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1001_クソゲー

「というわけなんだよ」
「それはとんでもないクソゲーね」
「うん、まあ無理ゲーだよね」

僕がいつもYouTubeでクソゲーや無理ゲー実況専門の動画チャンネルを嬉々として見ているので、ゲームをしない妻もクソゲーやら無理ゲーやらの言葉を覚えてしまったので、そういったワードが言葉の端々に出てくる。

妙なものだが、実はこの言葉は非常に実用性に富んでいるので、あらゆら生活の場面で活用できること自体に驚いている。

「よく考えたら、人生ってとんでもないクソゲーじゃない」
「私もそう思うわ。ハードモードっていう人も多いわよね。あなたみたいに」
「そうなんだよなあ」

妻がまた違うワードを覚えているが、使い方は全く間違っていない。そう、間違いなく人生はクソゲーかつ無理ゲーで、僕の人生もこれまで軒並み体感ハードモードだった。

ギリギリ留年しないところで底辺大学は卒業できたものの、就活でメンタルやられながらも、新卒で入った会社は2年しないうちに「解散」してしまい、普通にニートになってしまった。その次に入った会社もブラックな職場環境で、病院で適応障害の診断お墨付きをもらった。

しかし、その職場で妻と出会い、意を合わせて一緒に退職した後は、お互いをフォローしあいながら、なんとかライティングやアフィリエイトブログといったネットの仕事で食いつなげている。

「仕事も、労働も、人生もクソゲー」
辛い時期には頭の中でそんなワードが飛び交っていた。どうやってこのゲームから抜け出すか、チートを使って人を出し抜いてズルでもしてやるか。そんなことばかり考えていたが、妻の存在は僕の人生の中で唯一の初心者救済要素なのだといってもよい。

「クソゲーでもやりようはあるもんだ」
ゲーム実況者も言っていたが、やりようはあるし、困難なほどにそれ相応の達成感と愛着やこだわりが生じる。何度、途中で投げようと思ったこのゲームでが、おかげでなんとかいまだに続けられている。

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