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明日のたりないふたり 感想

ネタバレがあります。

ここ数年、見始めたド素人の感想文です。ご注意を。



守備範囲を広げれば広げるほどエラーが増える。

当たり前のことだが、私はそれでも広げようとしてしまう。だからエラーする。そして傷つく。

俺は一軍にはなれない。そんなことは百も承知だ。でも憧れる。それが人間ってものじゃないか。


『明日のたりないふたり』を観た。12年間の集大成という解散ライブであったが、『たりないふたり』が始まったのは2010年。当時私は10歳である。当然この12年間を追えているわけがない。

所詮、ここ数年しか齧っていないただのペーペーだ。

たりないふたりを分かった気になるつもりはない。

ただ私というくそみたいなプライドにまみれた、最低のろくでなしを励ましてもらいたかった。

そして、人生の道標という光がほんの少しだけ見えた。


美人な妻、多くの仕事、絶対的なワードセンス。
どう見ても足りすぎているが山里亮太は自虐の竹槍を持ち続けた。

一方で、若林は自身のたりなさからさよならして、人間力のマシンガンを武器に芸能界を進み続けた。

この対比を、私がこれから進んでいくかもしれない人生の分岐点として投影した。

だけど人間そう簡単には変われない。つまり、そう。まだまだふたりはたりていなかった。

どんなに順風満帆だと世間から言われようが、過去の経験から生まれた「たりなさ」なんてものは変えられない。



いくら華やかな芸能人のパーティーに行ったって、クラスの端っこにいたやつは同じようにパーティーの端っこにいるだけだ。

人には人の守備範囲がある。無理に広げず、そこだけを守っていればいいのだ。そう教えてくれた。



最後に、あのふたりはどんなにたりようと頑張ってもたりなさを感じてしまうサイコ野郎なのだ。

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