言葉にすることで失った、本当に大切なもの
波動調整®セッション会に続いて、波動調整®復習会も主催するようになり、数ヵ月。
まだまだ不慣れで試行錯誤の連続ですが、少し気にかかることがあります。
参加したからには必ず何がしかの気付きを得て、アウトプットしなければいけない。
そう思っているように見受けられる方が、時々いらっしゃるのです。
すぐに答えが欲しくて焦っているのかな。
初めはそう考えていましたが
ひょっとして
参加して良かった旨を主催者にアピールしないとマズいことになる
的な強迫観念に突き動かされているのでは!?
と思い至りました。
もしそうだとしたら非常にもったいない。
参加したけどモヤモヤしたままだったり、参加して返ってモヤモヤしたのなら、それもギフトですし、正直にそう伝えていただいて大丈夫です。
でも無意識だから自覚できないんですよね。
せっかく姿を現しても、学校の先生に
「分かりましたか?」
(=もう次に進みますけど大丈夫ですよね?)
と訊かれたときのように条件反射で「はい」と答えて、慌ててゴミ箱に捨ててしまったモヤモヤが、一体いくつあるでしょうか。
私は美術館で絵を鑑賞するのが好きで、あそこは
モヤモヤはモヤモヤのままで良い
という意味において安心できる空間です。
だから解説は読みませんし、イヤホンガイドも聞きません。
単眼鏡で細部に目を凝らしたりもしません。
作者と共振しているだけ。
心に湧いてきた、まだ言葉にならない「それ」と一緒にいられる、満ち足りた時間です。
先日個人セッションを受けてくださった方の箱庭を見たとき、同じような感動を覚えました。
セッション前は重苦しいエネルギーで愁訴されましたが、箱庭を作り始めると、こちらにもはっきり感じ取れるほど “無” になられました。
そして出来上がった箱庭を眺めながら、ご自身の切なさを静かに、訥々と、語られました。
どうしてだか、ジョルジュ・ルオーの宗教画を思い起こさせる、美しい箱庭でした。
私たちには、こういう体験が絶対的に足りない、と感じます。
じゃぁ自分も絵筆を持てば心象風景が描けるのかというと、そう簡単にはいきません。
確たる技術を通して魂が表現されるから、人々の胸を打つアートになるのです。
その点、箱庭療法は、子供向けの遊戯セラピーが始まりなので、誰でも簡単に取り組めます。
生みの親であるイギリス人小児科医・ローエンフェルトは
と、この療法に辿り着いた理由を述べています。
しかしこれは私たちにも十分当てはまる状況であり、返って大人の方が事態を拗らせているように思えてなりません。
感情的に大きな負荷がかかって、心の中を紙に書き出していても、自分が作り出す意味に、まんまとはぐらかされているような、ひらりと躱されているような、そんな感覚に襲われることがあります。
受講生のシェアを聴いているときも然りです。
無理矢理言葉にすることで
指の間から
本当に大切なものが
こぼれ落ちてしまったんじゃないだろうか?
言語化される前の
まだ形の無い「それ」を
丸ごとすくい上げて目の前に並べるには
どうしたら良いのか?
その答えが箱庭療法だった。
というより、箱庭療法との出会いが、そう思っていた自分との出会いだったのでしょう。
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