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経営に活かしたい先人の知恵…その15

◆欠点のない指導者はいない◆


 中国古典、とりわけ儒教系の本には、指導者層に対して厳格な教えが説かれているように思われるかもしれないが、決してそんなことはない。どんな人間にも長所と短所があることを認めた上で、人物評価においては、寛容なところが結構ある。

 春秋時代(紀元前770~前403年)に、最初に覇王になった(諸侯のトップ)斉の桓公と臣下の管仲の問答が示唆に富んでいる。

 桓公は管仲に、「私の身には、狩猟が好き、酒が好きで昼も夜も飲み続ける、色を好むという、大きな三つの邪悪がある。それでもなお国を治めることができるであろうか」と、訊いたことがある。管仲の答えは、以下のようなものだった。

 「確かに悪いに違いありません。しかしながら、悪いといってもそれほどひどいものではありません。人の上に立つ君主にとっては、ただ、人物を見抜くことができないことと、ぐずぐずためらうことだけがいけないことなのです。人物を見抜くことができなければ、人から見離され、ためらっていれば、事を行なうのに間に合わないのです」。

 管仲は、リーダーに求められる重要な資質を、人物を見抜く洞察力と決断力だと考えていたようで、このふたつが備わっている桓公は、それほどひどいものではないと答えたのだ。

 お釈迦様も完全な人間はいないと指摘している。法句経(釈迦が入滅後最初にまとめられた経典)に「ただ誹(そし)られるだけの人、またただ褒められるだけの人は、過去にもいなかったし、未来にもいないであろう、現在にもいない」とある。昔も今も未来も、いずれの世にも、完全無欠な人間は存在しないようだ。

 中国の歴史上、稀代の名君として名を残す、唐の二代目皇帝太宗にも欠点はあった。『貞観政要』の著者、呉兢は「太宗は欠点も多く、多くの過ちを犯した人」と前置きした上で、「太宗の美点は、自己の欠点をよく知り、諫臣の言葉をよく入れて、改めるべきことは速やかに改め、その直言を少しも怒らず、感情を害することもなく、逆に、直言してくれた者に必ず報奨を与えた」と、その人となりを分析している。

 コーチングの神様の異名をもつ、アメリカのマーシャル・ゴールドスミスさんは、『自らの短所(欠点)を受け入れ、よくなろうと決意することが重要』だと、最初にアドバイスし、それを受け入れた者にだけコーチするという。太宗の明君たる所以は、短所を受け入れ、改める努力をしたところにあると理解したい。

 また、『「人の上に立つ」ために本当に大切なこと』の著者ジョン・マクスウェルさんは、「才能豊かな人たちが一定レベルの成功を収めた後、突然鳴かず飛ばずになってしまうのを見たことがあるだろう。その現象を解くカギは人格にある」と、書いている。

 才能があれば、一定レベルの成功は手にできるが、徳を併せ持っていないと、昇進を重ねるにつれて、嫌われ者になっていく、と理解すればいいだろう。

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