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第5話 四月になれば彼と彼女は

「 恋愛小説を書いてみようと思うんです」
『世界から猫が消えたなら』『億男』の二作を書いた後、編集者に相談した。
「あー最近、売れないんですよね、恋愛小説」
意外な答えが返ってきた。

なぜ? 恋愛小説はベストセラーの定番だったはずなのに。
謎を解くべく、周囲に聞いて回った。
「最近どんな恋愛をしていますか?」

「彼氏とか彼女とかいたことないし、いらない」学生たちが平然と言う。
「結婚どころか、最近は好きな人すらできない」仕事仲間がつぶやく。
「結婚したけれど、愛が情に変わってしまった」先輩たちが苦笑する。

僕の周りから恋愛が消えていた。

書くべきラブストーリーが見当たらず、途方に暮れた。
けれどもある日「この状態をそのまま物語にしたらどうか」と思い至った。
「恋愛がある」ことではなく「恋愛がない」ことを書くのだ。

過去に恋愛をしていた様と、いま恋愛しなくなった様。
同じ人間のふたつの時代を交互に描くことで、その“差分”が恋愛をかたどるのではないかと仮定した。

どうして、恋愛が消えたのか?
その答えを求めて、結婚後のうつやセックスレスの診療をしている四十代の精神科医のもとを訪ねた。

「多くの人にとって、恋愛や結婚は非合理的です。お金もかかる、時間もとられる、失恋や嫉妬で心を乱される」

僕の質問に対して、彼は淡々と答えた。それはまるで診療のようだった。

「現代において恋愛や結婚はデメリットだらけ。だったら、ひとりでいたほうがいい、となるわけです」

説得力のある精神科医の言葉に、頷きながらメモを取った。
けれども、どこか違和感があった。

ひと通り話を聞き終えた後、精神科医の診療室を出た。
出口まで見送ってくれた彼に、僕はずっと気になっていたことを訊ねた。

「先生は精神科医として、たくさんの患者を診てこられたと思うのですが、ご自身のことで悩まれたりしないのでしょうか?」

唐突な問いに、彼は言葉を失った。しばらく考え込むように遠くを見つめたのちに、ささやくように言った。

「・・・実は今日ここに来る前、妻と離婚するかどうかの話をしていました。もう二年ほど妻の体に触れていません」

彼は僕に視線を戻し、続けた。
「医者の不養生とはよく言ったもので・・・お酒で失敗している先生がアルコール中毒の患者を診ていたり、うつ病の担当医が不眠だったりするんです。わたしたちは、自分の問題を解決したくて医者になったのかもしれないですね・・・」
そう告白すると、彼は恥ずかしそうに微笑んだ。
その日、彼が初めて見せた笑顔だった。

その笑顔を目にしたとき、小説のテーマがくっきりと見えた。
「わたしたちは、自分の問題だけは解決することができない」
他人の問題に対しては、いくらでも正しい答えを提示することができるのに。

四月。
精神科医の男の元に、九年前に別れた初恋の人から手紙が届く。
ウユニ湖から送られたその手紙には、鮮烈な恋の記憶が書かれている。
だがその時、彼は結婚を決めていた。
愛しているのか、わからない人と。

題名は、サイモン&ガーファンクルの名曲から採った。

四月に出会った彼女と僕は、五月、六月と愛し合う。
しかし七月、八月と彼女は不安になっていく。
そして九月、彼女は消えてしまう。

そんな六カ月の恋愛の様を、サイモン&ガーファンクルが歌っている。

ずっと気になっていたことがあった。
なぜ、サイモン&ガーファンクルは半年分しか歌わなかったのだろうか?
十月から先の、恋愛の行く末が気になった。

この小説で描く恋愛は四月から始まり、九月まで辿り着く。
恋愛はそこで、ひとつの終わりを迎える。
しかし、そこから次の物語が始まる。
人は愛を失ったあと、どう生きるのか。
愛を探しながらもがく男女を描き、次の四月にバトンを渡す物語を描こうと思った。

そして歌詞のように、目次を立てた。

四月になれば彼女は
五月の横顔
六月の妹
七月のプラハ
八月の噓
九月の幽霊
十月の青空
十一月の猿
十二月の子供
一月のカケラ
二月の海
三月の終わりに彼は

そして小説『四月になれば彼女は』が世に出ることになった。

『四月になれば彼女は』(文春文庫)


小説が出版されたあと、佐藤健から連絡をもらった。ちょうど映画『世界から猫が消えたなら』の公開が落ち着いたら頃だった。

小説のなかにある、とある一文について彼と話し込んだ。
あれから七年が経った。

映画『四月になれば彼女は』が、六カ月後の2024年3月22日に公開となる。

佐藤健、長澤まさみ、森七菜が、それぞれ藤代俊、坂本弥生、伊予田春を演じてくれた。わたしたちが失ってしまった恋愛とは何か、彼らの身体と瞳が教えてくれる。
七年前に彼と話した小説の一文は、映画の核となって残っている。

監督は山田智和。米津玄師「Lemon」、藤井風「青春病」、あいみょん「マリーゴールド」、そして最近は宇多田ヒカル「Gold ~また逢う日まで~」など素晴らしいミュージックビデオを作ってきた35歳の新鋭だ。ウユニ、プラハ、アイスランドと壮大なスケールの海外ロケを経て、間もなく完成となる。

これから映画公開までの半年。小説のこと、そして壮絶だった映画撮影のことなど。彼と彼女たちについて、少しずつ綴っていけたらと思う。

映画「四月になれば彼女は」
2024年3月22日公開

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