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安倍さんが亡くなって1年。

安倍さんが亡くなって1年が経ちました。

民主党から自民党に政権が移った2012年からの10年くらいの安倍さんへのバッシングは、それはもう「目に余る」ってレベルで済まされるものではないほどにひどいものでした。

お世辞にも批判と呼べるようなものではない誹謗中傷そのままである暴言を、いわゆる「識者」と呼ばれる人たちが平気で口にしていましたね。

・安倍は人間じゃない。叩き斬ってやる!
・あべしね
・(安倍さんの退任に涙したユーミンに)早く死んだほうがいい
・(銃撃した犯人に)よくやった!
・国葬の黙祷の時間に音の鳴るモノを持っていって鳴らそう
・暗殺が成功してよかった

などの。

それを「リベラル」と呼ばれる人たちが言っていることが意味不明ですが、まあね、世の中にはこういうトンチキな発言をする人は一定数います。

まあ、マスコミに出てくるような有名人・大学教員なんかがこれだけひどい発言をしていることがひどいわけですが、私が何より恐ろしいと思うのは、

こういう明らかに人としてアウトな発言をしている人を、批判する人(仲間)がメチャクチャ少なく同調する人がめっちゃ多い

ということです。

人間、好き嫌いがありますからね、「マジであいつ死んで欲しいわ!」って思うことは普通にあるでしょうし、同じ立場にいる人間と居酒屋で愚痴るようなことも当たり前にあるでしょう。

でもさ、人の死を願うようなことを公の場で言っちゃうのはアウトだし、マナーとしても、モラルとして、人の道を歩くものとしてもアウトです。

だからさ、普段は主義主張で協調している人でもそういうアウトな言動があったら、「いや、それは駄目だよ」って言うのが当たり前の姿勢だと思うわけですが、そういう批判をする人が全く見られないどころか、そのアウトな発言に同調する人の多さ。

私が本当に恐ろしいと思うのがね、普段、「平和・自由・権利・平等」とかを過剰なくらいに主張している人たちが、その主張と真反対の人の死を願うことと、テロ・銃撃の肯定とか、殺人の容認を当たり前にしているという自己矛盾極まりない姿勢に、全く違和感を持っていないだろうことへの恐怖です。

「テロは反対!命を守れ!でも安倍は死んでくれたぜ、よくやった!」ってことを何の問題もないと思いながら発言しているんですよ?

マジで恐怖以外のなにものでもありません。

この10年で、そういう過激な発言をイヤってほど耳にして目にして来ましたが、安倍さんがテロで亡くなるという悲しい事実があっても、その類の発言が収まるどころか増してしまったという現実は、相当に根深い問題でありますね。

私達に出来ることは、「いや、批判はいいけど、暴力やテロを容認するのは普通に駄目だろ?」ってことを当たり前に言っていくしかない、ってことですかね。

そんなことを思っていた1年でした。

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