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悟りとは何か?

皆、悟りを目指し修行した!?

セルフマネジメント3.0を体系化するために
仏教を勉強し始めている。

その中で悟りという概念は素晴らしいと感心し
仏教を信じ、追求している人たちは悟りという状態を目指す。

悟りという概念があるからこそ
修行や追求が終わらず、そこに進んでいくわけであり
目指すべき北極星のような悟りという概念を
生み出した仏教は素晴らしいと思う。

では悟りとは何のことなのだろうか?


悟りとは何か?

岩波仏教辞典で調べると
『悟り
さとり[s:bodhi]
迷いの世界を超え、真理を体得すること。
<覚り>とも書く。
<覚かく><悟ご><覚悟><証しょう><証得しょうとく><証悟>などともいい、bodhiを音写した<菩提ぼだい>も用いる。』
と出てくる

仏教を学びはじめた私の解説のため
かなり稚拙な部分も多いかもしれないが
悟りを現時点での私の解釈でまとめてみたい。

悟りをまず4つのポイントでまとめる。

真理の体得
⇒悟りは、迷いや煩悩の世界を超えて真理を深く理解すること。
これにより、人は輪廻(生まれ変わり)のサイクルを超脱し
自分自身の心の執着や欲望を手放し、迷いや悩みが一切ない状態になる

絶対的智慧
⇒悟りは一般的な気づきやひらめきとは異なり
相対的な理解を超えた絶対的な智慧。
これは単なる理解の延長線上にあるものではなく
全く新しい次元の認識を意味する

境涯の変化:
⇒悟りを得ることは、人間と虫けらほどの境涯の差があるとされている。
このたとえは、悟りによって人の認識や存在のレベルが
根本的に変わることを意味している。

段階的な進行:
⇒悟りには複数の段階があり
それぞれの段階を進むことが悟りを開く過程。
この過程は、一朝一夕に達成されるものではなく、
深い内省と実践を通じて徐々に進むもの。

悟りは52段階もある!!?

悟りを調べて驚きだったのは
なんと悟りの段階とは52段階もあるとのこと!

これらは「悟りの52位」と呼ばれ
低い段階から高い段階まで細分化されてる

主要な段階の分類は下記の通り

十信(じっしん): 1段目から10段目。信念の発展段階を示す。
十住(じゅうじゅう): 11段目から20段目。精神的な住まいの発展段階。
十行(じゅうぎょう): 21段目から30段目。行動の発展段階。
十回向(じゅうえこう): 31段目から40段目。向上心の発展段階。
十地(じゅうじ): 41段目から50段目。精神的な地位の高みに到達する段階。
最上位の段階:
等覚(とうかく): 51段目。仏に近い悟り。
仏覚(ぶっかく): 52段目。仏の悟り、また「無上覚(むじょうかく)」や「妙覚(みょうかく)」とも呼ばれ、悟りの最終的な到達点。

このように悟りには細かい段階に分かれていて
常に上の段を目指していくことが求められる。

不退転位(ふたいてんい)と退転位(たいてんい)

不退転位(ふたいてんい)と退転位(たいてんい)という概念がある。

これは
40段目までが「退転位」、つまり後退する可能性がある段階。
41段目以上が「不退転位」、つまり後退しない確固たる悟りの段階。
と分けられている。

40段目のまでは、少し油断をすると
下の段に下がってしまう段階であり
上を目指すだけではなく維持することも大変なのである。

しかし、41段目まで登ると
後退しない確固たる悟りの段階であり
そこまでのベースができている状態でもある。

悟りの過程を山登りに例えると

山のふもとにいる凡夫(ぼんぶ)から始まり
登るにつれて広い視野が得られる。

頂上に達すると、全方位を見渡せるように
最終的には大宇宙の真理を体得できる。

このように悟りは
単なる一段階の状態ではなく
深く複雑な精神的な進化のプロセスを
含んでいることがわかる。

それぞれの段階は、
個々の信念、行動、精神的な成熟度に
応じて異なる。

悟りを開いた人の特徴とは?

続いては悟りを開いた人の特徴と
それがどのような影響をもたらすかについて
まとめてみる。

まずは内面の変化。

最初に出てくるのは執着や私利私欲の消失
物質や社会的地位への執着がなくなり、煩悩が減少する。

続いて、常に冷静で正しい判断
感情に流されず、冷静な判断力を保つ

続いて、不安や恐怖の克服
問題や死に対して不安を感じず、恐れを乗り越える。

そして、感謝と穏やかさ
常に感謝の気持ちを持ち、穏やかな表情を浮かべるようになる。

このように人が中長期や共同体に対して
不適切な行動を選択する感情を乗り越え
常に自分自身が最適な心の状況と最適な行動が
とれる状態になると言われる。

次は社会的行動の変化。

見返りを求めずに他人を助け、利他的な行動を取れるようになる。
さらには、 他人との比較をせず、自分自身を冷静に分析できるようになる。

さらには苦しみの相対的減少が起こる。
ある一定の段階に達した場合
これまでの苦しみは大海の水に例えられ
残る苦しみはわずかな水滴に等しいとされる。

このように、悟りの進行に伴って
苦しみが相対的に少なくなっていく。

悟りを開いた人は
内面的な平和と穏やかさ
社会的には利他的な行動、精神的には苦しみの克服という
特徴が見られる。

現代でも悟りを目指すべき!?

現代社会においても仏教の悟りを
学ぶことは、多くの意義を持つと感じる。

悟りを目指す理由は
個々人の精神的な成長と社会全体の調和への貢献であり
個人主義が広がり、総セルフマネジメントが求められる
現代だからこそ大きな価値がある。

まず、悟りの追求は、自己理解と自己超越への道。
まさにセルフマネジメント3.0のベースとなるもの。

現代では日常生活でのストレス、不安、苦悩は増え
その要因の多くは外部の環境や他人との関係性に
よるものだと感じる。

しかし、悟りの道を歩むことで、内面の平和を見つけ
これらの感情に対してより良く対処できるようになる。

それは永続的な内面の幸福への道に繋がると思うのだ。

現代人はしばしば
物質的な成功や社会的地位に幸福を求めがち。

しかし、これらは一時的で変わりやすいもの。

悟りの道を歩むことで
内面から湧き出る
真の幸福感に焦点を当て
外部環境に左右されない安定した
幸福を実現できる。

だからこそ、自己と向き合うことは
個人が内なる力を発見し
より充実した人生を送るために重要となる。

次に、悟りを目指すことは、
利他的な行動へと繋がる。

執着や私欲を超えることにより
他人への思いやりと共感が自然と芽生える。

これは、現代社会において不可欠な
寛容さと協力の精神を育むことに繋がる。

相互理解と共感は
社会的な問題の解決においても
重要な役割を果たし、より平和で調和の取れた
共存を可能にする。

それは、現代社会における深刻な問題
例えば環境破壊や社会的不平等
個人間の対立なども解決していくスタンスかもしれない。

このように、仏教の悟りを学ぶことは
個人の内面的な成長と社会全体の調和を
高めることに繋がるのではないか!?

改めてまとめてみて
もっともっと探求したいと感じたので
自分自身も仏教全体を学んでいきたいと思う。

本日はここまで!!

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