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最高にリッチに生きる方法

社会に出ると、学歴・年収・地位・住所などに価値を感じ、いつの間にかそれを最重要視してしまう人が少なくない。

年収1,000万超えたとか、外資金融に勤めてるとか、住所が港区とか、幼少期には何も価値を感じなかったことに価値を感じるようになっている。

ところが、これを達成しても実際は何も豊かにならない。

なぜなら、あってもなくても生活の質はほとんど変わらないからだ。

例えば素材の差なんてほぼないブランド品のように、いつの間にか他人の価値観をダウンロードして、それを持ってなきゃいけない、持ちたいというような気持ちになってしまっているだけなのだ。

冷静に考えてみると、江戸川区と港区で何が違うというのだろうか。

こんなことは些末な違いにすぎないが、この小さな差を埋めるために巨額の借金をしたり、激務の会社で働いてプライベートを捨ててまでこだわる人も少なくない。

平時は社会の参加者の誰かがこのような差を作り、取り上げ、多くの人が背比べをし続けるのが社会なのだ。


しかし、人は緊急事態を迎えると本当の価値観が目を覚ます。

例えば3.11を思い出して欲しい。

命の危険を感じた時、家族が生きていればそれで良い。全部なくなっても良い。回線が混み合い、連絡が取れない中でそうやって家族の無事を願ったはずだ。

それが本心なのだ。

日曜の夕方に家族でスーパーに買い出しに行ったり、見たい番組もない中で家族とダラダラと過ごしたり、そういう経済的合理性から考えたら無駄なように思えるような時間が最も幸せで贅沢な時間だったと気づいたはずだ。

平時は六本木のラウンジでエグゼクティブとシャンパンを飲んだり、豊洲でモデルとBBQをしたりするほうに価値を感じるかもしれない。

ただ、本当に価値のあることは自分の人生と重なり、同じ時を過ごした大切な人との時間なのである。

しかし、それに平時に気づける人は少ない。


ところで、日本は社会主義に近い。

稼がなければその分は税率も社保負担も大きく下がり、餓死することはほとんどない。また、ネットが普及したお陰で無料でも最低限のコンテンツは揃えることができる。

みんなこぞって集めたがる「ステータス」を、本当は集めなくてもそこそこ十分な資源を抱えて生きていけるのだ。

こんなに暮らしやすい国に住んでいるのだから、十分に享受すれば良い。

社会の洗脳を振り払ってプライドを捨てさえすれば、時間ができて豊かな人生を送ることができる。

豊かさはステータスを集めることで得られるものではない。

幸せの青い鳥こそがリアルなのだ。

幸せはいつだって目の前にある。それが、誰かと戦って勝ちたいという気持ちを持ってしまったところからどんどん鳥は逃げてゆく。

平時に本当に大切なものが何かということに気づくのは難しいことだけれど、常に自分の価値観でものごとを判断するようにしていれば、いずれは虚栄心を埋め込まれる前の感覚に戻れるはずだ。

いつか後悔しないように、自分を他人の価値観の呪縛から解放しよう。


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