GenjiSawai

沢井原兒 Sax Player / Producer / Jazz奏者 アルバム「…

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沢井原兒 Sax Player / Producer / Jazz奏者 アルバム「薩婆訶」発表後、幅広い音楽の場で活動。音楽系IT会社の経営など、活動の場は多岐に。CEO@MOP Director@IRMA、https://mop-music-labo.com/

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「オレがロックしよる時、いちばーんだいじなんは気持やけん」 鮎川誠との思い出

「こげん音はオレの頭の中にはなかと」 鮎川誠は僕に向かって言った。 「じゃあ、この音はどうかな」 しばらく沈黙があって、 「オレがロックしよる時、いちばーんだいじなんは気持やけん。 気持ちの入っとらん音を自分の曲には入れとーない」 「じゃあこれも違うんだ」 「うん、そうやね」 1985年、僕がサウンド・プロデューサーとして呼ばれて、 そのバンド、シーナ&ロケッツの“レモンティー”12インチバージョンのレコーディングのダビングの最中のことだった。 バンドで録音した音にバンド以

    • V6「愛のMelody]

      V6が今年で解散するそうだが、 2001年に発売された「愛のMelody」で間奏のソロを吹いている。 https://www.youtube.com/watch?v=sOhG26gHQBY これまで多くのジャニーズ関係のレコーディングをやってきたが、 リリースされてから聴くことはほとんど無かった。 ジャニーズ関係の作品は参加ミュージシャンがクレジットされる事がほぼなく、 そういう事もあって、自分がどのアーティストのどの曲に参加しているかは全く知らなかった。 しかし、あ

      • 俺がGenjiだ! 第VII章 「We Are The World」

        第VII章 「We Are The World」 1985年にアメリカで「We Are The World」と言う曲がヒットした。 この曲はアメリカの著名アーティストが中心になって作られたチャリティーソングで、アフリカの 飢餓と貧困をなくすために作られた。 メロディー部分を様々なアーティストが引き継いで唄って作られていて、 ジャンルを越えたアーティストが30人以上も登場し、そのような初めての試みもあり、世界中で大 ヒットし、多くの人がこの曲でアフリカの抱えている問題に関心を

        • 俺がGenjiだ! 第VI章 「大物」

          第VI章 「大物」 1980年代初期の頃、俳優でもあり歌手でもあったMNさんの仕事をやっていたことがある。そのMNさんはある劇団に入った途端、人気TVドラマの主役に抜擢され、それ以来、人気は急上昇、ドラマでもコンサートでも引っ張りだこで、現在でも活躍されている。今回の話はそのMNさんの話ではなく、その時一緒にサポート・ミュージシャンとして参加していたキーボーディストの話。 僕がMNさんのサポートとして最初に参加したとき、キーボーディストでバンマス(バンド・マスタ ーの事)

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          俺がGenjiだ! 第V章 「泣き虫ボーカリスト」

          第V章 「泣き虫ボーカリスト」 1986年の暮れの事、僕のマネージャーから連絡が入った。 「新人歌手のデビュー・コンサートの仕事が来ていますけど、やります?」 「誰なの?」 「沢井さんもよく知っている女優のMさんですよ」 「えっ、彼女、歌も唄うの?」「そうなんですよ、この春デビューして、12月に初アルバムが出るんです。そこで来年の3月にデビ ューコンサートをやるそうで、メンバーはKくんところのメンバーで、と言うオファーが来てるんで すが」 「彼女は可愛いからやろうかな」

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          俺がGenjiだ! 第IV章「ハスキーボイス」

          第IV章「ハスキーボイス」 1982年夏、あるレコーディングでの話。 その当時僕はスタジオ・ミュージシャンとしても多忙な時期でもあった。 スタジオ仕事は、インペグ(スタジオなどの音楽仕事を斡旋する業者)からの依頼か、アレンジャ ーが直接依頼するかのどちらかで、アレンジャーからの方は直接名指しで依頼されるので、知り合いからの仕事という事で安心して出来る一方、その人との信頼関係を壊さない様に、また、期待されている以上のプレイで応えなければ、というプレッシャーも大きかった。

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          俺がGenjiだ! 第III章 「天才アーティスト、Yさん」

          第III章「天才アーティスト、Yさん」 今回は1976年10月5日、新宿ロフトのオープニング・セレモニー・ライブ時のお話。 現在は新宿の歌舞伎町に移転してしまった新宿ロフトだが、スタートは北新宿だった。 オープニング・セレモニーは10月1日から始まり、10日間近くも催された。 10月5日のメインアクトは吉田美奈子とYさん。 そのライブには僕は吉田美奈子のグループで参加していた。 ゲストにはギターとコーラスで山下達郎。 当時の僕は、ジャズに深く傾倒していたので、ジャズ以外の

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          俺がGenjiだ! 第II章 「ボス」

          第II章 「ボス」 1988年8月下旬の話。 その年は例年に比べて忙しく、夏までに大きなツアー2本に参加していた。 そう言うこともあって、秋以降は意識して、スケジュールを入れないようにしていた。 1984年に自分のアルバムを出して以来、仕事の依頼が多く、忙しくて自分自身の活動が出来ない状況が続いていた。音楽を始めてから、自分の音楽活動を何年もやらないことはそれまではなく、自らの音楽活動への欲求が溜まりに溜まっていた。 そこで、その頃は、仕事が一段落した時には、自分のオリ

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          俺がGenjiだ! 第I章 「クマ」

          noteを始める事になりました。色々なことを書いていくつもりでいます。この「俺がGenjiだ!」シリーズは、これまでご一緒させていただいた人達との知られざる逸話を紹介していきます。名前は最後までお知らせしません。読みながら、誰のことか想像しながら楽しんでください。第1回は「クマ」 第I章 「クマ」1976年のこと。 僕も未だ20代で輝かしい未来を夢見ていた頃のことである。     サックス吹きだった僕はジャズを演奏するため3年ほど前に大阪か

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