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昨今の社会情勢下における「コンサートライブ」の、〈マスク着用義務/声出し禁止制限〉について思う事

コロナ禍におけるライブコンサート。

やはりライブコンサートと言ったら、「大声を出して盛り上がりたい」というのが、参加者にとっての純粋な想いだと思います。(もちろんコンサートの種類にもよりますが)
そこで日々のストレスを発散するのを楽しみにしている方々も大勢いらっしゃるでしょう。

しかし現在の日本の社会情勢下においては、入場時+コンサート中には「マスク着用義務が課せられている」のが一般的です。

更には、この「マスク着用義務」に加え、「声を出すことを禁止」されているのですが、個人的にはこの点に関し強い疑問を感じます。(そもそも論として、マスク着用義務についても当然疑問ですが)


何故ならマスクを着用させる意図としては、「感染を防止できる」、「飛沫を抑えられる」という考えが前提にあるからです。

しかし、

もし、本当にマスク自体にそういった効果があり、「マスクを着用することで感染を抑えられる」という事が正しい/証明されているのであれば、「飛沫を抑え、感染を防止できるとされるマスクを着用していながらも、その状態で声を出すことを禁止される」というのは、理論が破綻していると言わざるを得ないのではないでしょうか?


本当にマスクにそういった効果があるのであれば、着用した状態でどれだけ大声を出そうが関係ないはずです。
にもかかわらず、「マスクの着用義務のみ」どころか、「声出し制限」までされている現実があります。


この矛盾に対し、は/社会は/人々は、何の違和感も感じないのでしょうか?


ましてや、これだけ世の中の人々がマスク対策をしていても感染者数は増え、ワクチン接種者が国の7~8割はいるとしながらも感染者は増えているという報道。(報道自体の信憑性も問われますが)

この時点で、「マスクの着用はそもそも意味がない」、「ワクチンを接種しても感染するなら接種する意味がない」という結論に至るのが当然の思考回路ではないでしょうか?

なぜこれらの事柄に対する「純粋な考え方」が、世の中に広まらないのかが疑問です。

現在、世の中の風潮的に「マスクを着用して当然だ・当たり前だ」という社会的観念/通念が蔓延、且つ、構築されています。

これらは国やメディアが作り出したものであり、それに追随するように「自分自身で何も思考を巡らせない」、「何も調べない」といった国民達がその観念/通念を増幅させています。


この、〈国やメディアが絶対的な「正」であり「善」である、という洗脳〉


から目覚めないことには、上記で述べた私の意見も多くの人々には届かないと思います。


これまで、

「それって○○するのが当たり前でしょ?」

「普通は○○でしょ」

「先生が言っていたから正しい」

「親が言っていたから正しい」

「専門家が言っていたから正しい」

「国が言っていたから正しい」

「メディアが言っていたから正しい」


などといった、今まで無意識に自分の頭の中に疑いなく取り入れて来た全ての情報/事柄に対し、今一度、「自分自身で考え出す思考の大切さ」と「自分で調べ情報を精査し、その上で自分なりの答えを出す重要性」が、より大事になって来る時代に差し掛かっていると強く感じます。


*〈絶対的な自分軸の構築〉*


これが、これからの時代を外的要因によって左右されず、影響を受けず、自分らしく生きる唯一の方法なのではないでしょうか?


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