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「国語がめっちゃ苦手」もノンバイナリーで説明できる?

こんにちは。ノンバイナリーやらXジェンダーやらでクエスチョニングとなって2ヶ月位経ったアラサーです。

今回はとにかく「国語」が苦手だった話。「ノンバイナリー/Xジェンダーだから」という視点で説明できるかチャレンジしてみます。


ちょっと自分の学力の話とかするのでキモくなります。こういうの苦手な方は自衛してくださいすみません。私は自重せずアウトプットします。


私の学力がそもそもどれくらいなのか、それに対して「国語」がどれくらいできなかったのか。


私は実は難関といわれる国立大学に現役で合格しています。

大学受験はというと、センター試験では「国語」以外の点数の平均は8割前後、世界史にいたっては100点です。

しかし、「国語」は6割切っています。とても苦手です。国語以外で爆裂にカバーして大学受験を突破したある種の猛者だと自負しています。過去問でも最高点は150でそれ以上は出せなかったので、相対的に苦手であることは明らか。

とりあえず「国語」が苦手で受験で足枷になってたの伝わりましたかね。


そして、ずっと不思議だったこと。

二次試験の国語は悪くないんですよね。400点満点中の300点でした。筆記・論述タイプの国語では点が取れます。

そして、英語の長文読解はとても得意なんです。


二次試験の筆記・論述タイプ国語は悪くなかったことから、自分は選択式の国語が苦手であると仮説が立ちます。

選択式とはつまり「この中から正解を探せ」ということ。ムズ

この世に「絶対的な正解」なんてあるのかよって思いながら生きてる身としては生理的に受け付けられない問題形式だったのかな、と今振り返って思います。

逆に、こちらがウンタラカンタラこねくり回して論破論説する余地のある論述タイプの問題では自分の本領を発揮できていたのではないか。

そう、まるでこの記事のように自分の考えを述べる場では力が発揮できるのかもしれません。


そして、英語の長文読解はとても得意であることに関して。

これはつまり、自分の「読解力」に問題があるわけではないということを示しているように思われます。

ここで考えたいのが人間の「想像力」について。人間には「想像する」という諸刃の剣があります。想像できれば何だってできちゃう!な一方で、想像できないことはいくらやっても上手く行かないものです。

「英語」の長文読解問題では私に「想像させる」ようなことが少なかったように思われます。

その一方で、「国語」の読解問題って母国である日本産の文章を扱うことが多いですよね。日本産の文章は、日本文化や日本の価値観が大前提にあると思います。

ただ、私にはそれらがよくわかっていませんでした。日本文化や日本の価値観が想像できなかったのではと仮説が立ちます。


例えば、「太宰治は女性の内面を描くのが上手い!」と絶賛されているけど、私はそれを読んでも「ホエエ」と思うような人間で、「女性の内面」のエッセンスを読み取ることができなかった。

「日本の女性はこういうもの」みたいな、そういうのがわからないんですな。想像できないんだワ。


どうじゃろうか。

この世に「絶対的な正解」なんてあるのかよって思いながら生きてる身としては生理的に受け付けられない問題形式である国語の選択問題。

そして「日本の女性はこういうもの」みたいな、そういう日本文化や伝統的価値観が想像できないと読解が難しい国語問題

ん~~、やっぱりノンバイナリー/Xジェンダーだと苦手だろうな……と自分では納得いくんですが、どうじゃろうか。こじつけすぎ??


私がこれを考えるに至った経緯として、読書好きでたくさん本を読んでいるのに国語が苦手というコンプレックスがあるのです。

一般的に、読書が好きな人は国語の点数が高いっていうじゃないですか。

そしたら、私は読書が好きなのに国語が苦手なのは何でやねんってずっと考えてて。何でやねん何でやねん何でやねん。でも大学受かったわウケるガハハしかも文学部かよウヒィーやっぱ国語苦手で上手くいかんウケるガハハ。みたいなことをしていました。

ずっと説明が欲しかった現象について、自分のジェンダーで説明が少しできそうで嬉しいな。


もっといろいろ自分探ししていきたいですな~

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