのもわかっている。それでも公演順に曲が流れると少しうれしい気持ちになる。
鳥の群れが空を飛ぶ映像が流れ三日月宗近が登場する。彼はいつも悲しげな表情を浮かべる。「友」を思い出しているのだろうか。私に彼の気持ちはわからない。わからないからこそ不安になってしまう。もう少し笑っておくれ、と三日月宗近に思いを馳せていると「序章」が始まる。感覚的に刀ミュの新章の始まりを感じた。公演の順番としては恐らく大きな刀ミュの歴史の一部分なのだが、刀ミュの転換、歌詞もあいまって世代交代という言葉が頭に浮かんだ。画面いっぱいの陸奥守吉行が銃を撃ち、この曲は終わった。私が刀ミュが変化したのかと感じ取ったのは「序章」という曲だけでなくこの演出があったからかもしれない。
MCを挟みパライソでの曲だろうか?聞き覚えの無い曲が流れる。私が本格的に刀ミュから離れ始めたのが葵咲本紀のあたりなのでこの曲がどこでだれが歌っていたのかは確かではない。ただ曲がかっこよくて好きな曲だなって思いながら聞いていた。
衝撃を受けたのはこの次の曲だ。篭手切江がソロで歌い始めた。1部でソロを張るなんてすごいな。さすがアイドル系刀剣男士。と思ったら他の江の仲間たちが一緒に歌って踊るではないか!!え?やば、むりむりすごい、これ前にピクシブで見たやつ。と急に体から汗が吹き出し鼓動が高まり明らかにテンションが急上昇する。申し訳ないが歌詞はほとんど覚えていない。なぜなら豊前江の顔が良すぎるから。もともとTwitterで豊前江の顔がいいことは知っていた。私の好きな顔のタイプであることも、あの顔面が歌って踊っていたら沼るんだということも全部、全部承知していた。彼は私を歌って踊り、カメラ目線をしながら沼へと引きずり込んだ。なんて罪な男だ。恐ろしい。私は無意識に豊前江の顔面を目で追っていた。気づいたら彼を見ているのだ。初恋か?彼は私に初恋を思い出させてくれたのか?なんて罪な男なんだ。豊前江の話をしたついでに伝えたいことがある。刀剣乱舞ユーザーは今すぐ刀剣乱舞にログインして景趣を桜に変更して豊前江のセリフを聞いてほしい。飛ぶぞ。
話が逸れて申し訳ない。ちなみにまだアイドル江の話は続くので飽きた方は次の段落まで読み飛ばしてほしい。江の顔面偏差値が高かったおかげでこの曲の歌詞はほとんど覚えていないのだが瀕死の状態で私はメモを残していた。それは「ひざまくら」という言葉だった。私の脆弱な海馬に鞭を叩いて記憶を呼び起こすと恐らく豊前江がひざまくらという言葉を発していた気がする。ごめんなさい、この記憶はマジであいまい。篭手切江が言っていたような気もするしよくわからない。私の記憶を改竄もしくは飛ばしてしまうなんてなんて罪な男たちなんだ。大罪だぞ。
江で発狂した後に浦島虎徹、蜂須賀虎徹、長曾祢虎徹の3振りが舞台に現れる。虎徹推しの友人が興奮していた理由がやっとわかった。私は虎徹に特別な思い入れがあるわけではない。しかしあの3振りは様々な媒体で様々な展開をされていたし、二次創作でもよく見る。だからだろうか、あの3振りが現実に同じ空間にいたという事実だけで、いままで虎徹を贔屓目に見たことなかった私でさえも興奮した。しかし私以上に興奮している人がいるのであまりはしゃぎすぎず、私は静かに彼女のツイートのハートに色を付けるのだった。
虎徹で興奮した後に沖田組が歌う。一言でいうと猫の曲だ。曲調が軽く振り付けもかわいい2振りにぴったりの曲だった。しかし私は事前に友人から沖田総司が亡くなる直前に黒猫を切ろうとして切れなかったという情報を聞いていたので、すごく複雑な気持ちでこの曲を聞いた。加州清光と大和守安定がどんな気持ちであの曲を歌っていたのだろうか。ただ単に自分たちを猫に例えて歌っていたのか、元の主の悲しい過去を思いながら歌い、踊っていたのだろうか。私にはわからない。しかし「祭りは弔い」この言葉をじっくりと味がなくなるまで噛み締めた。
次にかざぐるまを全員で歌う。正確には途中から全員が歌っていたが詳しい記述は割愛させていただく。たびたびこの曲はらぶふぇすなどで歌われてきた。私はこの曲を聴くたびに「歴史は大きな川なんだ」という言葉を思い出す。今までの歴史が小さな出来事が集まってできた大きな歴史であると同時に、私たちが過ごしている今ここでの時間も小さな川であるのではないだろうか。刀剣男士と過ごした時間が集まって大きな刀ミュの歴史となる。刀剣男士だけが存在していても、主だけが存在していても刀ミュの歴史は成り立たない。二つの存在があるから初めて歴史という大きな川が存在する。そんな壮大な気持ちにさせてくれるこの曲を今まで歴史を紡いできた刀剣男士が歌う。なんて幸せなんだろか。過去の刀ミュの歴史とこれからの刀ミュの歴史に思いを馳せながらかざぐるまに聞き入る。
「かざぐるま」で歌っていたオールキャストで続いて「まほろばに」を歌う。厳島神社で歌われた大切な歌を5周年という節目の年で歌ってくれる。なんて幸せなんだろうか。「まほろば」は「素敵な場所」という意味だそうだ。刀剣男士が今日この舞台を素敵な場所にしてくれている。主はこの空間や時間を「まほろば」と思っている。刀剣男士たちはあの場を「まほろば」と思ってくれていたのだろうか。少なくとも私があの時過ごした時間は「まほろば」だった。これは紛れもない事実だ。あの曲は個人的に心に残る歌詞がちりばめられている。その中に「闇照らす空鏡」という歌詞を三日月宗近が歌う。簡単に説明すると「空鏡」は「月」を指すそうだ。この歌詞は彼にぴったりだ。「かざぐるま」から「まほろばに」の流れでは感無量であった。不安な時世、彼らはこの時世を照らしてくれる空鏡なのかもしれない。
最後まで読んでくれてありがとう。
②へ続く
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?