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「オレがロックしよる時、いちばーんだいじなんは気持やけん」 鮎川誠との思い出

「こげん音はオレの頭の中にはなかと」
鮎川誠は僕に向かって言った。
「じゃあ、この音はどうかな」
しばらく沈黙があって、
「オレがロックしよる時、いちばーんだいじなんは気持やけん。
気持ちの入っとらん音を自分の曲には入れとーない」
「じゃあこれも違うんだ」
「うん、そうやね」

1985年、僕がサウンド・プロデューサーとして呼ばれて、
そのバンド、シーナ&ロケッツの“レモンティー”12インチバージョンのレコーディングのダビングの最中のことだった。
バンドで録音した音にバンド以外の音を被せていくダビングという作業の時のことであった。
キーボードで参加してくれていたホッピー(ホッピー神山)も提案する音がことごとくNoと言われて本当に困っていたのを覚えている。
 
これまでのレコーディングでは、バンドのメンバー以外の人間が関わって曲を仕上げると言うことは殆どなかったという。
どういう経緯で自分が呼ばれたのかはよく覚えていないが、
それまでに僕はブラスのアレンジやレコーディングへの参加など、また時々ライブにゲスト参加することがあり、ある程度バンドの理解は出来ていて、気心も知れていたように思う。
また、その頃は多くのアルバムのプロデュースを手がけ始めていた頃でもあった。
そう言うこともあってか、ディレクターの高垣さんから、
「これまでとは違う形のシーナ&ロケットを一緒に作ってもらえないか」という連絡があった。
バリバリのロックバンドのサウンドプロデュースは初めてだったので、
そんなにスムースに行くわけはないと想像していたが、
案の定、大変な状況が生まれていた。
いくら気心知れた知り合いのミュージシャンが関わると言っても、
鮎川にとっては、あたかも突然自分の家に外人が住み始めたような状況だったのではないだろうか。
 
色々と考えた末、「それじゃあ原点に戻って、シンプルなアプローチでこういうのはどう」
と言って、自分としては逆の過激な提案をしてみた。
「うん、これはよかと」
意外にすんなり受け入れてもらえた。
 
そこで気がついた。
彼にとっては、商業音楽で使われるようなシンセの音色や、音楽的アプローチのように感じたのだろう。だから彼には自分のロック観にはないものを感じて拒否反応が出てしまっていたのだ。
むしろ、普段聴かない音色やアグレッシブな音楽的手法の方が彼の中ではすんなり受け入れられたのだ。
どんな過激な音やアプローチであってもロックしている音はアリなのだ。
 
ただ、そこに落ち着くまでに時間がかかりすぎた。
結局、その日の夕方に終わるはずだった作業は、その日の夜中までかかった。
 
全ての音が収録されて別日にトラックダウンを行った。
通常1曲のトラックダウンにかかる時間は大体3〜5時間程度だ。
お昼過ぎに始まったその曲のトラックダウンは1曲が7分以上もある大曲なので、少々時間はかかると思っていたが、時間がかかってもその日のうちには終わると思っていた。
しかし、やっている最中に彼は色々とこだわるので、どんどん時間が経っていく。
最終トラックダウンが終わったのは次の日のお昼過ぎ。
24時間以上もかかってしまった。
しかし、バンドのメンバーや、彼のこだわりの甲斐あって、素晴らしい作品に仕上がった。
自分としても大変だったが感慨深い貴重な経験だった。
 
その時に感じたのが鮎川誠の「ロック・スピリット」だった。
 
自分の音に徹底的にこだわる、
中途半端な妥協は絶対しない、
ロックであり続けること、
 
この徹底した自分の音楽への取り組み方、生きざまと言っても良いかも知れない。
真のロック魂だと感じた。
 
よく「これはロックだよね」という言葉を巷で耳にするが、
そんな軽い意味では使ってはいない。
「ロック」と言うものがどう言うものなのかは人によって定義は違うだろうが、
世の中でもてはやされている「ロック」と本来の「ロック」とは違うように思う。
どうでもいいことかもしれないが、
いまの日本での「ロック」の内実のなさには驚くことが多い。
僕には「ロックごっこ」にしか見えない。
今さら反体制とかアウトローとか言うつもりはないが、
誰に向かって何をメッセージしているのだろうか。
テレビで拳を振り上げても、何も迫ってくるものがない。
写真でポーズを取って厳つい顔をしているのも、
誰に何をメッセージしているのだろう、と笑ってしまう。
真のロックンローラーというのはどういうものかは分からないが、
少なくとも、僕自身が認める数少ないロックンローラーは彼だ。
 
自分のやりたい音楽を誰の意見に左右されることなく、地道に続ける。
売れなければいけないとか、
時代の先端を行かなきゃいけないとか、
そんな雑念は一切ない。
彼にとって、時代の流行がどうだとか、売れなきゃ駄目だとか、
そんなことはどうでもよいのだ。
音楽を愛し、その音楽をいつまでも続ける。
納得のいかないことはしない。
素晴らしい生き方だったと思う。
 
彼は僕と同い年の1948年生まれ。
70歳を過ぎたにもかかわらず、衰えることのないロックサウンドを追求続け、
最後までその精神を貫いた。
最後まで博多弁を変えなかった。
時代の流れに媚びない姿勢はまさしくロックだった。
「オレがロックしよる時、いちばーんだいじなんは気持やけん」
と言う言葉が忘れられない。
 
ロックンローラー鮎川誠、
そして彼のバンド「シーナ&ロケッツ」は不滅だ。
 
ロック魂を感じたいなら是非とも彼らのアルバムを聴いていただきたい。
 
この話の中にあった曲「レモンティー 12インチバージョン」も是非聴いていただきたい。
 
https://www.youtube.com/watch?v=z9pQkItnT70
 
鮎川誠 2023年1月29日没。
 
合掌
 
天晴れ!!
 
鮎川誠、ロックンロール!!

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