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本当にやりたいことが分かりません
勤め先の食堂のご飯は大盛り、普通、少なめの3種類から選べるのですが、スタッフさんによって、よそってくれる量に差があります。
私はたいてい普通を注文するんですけど、少なめ気味によそう人がいて、自称お米星人としてはすごく切ないのです。
スタッフさんを識別するのは難しい。
「もうちょっとください」とお願いするのも恥ずかしい。
いっそ大盛りを注文すれば間違いない。
でも食べ切れず残すのは申し訳ない。
さて、ここで問題です。
私は本当は、どうしたいのでしょう?
本当にやりたいことが分からない、と言うときの
本当にやりたいこと
は、その人の源泉から来るものではない場合がほとんどです。
じゃぁ何かというと、親や学校を含めた社会全体(=あらゆるメディア)が刷り込んできた意味とか、目的とか、使命とかいうやつで、びっくりするほどハードな条件が付いていたりします。
例えば
本当にやりたいことは1つしかない
本当にやりたいことは生計が成り立つ職業である
本当にやりたいことは崇高で社会的評価が高い
本当にやりたいことは人々に夢や希望を与える
本当にやりたいことをやれば人生の勝ち組になれる
などなど。
条件に合わないものは悲しいかな無意識にふるい落としてしまうので、どんなに頑張って探しても、見つかるはずがありません。
そのつど湧いてきた望みに従って生きるのが、わたしたちの自然です。
だから、その日のその時の腹ペコ具合に従ってご飯を注文するのが、もっとも理に適っています。
少ないご飯を切なく食べていては、宇宙が私を通して創造しようとした〈お米星人の喜び〉を還元していないことになり、非常によろしくないのです。
あたりまえの日常が積み重なって、たまたま先のような条件に彩られた生涯を送ることがあったとしても、調理済み冷凍食品みたいな人生のパッケージを買ったところで、それは
自分ではないもの
を余計にくっつけただけです。
先日、勇気を出して「もうちょっとください」とお願いしました。
恥ずかしさをごまかすために照れ笑いしてしまいましたが。
こういう些細なことを蔑ろにしていると、本当の自分はすぐに “とんずら” してしまいますから、ご注意を。
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