【R-18】ヒッチハイカー:第21話「どうしても南へ行きたいんだ…」⑲『伸田最大の危機!! 白虎の変身解除と戦闘からの離脱!』
「ぐぅわあぁーっ!」
「白虎さんっ!」
飛行中の白虎の背中に乗る伸田伸也は、突然叫び声を上げた白虎の身体が痙攣したかと思うと、飛行体勢を崩し始めたのに驚き、慌てて背中の毛皮にしがみついた。
「大丈夫だ! お前はしっかり俺につかまってろ!」
苦しそうな声で伸田に告げる白虎だったが、飛行する放物線の角度が変わり、着地地点へと向かっていた軌道までもが逸れてしまったのだ。
真っ直ぐに飛んでいた筈の、元の飛行軌道から徐々に右方向へ向けて逸れつつあるのだ…
つまりそれは、結果として『夕霧橋』の上に着地する事無く『木流川』に落下する事を意味するのだった。
「ダメだ! 落ちるっ!」
張り裂けそうなほど両眼を見開いた伸田は、眼下のヒッチハイカーの巣が張り巡らされた『夕霧橋』と、その下を流れる『木流川』を見下ろして絶望の叫びをあげた。
「くっ! ダメだ… 逸れた軌道を元に戻せねえ!」
翼でもない限り、それは不可能だろう… さすがの白虎も諦めの叫び声を上げた。
『俺は落ちても何とでもなる… だが、生身の人間の伸田は、この厳冬下で激流の川に落下すれば、数秒と持たずに命を落とすのは間違いない…
クソッ! コイツは絶対に死なせたくねえ…』
白虎は悔しさのあまり、鋭い牙でガリガリバキバキと歯ぎしりした。
自分の腹部を真下から直撃したモノが何だったかは不明だが、今もジュウジュウという音と白煙を発して黒い縞模様のある腹部の体毛と皮膚を溶かしながら焼き続けているのには、とっくに気付いていた。
だが、今の白虎にはそんな自分自身の身体の痛みなどは、どうでも良かったのだ。
伸田を死なせるわけにはいかない… 白虎が強くそう思ったその時だった!
「ブワッ!」
突然、放物線を描きながら落下中の白虎の右側の空間に、吹雪を切り裂いて凄まじい速度の何かが一瞬で飛び過ぎたかと思うと、その後を追うようにして発生した衝撃波が突風を伴って伸田を乗せた白虎の身体に押し寄せて来た。
「うわあっ!」
伸田が白虎の背にしがみつきながら叫ぶ。
その時、奇跡が起きた!
この衝撃波と突風により、白虎の身体が元の飛んでいた軌道へと押し戻されたのだ。
奇跡的に元の軌道へ戻った白虎の身体は、最初のジャンプの勢いを失いつつも、何とか真下にあるヒッチハイカーの巣を飛び越えた。
だが、当初想定していたよりも飛距離は短縮され、白虎が狙っていた『夕霧橋』を飛び越す事は出来ず、飛び立った時のアーチリブとは反対側に並ぶアーチリブの上に凄まじい勢いで着地…いや、落下したのだった。
それは、落下というような生易しいものでは無く、鋼鉄製のアーチリブの凍結した表面に激突したと言えるだろう。
「ズザザザザーッ!」
白虎の身体は激突しても、すぐに止まりはしなかった。
勢いが衰えて停止するまで激しく身体を擦られ続けながらも、白虎は四肢と腹部を使って衝突した際の衝撃を何とか和らげ、懸命に伸田の身体を護ったのだった。
「うっ、ううう…」
伸田は激しい衝撃は受けはしたものの、白虎の必死の努力によってショックから護られ、大きなケガをする事は無かった。
「びゃ、白虎さん! しっかりして下さい!」
「た、助かったぜ… あ、あの突然起こった衝撃波と突風のおかげで… ありゃあ、鳳の野郎の撃ったレールガンの砲撃だな…
へ、へへへ… みっともねえたらありゃしねえ… この白虎様が見事にやられたな… とにかく、相棒…お前が無事なら良かったぜ…
なあに、心配するな… ちょっとだけ休憩すりゃあ…こんなケガ… 何ともねえ…」
伸田を背中に乗せたままの白虎は、立ち上がる事無く横たわっていたのだが、ついに気を失ってしまったようだった。
「白虎さん! お願いだよ、白虎さん! 死なないで!」
伸田は白虎の背中から降りると、必死に白虎の大きな身体を揺さぶった。
息をしているし脈も感じられたが、白虎が目を開ける事は無かった。おそらく彼の言った様に、回復のための休息に入ったのだろう。
その時、伸田は奇妙な事に気が付いた。
気を失った白虎の、白地に黒い縞模様の剛毛に包まれた身体全体が大きく波打ち始めたのだ。最初は細かい痙攣を起こした程度だったが、やがて尻尾までが震え出した。
そして、白虎の身体にかけていた手を放して見守る伸田の前で驚くべき事が起こった。
全長3mはあると思われる巨大な白虎の身体全体が、ボーッと青白く淡い光に包まれ始めたのだ。
そして、見る見るうちに全身が青白い光に包まれた白虎の身体に変化が起こっていく…
なんという事か! 身体のサイズが縮んでいくと同時に、その虎の形態も変化し始めたのだ。それはまるで、CGで作られた映像を観ている様だった。
「こ、これは…どうなってるんだ? 白虎さんの身体が人間の姿に変わっていく…」
自分の目で見ても伸田には信じられない事態だったが、それはCGでは無く目の前で実際に起こっている現実なのだ。
白虎の姿が一人の成人男性の姿に変化し終わると、青白く淡い光を発していた身体の輝きはおさまった。
今、そこに横たわっているのは、身長は伸田よりも少し高い180㎝ほどだろうか… 色は浅黒く細身だが、ボクサーの様に贅肉の全く無い引き締まった筋肉質の身体をした男だった。
男は気を失って目を瞑ってはいるが、その顔は彫りが深く整った顔立ちで、鼻は高く筋が通った、一見したところ『いい男』と思われる顔の人物だと言えた。
「びゃ、白虎さんは人間だったのか…? そ、そんな事が…あり得るのか? 彼は獣人…? ヒッチハイカーと同じ怪物なのか?」
伸田の頭に様々な想いが駆け巡った。ここまでの追跡行で、自分を助け続けてくれた白虎が人間の変身した姿だったという事実を、目の当たりにしてもなかなか信じられなかった。
男の整った顔には目立った傷は無いようだったが、その胸から腹部にかけては無残にも赤黒く焼けただれたような有様を呈し、破れた筋肉からは折れた肋骨がのぞいている。
そして何よりも恐ろしい事には、白い煙を上げながら、今もって彼の肉体は溶け続けているようだった。
倒れた男の背中に雪が降り積もっていく…今は身体を吹雪から守る虎の剛毛は無く、ただの裸の人間の男なのだ。
「あの人は、あのままで凍死しないだろうか? それにしても、あの腹部の焼けただれた傷… あれは、ヒッチハイカーの真下からの攻撃を受けて… 僕は彼のお陰で、今無事でいられるんだ」
そうつぶやいて、攻撃して来たヒッチハイカーのいる方を伸田が振り返った時だった!
「うわっ!」
伸田に向かって、恐ろしい勢いの鋭い一撃が襲い掛かった。咄嗟に頭を下げる事で、伸田は何とかギリギリで攻撃を躱す事が出来た。
ヒッチハイカーが、伸ばした左腕のミミズの様な筋肉の束で出来た触手を、水平に薙ぎ払って来たのだ。その触手の表面は、ガードレールをも切断した硬質化した刃と化していた。
まさに間一髪だった。もしも伸田が頭を下げて躱すのが一瞬遅かったなら、切断された彼の首は宙を飛んで『木流川』の濁流に飲み込まれていたに違いなかった。
「その男…さっきの虎野郎だよな…? そいつ、俺と同じで元は人間だったのか… それで、そいつ…死んだのか?」
たった今殺そうとした相手に問いかける異常さを、ヒッチハイカーが自分で気が付いているのかいないのかは不明だったが、その真剣な声の調子では白虎(?)だった存在の生死が非常に気になるらしかった。無理もない。白虎はヒッチハイカーにとっては天敵の様に最も恐ろしい存在なのだろう。
「まあいい… 後腐れの無いように、そいつの首を切り落としてとどめを刺してやる。」
完全に伸田から倒れている男に関心が移ったヒッチハイカーは、そう言いながら硬質化して恐ろしい刃となった左腕の触手を真上に振り上げた。
「やめろーっ!」
「パーンッ!」
伸田がヒッチハイカーの左腕に狙い定めてベレッタを撃った。
「グワアッ! き、貴様! まだその銃を!」
射撃の名手である伸田が、数mの近距離で狙った的を外す筈が無かった。
伸田の放った『式神弾』は、見事にヒッチハイカーの振りかぶった左腕の触手に命中した。
鉄をも切り裂くヒッチハイカーの硬質化した触手に弾かれる事もなく、命中した『式神弾』は触手に穴を穿ってしっかりと食い込み、五芒星を刻んだ鉛の弾頭部は中で潰れて広がり、突き抜ける事無く触手の内部にとどまった。
「ギィヤアアーッ!」
絶叫を上げるヒッチハイカーの左腕が、『式神弾』の開けた穴の部分から青白い光を発しながら焼け広がり、徐々に灰と化していく…例のあの現象が始まっていた。
「燃える… 俺の腕が燃えていく!」
オロオロと慌てふためくヒッチハイカーだったが、前の経験を生かしてすぐに人間の形態を留めている右腕に握った山刀を大きく振るうと、左腕の触手を付け根付近でブッた切った。
ようやく安心はしたようだったが、ヒッチハイカーの顔は恐怖に歪み、吹雪く山中の厳寒の気候にも拘らず彼の身体の人間部分の皮膚表面は大量に発汗していた。これは彼の大きな焦りと、失った身体の部分を再生修復するのに要するエネルギーが少なくない事を意味しているのだろうか…?
そう言えば、山刀で切断された箇所の再生はすでに始まっていたが、伸田には再生する速度が以前よりも遅くなっている気がした。
「白虎さんには、絶対に手を出させはしないぞ。」
伸田は残弾が2発となったベレッタを構え、ヒッチハイカーに付けた狙いを放さなかった。
「き、貴様… まだその銃が使えたのか…? この虫けらが、よくも、よくもこの俺の身体に…」
ヒッチハイカーは悔しかったのだ。身体の部分部分を様々な生物の形態に変化出来、しかも不死身に近い再生能力を持つに至った自分の身体が、こんな虫けらの様なちっぽけな人間の発射した、さらにちっぽけな弾丸に焼かれる事が我慢出来なかったのだ。
だが、ヒッチハイカーは腹立たしい事以上に、ちっぽけな人間のちっぽけな銃から発射された弾丸が怖かったのだった。
ヒッチハイカーは伸田を睨みつつ、山刀で切断した左腕の断面を右腕で庇うように覆いながら、自分の作った巣の方へと後退りして行く。
横たわる白虎の傍で膝立ちで身構える伸田は、油断なく目だけを動かして、自分達がいる『夕霧橋』のアーチリブの隙間から見えている愛する静香の姿と、人間の姿に変身した白虎とを交互に見た。
「白虎さんが気を失った今、僕が二人を護らなきゃいけないんだ。鳳さんからもらった『式神弾』はあと2発しかない… もう1発も無駄に出来ない。」
そうつぶやく伸田の『ベレッタ90-Two』を握る右手に力が入る。
「白虎さんの言ってた、橋の向こう側の味方というのは期待していいんだろうか…? さっきは、飛行中の白虎さんの逸れた軌道を砲撃(?)の衝撃波を使って修正してくれたって事だけど…」
伸田は橋の向こう側に目を向けたが、彼にはやはり特殊光学迷彩を施された『『黒鉄の天馬』の機体を認識する事は出来なかった。
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「し、白い虎が人間の姿に変わった!」
『黒鉄の天馬』の『ロシナンテ』部の後部座席に乗る、SIT(Special Investigation Team:特殊事件捜査係)の島警部補が驚愕の叫び声を上げた。
「あの白虎は人間だったのか… お、鳳さん! ど、どういう事なんです! あれはいったい?」
島は口から大量のツバを飛ばしながら、目の前の運転席に座る鳳 成治に向けて叫ぶ。
「止めないか、島警部補! やかましいし、汚いぞ!」
飛んでくるツバをよけながら、鳳が後ろの島を叱咤した。
『ロシナンテ』の内部にいる二人は、それぞれ目の前の液晶モニターに映し出された望遠カメラで撮影されているヒッチハイカーと伸田達の戦闘の様子を観ながら話しているのだった。
白虎が思った通り、先ほどのヒッチハイカーの真下からの攻撃で飛行を邪魔された白虎の飛行体勢と逸れた飛行軌道を、超電磁加速砲の極超音速砲撃によって発生する衝撃波を使って強制的に修正してのけたのだった。
この、まさしく神業ともいえる砲撃を行えたのは、鳳の的確な判断と『黒鉄の翼』を総合的に制御統制するAIである『スペードエース』の正確無比な射撃コントロールの賜物であったと言えよう。
おかげで、白虎は飛行軌道と体勢を立て直して『木流川』への墜落を免れたのだった。
「とりあえずは上手くいったが、千寿…いや、白虎は気を失ったようだな。
まあ、満月の夜のあいつに心配なんていらないがな…」
顔にニヤリと笑みを浮かべながらブツブツつぶやく鳳の言葉を聞いた島が、運転席のシートを両手で強く掴みながら言った。
「鳳さん。あの白い虎だった男、気を失ったんでしょうか…? それとも死んでしまったのか? 何とかならないんですか? あのままじゃ、一人になった伸田君が…」
「静かにしたまえ。白虎だった男は心配いらない。あいつはあんな程度で死ぬタマじゃない。
ヒッチハイカーを超電磁加速砲で吹き飛ばす事も簡単な事だが、この位置からだとヤツを粉砕した砲弾が直線状にいる伸田君まで巻き込んでしまう。
下手をすると君の恐れる『夕霧橋』そのものの破壊と、そうなれば皆元静香さんの命までもな…
伸田君… 今は君だけが頼りだ。だが、『式神弾』の残弾はあと2発…」
島は、そう話す鳳の口ぶりに自分と同じ焦燥感を感じた。
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巣の方に向けて後退していたヒッチハイカーは、伸田達から十数mの距離を置くと後退するのを止めて吐き捨てる様に言った。
「お、俺は貴様みたいな虫けらなんか怖くないぞ。シズちゃんをお前なんかに渡してたまるか…
貴様なんか溶けて死ね、この虫けらが!」
伸田に向けて突き出されていたヒッチハイカーのサソリの尻尾の先端から、罵倒する声と共に透明な液体が発射された。それは、飛行中の白虎の腹部を真下から襲った、あの猛毒を含んだ溶解液であった。
「ビュッ!」
まるで弾丸のように凄まじい勢いを持った透明な液体が、伸田に襲いかかった。
「くっ!」
無意識だったが伸田は左手に持っていた『ヒヒイロカネの剣』を自分の眼前に掲げた。
それは伸田の掲げ持った『ヒヒイロカネの剣』にヒッチハイカーの射出した毒液が当たった瞬間、それは起こった!
『ヒヒイロカネの剣』の刃が眩く輝く白い光を発したのだった。
「シュウーッ!」
伸田には何が起こったのか分からなかった。ただ、『ヒヒイロカネの剣』の刃の輝きがおさまった時に何かが蒸発する様な音と共に、白い蒸気が一瞬上がったかと思った途端、その蒸気は瞬時に吹雪に吹き飛ばされて消えた。
「何が起こったんだ…?」
これは、伸田とヒッチハイカーの双方の口から同時に洩れた言葉だった。
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「な、何が起こったんだ?」
ここにも同じ言葉を吐いた人物がいた。『ロシナンテ』の後部座席で液晶モニター越しに、伸田とヒッチハイカーの戦いを手に汗握りながら見守っていた島警部補だった。
「伸田君に渡した『ヒヒイロカネの剣』に、陰陽術で結界を張っておいた…」
島の疑問に答える様に鳳 成治がつぶやいた。
「あの結界は、魔界の者のいかなる攻撃をも中和し分解してしまう。」
「そ、それじゃあ…あの剣を使えば無敵じゃないですか。」
島が嬉しそうに言った。
「いや… 残念ながらそんなに上手くはいかないんだ。
あの結界は、相手から仕掛けられた攻撃に対する防御においてのみ作用するが、自分側の攻撃においては機能しないんだ。」
「そんな…」
ショックを受けた島が弱々しくつぶやいた。。
「だが、あの『ヒヒイロカネの剣』は、現在では失われし日本古来の超金属『ヒヒイロカネ』で作られた剣なのだ。硬度に関してなら、金剛石(ダイヤモンド)と同等だ。
陰陽術の力が無くても、この世に斬れない物など存在しない。」
「それなら、安心だ…」
後部座席で安心したように息を吐き出した島を振り返って、鳳が言った。
「だが、いくら剣が優秀でも使うのは人間だ。あの恐るべき怪物といえるヒッチハイカー相手に、『ヒヒイロカネの剣』を盾にして攻撃を躱しながらも、とどめを刺すためには『式神弾』をヤツの急所に撃ち込まなければならない。
あの足場の悪い鋼橋の上で、その至難の立回りを、君や私ならともかく、一民間人で武術の経験も無さそうな伸田君がこなせるかどうかだ…」
「そ、それは…かなり厳しいでしょうね。彼は射撃の腕前だけは私以上かもしれないが、剣道や体術となると…」
島の先ほどの安心は、いつの間にか吹き飛んでしまったようだった。
「だが、今さら変わってやる訳にもいかない… ここは、伸田君と千寿…いや、白虎に賭けるしかない。」
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伸田は先ほどのヒッチハイカーの放った毒液に対する防御を見て、自分の持つ『ヒヒイロカネの剣』に鳳が何か術を施したのだろうと理解した。
「この剣は、ヤツの攻撃に対して盾の役目も果たしてくれる… これなら、シズちゃんや白虎さんを護れるかもしれない。」
そうつぶやきながら、伸田が後ろで横たわっている白虎だった男を振り返った。
「なっ? 白虎さんがいない…? 川に落ちたのか…?」
そうなのだ。そこにいるはずの場所に、かつて白虎だった男の姿は無かった。
ついさっきまで、意識を失ったまま『夕霧橋』を支える巨大な二本のアーチリブのうち、一本のアーチリブの凍り付いた鋼鉄の面に俯せに横たわり、身体の背面に雪が積もりつつあった男の姿が、いつの間にか消えていたのだった。
「そ、そんな… 白虎さん…
この高さと、あの川の流れじゃ…いくら白虎さんだって、あの身体の状態で助かりっこない…」
伸田はアーチリブから身を乗り出し、50mほど真下を激しく流れる濁流と化した『木流川』を呆然と見下ろした。
「ノビタさん! 危ないっ!」
どこにいても、どんな状況でも忘れるはずのない愛する静香の叫び声に、伸田は間一髪の所を救われたのだった。
ヒッチハイカーが再び伸田に向けて毒液を発射したのだ。
即座に伸田は凍結したアーチリブの表面に倒れ込んで身体を伏せた。
伏せた伸田の背中の上を発射された毒液が通過した。さっきのままの姿勢だと彼の顔に直撃していただろう。
「ジュウウウーッ!」
伸田に躱された毒液はアーチリブの表面に落ちた途端、ブクブクと泡を吹き白煙を上げながら鋼鉄を溶かし始めた。白煙は吹雪で吹き払われるが、毒液による腐食は数秒ほど続いた。
その光景を見た伸田の全身に、悪寒が駆け巡った。
「あ、あんなのをまともに浴びたら…溶かされる! もう二度と油断しないぞ…」
伸田はヒッチハイカーから二度と注意を逸らせない事を改めて実感した。そして、唯一自分の身を護る盾となる『ヒヒイロカネの剣』をヒッチハイカーに向けて突き出した。
伸田の掲げた『ヒヒイロカネの剣』の銀の刃は、眩しいほどの白い輝きに包まれていた。
********
「ガタンッ!」
突然、『夕霧橋』から30mほど離れた地点で空中停止していた『黒鉄の天馬』が着地した。
「うわっ! 急にどうしたんですか?」
島警部補が突然の着地に驚いて小さな悲鳴を上げた。
「ガシンッ! ガシッ!」
着地に引き続いて『ロシナンテ』の屋根の上で二度大きな音がし、衝撃が伝わって来た。
「黒鉄の爪が『スペードエース』により強制解除されました! 『黒鉄の天馬』の合体解除! コンバイン終了!
『黒鉄の翼』が『ロシナンテ』より離脱し、飛び立ちました!」
車載型AIの『ロシーナ』の発する切迫した美しい女性の声が、鳳と島の乗る『ロシナンテ』の車内に響き渡った。
「ふっ… 合体の強制解除だと。まったく…スペードエースめ、独自の判断で自分の主人を救いに行ったようだ。まるで主に忠節を尽くす侍だな。困ったヤツだ…」
鳳が苦笑いしながら肩をすくめた。
合体を解除し、垂直上昇しながら光学迷彩機能も解除されたのか、文字通り真っ黒な色をした『黒鉄の翼』の機体が、白い吹雪の中にハッキリと姿を現した。
見よ!
直径6mはあろうかという二基の丸いローターガードに囲まれた可変角の回転翼を左右に大きく広げ、機体下部に三つの黒鉄の爪を備えた二本の黒鉄の脚を突き出した真っ黒なその姿は、まるで大空に羽ばたく黒鷲の様だった。
『黒鉄の翼』は垂直に上昇すると、ターボプロップエンジンで動く二基のティルトローターの角度を変えた。
「シュイーンッ!」
『黒鉄の翼』は、『木流川』の流れに沿うように下流に向けて飛び立っていった。
「ロシーナ! 追跡偵察型ドローン『ハミングバード』を射出して、ヒッチハイカーと伸田君の様子をもっと詳細かつ鮮明に中継させろ!」
「了解! ハミングバード発進!」
鳳の命令に『ロシーナ』が答えるのと同時に、『ロシナンテ』の背面に取り付けられているスペアタイヤのケースが真ん中から割れると左右へとスライドした。これは実際にスペアタイヤが入っている訳ではなく、ダミーのタイヤケースだったのだ。
タイヤケースが開くと中から高速で何かが飛び出して来た。だが、その物体は小さなサイズのくせに光学迷彩機能を備えているらしく、すぐに視認不能の存在と化した。このため、どういう形状の機体なのか『ロシナンテ』の車内にいる島警部補にも分からなかった。
『ハミングバード』は数個のプロペラを備えたドローンの割には、ほとんど音の聞き取れないほどの静音での飛行が可能らしく、光学迷彩機能と相まって、忍者の様に隠密裏に静かに誰にも気付かれる事なく、『夕霧橋』の中央部にあるヒッチハイカーの巣の上空へと近付いて行った。
隠密ドローン『ハミングバード』からの映像が送られて来て、『ロシナンテ』内の液晶モニターにくっきりと映し出された。
『木流川』にかかる全長333mのアーチ橋『夕霧橋』を巨大な放物線を描いて支えるアーチリブの上で対峙する、伸田と体長7~8mもある蜘蛛とサソリを合わせた様な怪物と化しているヒッチハイカーの両者の姿を、『ハミングバード』に搭載された複数のカメラが鮮明に捉える。
歯を食いしばる伸田の表情や、彼の身に着けるボディーアーマーの切り裂かれた箇所までがハッキリと視認出来た。
両者共に10mほどの距離を保ち、相手の出方を計りながらも、互いに自分から簡単には手を出せずに身動きもままならない膠着状態に陥っていた。
「ロシーナ、PS(Passenger seat)砲のスタンバイだ。それに、バンパーミサイルもいつでも撃てる様に準備しておけ!」
「了解。」
『ロシーナ』の返事と共に『ロシナンテ』の屋根のサンルーフが開き、助手席がせり上がっていく。そして、『ロシナンテ』の左右両前輪の前部バンパー部に10cm四方ほどの開口部が開いたかと思うと、中から小型ミサイル射出筒の先端が数cmせり出して姿を現した。
小型とはいえ、この『バンパーミサイル』は一発で戦車を破壊し行動不能にする事の出来る対戦車ロケット砲だった。『黒鉄の翼』が離脱し、超電磁加速砲を使えなくなった今、『ロシナンテ』の最大の破壊力を持つ武器だった。
一発でも直撃すれば、『夕霧橋』そのものが破壊され崩壊してしまうだろう。
もちろん、鳳もなるべくならミサイルを使用したくないのは言うまでも無かったが、ヒッチハイカーに『夕霧橋』を渡らせ『醐模羅山』に逃げ込ませる訳には、絶対にいかないのだった。
********
「ギギギ… 虎野郎は川に落ちてくたばったようだな。
お前も早くあきらめて、いいかげん楽になったらどうだ? その忌々しい銃と剣を捨てたら、命だけは助けてやる。どうだ?」
そう言ったヒッチハイカーは余裕を見せる様に薄笑いを浮かべてはいたが、その目だけは真剣そのもので、片時も伸田から視線を離さなかった。いや、離せないのだろう…
「お前は、僕からたくさんの大切なものを奪った。白虎さんもそうだ… 彼は懸命に僕を護って戦ってくれてたんだ。その白虎さんまで… お前だけは絶対に許せない…」
伸田はヒッチハイカーを強く見据えながら、一語一語噛みしめる様に言うと、最後に心からの叫び声を上げた。
「シズちゃんを… 僕の愛する女を返せ!」
伸田の叫びを聞いたヒッチハイカーも負けずに叫び返した。
「シズちゃんは俺のモノだ! くたばれ、小僧!」
「ドドドドッ!」
叫ぶと同時に膠着状態を先に破ったのは、ヒッチハイカーのサソリの尻尾から吐き出される猛毒溶解液のマシンガンの様な連続発射攻撃だった。
「いやあぁーっ! ノビタさんっ!」
橋の天井部分に吊るされながら戦いを見つめていた静香の甲高い叫び声が、吹雪の吹き荒れる『夕霧谷』の周辺一帯に響き渡った。
【次回に続く…】
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