経営に活かしたい先人の知恵…その10
◆利他の大欲◆
老子は「足る(満足する)ことを知る者は、心の豊かな人である。いかに千万の富を積んでも、満足を知らず、なおも欲しいと望む心がある者は、心の貧しい人である」といっている。
仏教には「少欲知足」との教えがある。欲望は苦のもとになるものだから、欲望は程々にして我慢せよ、という。
しかし、本来人間には、長生きしたい、お金持ちになりたい、幸せになりたい等々、無限と言っていい程の欲がある。我々は、日常生活を送るに際して、欲とどのように付き合えばいのだろうか。私が共感するのは、松原有慶さん(高野山大学名誉教授)の著書「空海」に書かれている以下の指摘だ。
「密教では、欲望を抑制せよとは言わない。欲望は生きる原動力であるから、それになまじブレーキをかけると、行動する意欲を減退しかねない。けれども人間の生々しい欲望をそのまま認めるわけではない。そこが仏教としては、難しいところである。密教では人間の欲望を、日常的で卑近な生々しい欲望ではなく、いっそのこと、それを宇宙的な規模まで広げよ、という。それを密教では『大欲』と呼ぶ。大欲の大とは、小に対するような相対的な大ではない。自己の欲を超えた利他の欲として育て上げろということになる」
真言宗の経典「理趣経」に「大欲得清浄」(たいよくとくせいせい)という経文があると聞く。大きな欲を持てば清らかになる、といった意味で、欲は捨て去る必要がなく、清らかで大きな「利他」の欲を持てとの教えだ。
私が出会った経営者で、明確に「欲」について語っていたのは、堀場製作所創業者の堀場雅夫さんだ。堀場さんは、欲について、大意次のように語っていた。「昭和20年代、30年代の経営者と、今の経営者が決定的に違うのは何か。それは、欲の質だ。昔の経営者は今の経営者よりもっと、あるがままに生きていたと思う。欲は決して悪ではない。食欲、性欲、物欲、名誉欲、征服欲(一般には「睡眠欲」とされる)の五欲は神から授けられたもの。人によって強い、弱いはあっても、誰もが持って生まれてくる。人に危害を与えたり、困難に陥れたりして自分の欲を達成しようというのは強欲といってこれはいかん。でも五欲は、強欲と一字しか違わんけど別物。五欲は、神が人間という種族を守るため、成長させるために与えた貴重なもの。親がくれたものでも、自分が努力して得たものでもない。にもかかわらず、『五欲はいかん』というのは、神をも恐れぬ怪しからぬ奴。でも、最近は、強欲者は目立つが、五欲の弱い人が多い。6合目あたりまで登れば、『こんなもんかな』という経営者ばかり。『この商売はもっといけるで』と励ましても、『もうしんどいので、これくらいでよろしいわ』と立ち止まろうとする」。
利他の大欲が、人と組織を発展させる原動力になると考えたい。
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