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のらポス、さらに解体

まことに申し訳ない限りですが、詩誌「のらねこポスト」創刊号の解体はなお続きます。
前回、前々回と詩をご紹介しましたが、連載も複数はじまります。
散文でございます。
詩誌ではあるのですが。
今回はそのうちの二つを引用してご紹介いたします。

源ヒカリの「非情な陽炎の」という文章。
こちらは「詩の轍―琉球詩壇の時代」という連載の第1回です。
地元の新聞で昔からある「琉球詩壇」というコーナーについて。
いろんな詩が載っているので、昔の新聞をめくって読んでみて、感想をまとめたといういきさつでございます。
そこから、孫引きになりますが、掲載された作品を引用します。
翁長羊恵さんという方の「放浪者」という詩(前半)です。

太陽の
オレンジ色のはばたきをさけて
岩かげに身をひそめた放浪者は
アイデアリスト ーその魂は
倦怠と惑乱のアルコール漬け…
腰をあげ
両足を泥土の中につっこむが
一瞬 あなたは 息をひそめ
虚ろな冷たい眼を
空の白い雲になげる
雲は
青い海の 気の遠くなるような
深さの涯で
気まぐれな波紋を描いては
大空の光のひだを縫い-
デュエットのステップを踏むと
遠く かすれて 消えていく

源ヒカリ「非情な陽炎の」(「のらねこポスト」創刊号)

素敵な詩であります。
沖縄の強い日差しを照り返す眩しい海面が目に浮かぶようです。
同時にこの土地が抱える闇の深さも写しているように思えます。

昔から、詩人は生活破綻者だと相場は決まっています(失礼)。
そうではない人もいますが。
だからこそ突き抜けた世界観を言葉によって描き出し、多くの人を魅了する求心力を持つ者でもあるのだと思っています。
そうではない人もいますが。
そういったことを考えさせられる詩でもあるように思います。

上に引用したのは詩の前半だけですが、実際の記事では全体を掲載したうえで源ヒカリの考察が加わっております。

もう一つの散文は、映画評です。
源ヒカリ「サフラジェットといま」。
こちらは連載「スクリーンのこちら側」の第1回となっております。
冒頭を。

「もし死んでしまえば、殉教者に…」

 映画「未来を花束にして」(サラ・ガブロン監督、2015年イギリス)で、アーサー・スティード警部(ブレンダン・グリーソン)が口走る場面がある。上司は言葉を遮り、怒りをあらわにする。
 婦人参政権の実現を訴える女性たち「サフラジェット」の一員として投獄されたモード・ワッツ(キャリー・マリガン)が、獄中で抗議のハンガーストライキを続けていた。何も口にせず、衰弱していくワッツ。警察の男たちはいずれ根負けするだろうと高をくくっていたが、ワッツには一向に折れる気配がない。

源ヒカリ「サフラジェットといま」(「のらねこポスト」創刊号)

上にあるように、「未来を花束にして」という映画を観ましたので、その感想と現在の日本の状況について考えたことなどを書いております。

暴力は何があろうと許されるものではありません。
でも虐げられる人々がいくら声を上げても無視され続け、踏みにじられ続けるとき、その人たちが実力行使を始めたら、本当に原則論だけで責め立てるだけでいいのでしょうか。
そういったようなことをつらつら書いております。

いや、書いていないかもしれません。
本当はどのようなことが書いてあるのか、書いていないのか、ぜひお買い求めの上、たしかめていただけましたら、まことに幸いでございます。
ぜひ。


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