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第3話 世界から彼が消えたなら

大学生のとき、大好きな叔父さんが亡くなった。
脳腫瘍。四十七歳の若さだった。

叔父さんは柔道家で、体が大きく強面だった。
柔道をあきらめた彼は、青森で時計眼鏡店を営んでいた。
大きく太い指で、小さくて細かいものを器用に直した。

もともとアウトローだった叔父さんは、子供の僕をたびたび“悪事”に誘った。ふたりで風呂に入ると「酒盛りするべし」と言って酒を飲ませてくる(あとでそれを聞いた母親はカンカンだった)。「ボーナスだはで」と耳打ちしながら、裏でこっそり追加のお年玉をくれた(父親の面目が潰れたのは間違いない)。

ある日、ふたりでドライブにでかけた。
叔父さんの家から車で数十分走ると、一面のりんご畑が広がる。盛夏。青々と葉を茂らせるりんご畑の真ん中で、突然車が止まった。
「元気、運転してみべし」
小学生だった僕は困って、うつむいた。
「大丈夫だきゃ。簡単だはで」
叔父さんは繰り返す。

覚悟を決めて、運転席に移った。
叔父さんの丸太のような膝の上に座り、ハンドルを握る。ゆっくりと車が走り出す。焦ってハンドルを回すと、車が左右にぶれる。タイヤが側溝に落ちそうになった。

「わいは! ちゃんと持たねばまいねよ!」
叔父さんが笑いながら、後ろからハンドルを支える。車がまっすぐに走り出す。てのひらは汗でぐっしょりと濡れていた。叔父さんがアクセルをさらに踏み、車が加速する。窓を開けると、夏の匂いが飛びこんでくる。

気づくと、目の端から涙が溢れていた。
緊張がほぐれたからなのか、気持ちよさに感動したのか、あのときの感情をどうあらわしたらいいのか分からない。
でもいまだに、そういう感情を言葉や映像にして伝えたいと思っている。

高校生のとき、叔父さんが倒れて病院に運ばれた。
その電話を父から受けたとき、なぜかあの日の“秘密のドライブ”のことを思い出した。
「お母さんには内緒だはで。男の約束だきゃ」
そう言って差し出した彼の大きい手。その硬い感触とともに。

亡くなる前、叔父さんに呼び出されて、横浜からひとりで青森に向かった。
狭い部屋で、ふたりきりで話した。
「わ、お前のことが好きだ」
彼は言った。
「でもお前は、わのことを忘れるんだべな」
そんなはずがない、と僕は答えた。
「いや、みんなが、わのことを忘れる。この世界は、わがいなくなっても、なんの変わりもなく明日を迎えるんだ」
そう言って、僕の前で子供のように泣いた。
何も言い返せなかった。彼は豪胆な柔道家だったが、シニカルで涙もろい男だった。
彼の、そういうところが好きだった。

数か月後の早朝、叔父さんは亡くなった。
僕はその知らせを東京で聞いた。
確かに、叔父さんがいなくなっても朝日は昇り、山手線はいつもの通りに動き、スクランブル交差点は人で溢れていた。せめて雨でも降ってくれたら、空が泣いている、とか言えたのに、その日に限って東京上空はバカみたいな快晴で、それが余計に悲しい気持ちにさせた。

叔父さんが言ったとおりだった。
彼がいなくなっても、世界は何も変わらないように見えた。
でも果たしてそうなのだろうか?
僕の心の中に、叔父さんの言葉が残り続けた。

それから十年が経ち、僕は『世界から猫が消えたなら』という小説を書いた。
脳腫瘍で余命わずかと宣告された男が、一日の命と引き換えに、世界からひとつずつ物を消していく物語。

書きながら、叔父さんの言葉に答えを出そうとしているのだと気付いた。

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