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今年の夏はとんでもないくらいの酷暑だったから、少しばかり夜が涼しくなってエアコンをつけずに寝られるようになると、それだけで嬉しいものでほんのりとした幸せを感じられるようになる。この猛烈に暑かった夏のせいで、明らかに幸せの心理的なハードルが下がっているのを感じる。
過酷な環境下で我慢を強いられると、我慢を我慢だと感じずにそれが当たり前なんだと感じるようになるからである。人の慣れとは恐ろしいものである。
人間の心理的な防衛反応であるのだと思うのだけど、モノの見方を変えることによってストレスを減らしているともとらえれるけれど、ただ単に感覚が麻痺しているだけともとれる。それはそれでとても危険な感覚なのだ。
ブラック企業に勤めて毎晩遅くまで働き、終電生活を送っていると、たまに6、7時に帰れるような時はまるで長いこと刑務所に入れられていた囚人がシャバに突然放り出されたか、奴隷が急に解放されたかのような気分になる。
今まで、職場と会社の往復で、家には寝るためだけに帰っているような生活なのに、世間のキラキラしたアフターファイブ模様を目の当たりにして、いったい何をして過ごしていいのかわからなくなるのだ。(結局、一人でコンビニ弁当を買って家に帰るだけなのだが)
そうして、独りで飯を食べていると、なぜ自分はこんな生活をしているのだろうなあと(なまじ時間が空いているせいで)考えてしまうに違いない。
しかし、人間らしい生活ってなんだろうとふと考えたときに、「ああ、自分は生きているんだなあ、ありがたいなあ」と実感を持って感じられる生活であるような気がしてならない。
生と死は両極端だとすれば、死にギリギリ振りきれるところまで接近した者は、もしかしたら、振り子の要領で反対に限りなくギリギリのところの生を実感できるのではないかとも思うのだ。それがいいか悪いかは別として。
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