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生存者バイアスとMOROHAの歌詞

まさか今日もnoteを書くとは思ってもいなかった。日常が忙しすぎて、消耗しているのでそれの息抜きにはちょうどいいのだろう。

今日は電力会社とJR系の決算発表日だったので、アナリストに憧れ、見習いをしている僕的には、マーケットの硬派な記事を書こうと思っていたのだが、そんな気力がないので、いつも人生観的な記事にしようと思う。


東京という街の地面はね、夢破れたヤツらの屍でできている。

MOROHAを知らない人は、まず彼らの作品を聞いてみて欲しい。長野県出身のUKとアフロの2人組が、Acoustic guitarと声だけで紡ぎ出す熱い音楽は、リスナーを釘付けにする。まぁ、賛否は別れるようだが、僕は好きである。1番売れているのは革命と宿命だろうが、今回取り上げるのは三文銭である。

見出しの「東京という町の地面はね、夢敗れたヤツらの屍でできている。」は、三文銭の一節だ。

生存者バイアス

僕達は努力をする。努力は結果に繋がることもあれば、繋がらないこともある。そして大体の場合後者、努力しても結果に繋がらない場合が多いのは、どんな生き方をしていても分かっていることだろう。
失敗したものにスポットライトは当たらない。常に、成功者のみがスポットライトに当たり、人々から尊敬を集め賞賛される。そして、成功者に憧れるのである。

例を出そう。FXや暗号資産、株で、億稼いでいる人は、Twitterを見れば存在することが分かる。(まぁ半分くらいは情報商材目的の詐欺だが)それに憧れ、破産した人を僕達は存在を認識することが出来ない。正確には株と一部の暗号資産は違うが、(専門的になるので割愛する)基本的にそれらはゼロサムゲーム、すなわち常に勝者と敗者が存在しているのである。言い換えると、ギャンブルと一緒であり、誰かの利益は誰かの損失なのである。

2つ目の例は、大学受験である。東京大学や一橋大学などの、トップ校は大体3倍の倍率になる。すなわち、毎年3人のうち2人が落ちているのである。これもギャンブルと一緒である。
予備校や高校では〇〇大学〇〇人と実績として貼りだされ、自分もここに通えば憧れの大学に入学できる!とバイアスを与えていることに、僕達は気づかなければならない。そして、その2/3がどこへ消えたのか、僕達は認識することが出来ない。

例は2つしか書いていないが、どんなことだってそうなのだ。就職だって、ミュージシャンになることだって、政治家になることだって、恋人と付き合うことだって、全てのことにおいて社会には横を見れば屍が転がっている。その会社に入れなかった人。ミュージシャンになることを諦めた人。選挙で落ちた人。その恋人の相手に選ばれなかった人。
今の自分の暮らしは、誰かの屍の上に出来ていることを僕達は考えたことがあるだろうか?

眠くなってきたので今日はここまでにしよう。
そりゃ負け組のことなんて考えたことなんてあるわけが無いのが普通だ。というか、負け組のことを考えて、どうせ俺なんて…というマイナス思考になって挑戦しないことは人間として終わりである。人生は挑戦し努力することで面白くなるのである。
ただ、負けた人のことを考えることは、僕達に思いやりと寛容さを与える良い機会になるだろう。



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