見出し画像

いつまでエリートを目指し続けるのか

高校時代の筆者は勉強も運動も何ひとつ得意なものはなかったので特に目立つような存在でもなかったけど、そんな自分に集まってきてくれた人と適当に遊んで楽しかった。

いじめられたりもしたけれど、今を生きていた。

で、いじめっ子への復讐心とか彼女に振られたりとか色々あって大学受験をすることにして、1年間くらい未来への投資をした。

そうしたら偏差値が30くらい上がって大学に行ったんだけど、そもそも勉強も嫌いではないけど好きでもなくて、周りは弁護士・会計士・税理士を目指したり金融工学の勉強をして外資金融を目指したりなんかしている頃に筆者はフリーターのような生活をして、楽しく青春して、再び今を生きていた。

授業はいつも最後列に座って適当に聞いたり行かなかったりしていたのだけれど、必修の授業でうちの学校にはいないような美人がいたので気になって話しかけてみた。

話を聞くと、カメラが趣味で学生ながらも生活できるレベルに稼いでいるという。筆者と同じように勉強も別に好きでもないけど、卒業のためにとりあえず来ているとのこと。

カメラでそんだけイケてるなら、受験勉強とかもしなくてよかったんじゃないの?と聞いた。

すると、やりたいことをやる上で、ナメられない最低限の箔をつけるために来たとのことだった。

私バカっぽく見えるでしょ?と。

確かにちょっとギャルっぽいというか、遊んでそうな外観だ。

「なるほど!」と思った。

筆者もバカっぽいので、よくナメられたり、挑んでもない競争を仕掛けられて勝手にライバルにされることが多い。

バカっぽいノリは楽しいからやめたくないし、できれば仕事もシメるところ以外はそういうキャラで通したい。自然体でいたい。

そういう意味で箔って分かりやすくていいなと思った

その後は色々と資格を取ったりもしてきたし、それなりのキャリアも歩んで、実際に筆者を勝手にライバル視していた奴が黙ったりもした

これは便利だ。ナメられることも減ったし、勝手に競争されることも減ったし、仮に仕掛けられたとしても自信があるから劣等感もわかない。

また、筆者が発言すると筆者が言うのだからと信じる人も増えてきた。

なんだか特別な人になったみたいだ。

そして、どんどん箔の魅力に取り込まれてゆく。


ところが、いつの間にか箔に操られるようになってしまっていた


まず、箔なんてキリがない。

「箔」という意味では例えば早慶は「東大」・「京大」という単語で瞬殺されるし、会計士は「医師」・「弁護士」という単語で瞬殺される。そんな彼らもアイビーリーグという単語で同じように瞬殺される。

また、キャリアも同じで、新卒でどこの会社に内定したとか、昇進が何年目だったとか、ボーナスがいくらだったとか。

そこで立場を勝ち取ったところで、また同じ立ち位置に立った人同士で箔の伸び代の競り合いの繰り返し。そして絶対にトップになる日は来ない。


いつの間にか疲れ果ててしまっていた。


こんなクソみたいなことを、いつまでやんないといけないのだろう。


ふと大学時代のあの子のことを思い出した。

あの子は最低限の箔だけつけて、自分の好きなことをやった。

筆者はいつの間にか箔に魅了されて「もっと、もっと」と、未来にばかり投資するようになっていた。

筆者はあの時あの子と喋って「なるほど!」と思った発想とは違う、遠いどこかに行ってしまっていた。

スキマ時間は何かを積み上げていないと気が済まない。

必ず毎日前進していないと不安になる。

本質を見失い、気がつけば全然楽しくない毎日になっていた。

そういえばやりたいことすらも、もうわからない。

そして、プライベートでももっとあんなこと、こんなことをやればよかった。

そんなふうに思うようになっていた。


人生には「適時性」がある。

例えば制服デートなんて高校生までしかできないし、その後にコスプレしてもそれは別物である。

大学生の有り余る時間を使った活動、若い頃の恋愛、趣味、結婚、出産、育児、両親との思い出など、その時にしかできないことがたくさんあって、後からはもうできない、できたとしても不効率になったり、嬉しさが全然減ってしまうようなことがたくさんある。

今を生きなければ後からカネでは買えない体験がたくさんある


それなのに、ナメられたくない思いが、いつの間にかクソみたいなプライドに変異して、それを守るために積み上げてばっかりで、貴重な体験をいくつも見過ごして、人生が豊かではなくなってしまっていた。

幸い大学までは十分に楽しんだので、振り返れば楽しい日々だったなと大満足しているけれど、社会人になってからは結構無駄に失った時間は多いと思っている。

このままでは、地位や名誉にとらわれ、社会的にカッコよく見えそうな素材を集めているうちに人生は終わってしまう。


自分が高校生までの間に、社会で上位数%以内に入りたいとか、豪邸に住みたいだとか、特別なクレジットカードを持ちたいだとかなんて全く思っていなかった。

ゲームをやったり、テレビを見たり、家族と喋ったり、好きな音楽を聞いたり、薬局で30分くらいコレなんだろう?って眺めて回ったりと、無駄な時間を過ごすのが大好きだった。

多分、それが自分の本質なのだ。

苦しい思いを伴って何かを積み上げながら死んでゆくなんて、そんな立派な信念なんてない。むしろそれに価値すら感じない。

やりたいことをやって楽しく過ごして、大切な仲間に囲まれて楽しみながら老いて死んでゆきたい


それに気付いてから軌道修正を行うことになった。


まず、好きなことを見つけること。

自分の思いを封じ込めて10年以上生きていたので、何をやりたいのかがもうわからない。

この状況でやりたいことに近づくための方法を色々考えたが、最終的に到達したのは、

①アウトプットすること
②環境を変えること

だった。


①については、とにかく今まではインプットに必死だった。インプットこそが自分を膨らませる方法だと思っていた。しかし、それは誰かが作った知識体系を頭に入れているだけで、自分の思いは介在しない。そうやって、ずっと無思考の時間を過ごしてきた。

俺はこうしたいんだ、俺はこう思うんだ、そういう発信をしてこなかったから、自分の心の声が自分自身すら聞こえなくなっていた。

結構こういう人って多いんじゃないかな。

筆者は心の声を聞くために、SNSやブログ、Noteなどを始め、こうやって思いをアウトプットし、心の声が聞こえる日を待つことにした。


②については、監査法人には「ここに最後までいることはない」と確信しながらも、居心地が良くてズルズルと8年弱くらいいた。

自己との対話を行わなかったせいで、やりたいこともわからないから、動くに動けない状況になってしまったが、この場合は「なんでもいいから動く」ということが一つの正解であると気付いた。

今は何がしたいのかもわからないけれど、動くことで次の場所で今見えていないものが見えて、その次どうしたいのかに気づくかもしれない。


こんな感じで自分の好きなことを見つけて、好きなように生きてゆけると良いなと思っている。

もう別に凄い人にならなくてイイ。やってもキリがないし、昔はそれを望んでいなかった。変なプライドが育ってそんな風になってしまっただけ。豊かに暮らしたい。それを実現するために努力すべきなんだ。

若いうちにそれに気付けただけでもラッキーだったかな。


※ブログはこちら



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?