甲子園野球を見て感じた希望と絶望

準決勝の第一試合が終わりました。

両校の選手達、お疲れ様でした!

出場選手はもちろんのこと、それを支えるマネージャーや、アルプススタンドで応援する選手や吹奏楽部など、みんなの青春をかけた夢の力が感動をもたらしてくれます。


とまぁ、ここまではよくある話と言えばそうなんですが、ふと浮かんだ考えがあって。

18-4で迎えた9回ウラという場面で、僕は何かこの状況いまの日本みたいだなぁとか、せっかく感動していたのに余計な思考が浮かんできてしまいました。

18-4で9回ウラを迎えて、もちろん選手達は誰も最後まで諦めずに戦い抜いたんでしょうが、そうは言ってもさすがに無理だろ……と内心は思っていたと僕は思います。


こういうシーンでは、これまで活躍の場がなかった3年生や1,2年生が代打で出ることがよくあります。

諦めずに戦うというよりは、最後に思い残しがないようにという配慮や、来年度以降を視野に入れて次世代の選手に大舞台を経験させておこうといった、監督の考えなのだろうと思われます。


今の日本も同じで、ここから1回で15点の大逆転なんていくら何でも絶対無理だと思います。

そのぐらい、今の日本は問題山積み、しかもその解は世界中どこにもまだなく(例えば高齢化は世界でも全く類を見ない速度で進んできた)、それなのに教育は未知の問題をどう解決するかなんて一切教えない教科書通りの教育、当然政治家も課題解決能力がなく、特に何もしないという選択を平成の丸々30年間取り続けてきた(主権者がその選択を民主的に容認してきた)わけです。


もう、日本が"終わる"ことは決まっていて、あとは"どう終わるか"だけの問題な気がしています。


高校野球に習うのであれば、もう逆転なんていう非現実的な夢まぼろしを追うのではなくて、どう諦めるか、どう諦めてもらうかを考え、終わったその後のこと(若手に大舞台を経験させる)など、絶望感な状況で出来る最大限のことは何かを考えるべきところに来ているのだと思います。

そして、考えるべきはまず自分自身と、せいぜい身の回りの人ぐらいの狭い範囲からまず考えることが重要です。

僕は何かにつけて国家の課題を勝手に背負いがちなので、いちいちストレスを感じてしまっているという自覚はあります。


人間、まずは何より自己保身ですよね。

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おわり

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