謙遜は美徳だが、乱用は厳禁 ~①謙遜される前提で褒めている~
謙遜を美徳としすぎる風潮、どうにかなりませんかね?
謙遜について、良くないと思うことがいくつかあります。
①謙遜される前提で褒めている
普段、人を褒めていますか?
素直に人を褒めることのできる人も少なけりゃ、誰かからのお褒めの言葉を素直に受け取ることのできる人も少ないのです。
子供相手に褒めることはできても、大人同士で褒め合うというのは相当な意識をしないとなかなかできないのではないでしょうか。
例えば、つい先日もとあるバラエティ番組で、
Aさん「Bさんだって、高学歴美人女子アナでいらっしゃって~~」
Bさん「や、ぜ~んぜん私なんか高学歴じゃないですぅ~~」
Aさん「美人は否定しないんだ」
Bさん「あいやっ……そういうわけじゃなくて///」
なんていう展開がありました。
否定しないんかい! というのは、日常でもよく見る光景ですよね。
日本に特有(?)の本音と建前の文化が、良くない方に働いていると言えるでしょう。
自分のことを美人だと思っていて、実際に本当に美人だったとしても、本音は隠しておくのが美徳だと多くの人が考えているからこそ、褒められても謙遜しなければならないという暗黙の了解があります。
それが出来なければ、「顔はいくら美人でも心はブスね」などと、陰口を言われてしまいます。
ここで良くないと思うポイントは、誰ひとり本音を言っていない点です。
褒められた美人さん自身は「私は美人だ」という本音を隠しているし、褒めた側すらも「美人だと本気では思っていない」という本音を隠しているわけです。
本気で褒めているわけじゃないからこそ、相手が謙遜しなかった場合、「真に受けてんじゃないわよ」となると言えるでしょう。
言葉を真に受けがちなASD特性を持つ僕だからこそ、人一倍モヤモヤしてしまうというところはあるかもしれませんが、
話し手がウソを話して、受け手もウソで返すなんて、時間のムダにも程がありませんか?
このように自分の本音を隠して生きることがあまりにも常識として人々の心に染み付いているからこそ、自分が本当にやりたいことは何なのか分からない人が多いのでしょう。
謙遜は美徳ですが、乱用していると、本当の自分がどんどん見えなくなってしまいます。
かくいう僕も、自分が本当にやりたいことが何なのか、1年半も休職して向き合っても未だにハッキリ見えてきません。
見えてはきませんが、少なくとも本音と向き合うことの重要さは分かっています。
本音を隠した褒めと謙遜の不毛なやりとりは、もうやめにしませんか?
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