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私の不倫日記:10章「見られたっ!」

 ポケベルの合図の後、彼女から夜の電話がかかって来た。いつもの二人でする深夜のラブコールだ。

私が電話に出て開口一番、彼女が言った。
「あのな…セイジさん、見られてん…」

これだけで何の事か私には分かった。
「ええっ! 誰に見られたん?」

ヨーコが言う。
「私の友達。女子高時代からの…。」

私はパニックを起こしそうになり、立ち上がった。
「だっ、大丈夫なんか?」

ヨーコは私の反応に少し笑って言う。
「大丈夫。彼女は私の親友やから、誰にも言わへんよ。」

私は少し安心して腰を下ろした
「何か言われたん?」

ヨーコは私に聞かれるままに答える。
「うん、彼女がな、『昨日、二人で手えつないで歩いてるとこ見かけたで。』って電話してきた。」

私は先が気になって仕方が無い。
「それで?」

ヨーコは苦笑して答えた。
「彼女が『あんた何やってんのん、誰やの、あの人!』って。
あの子、私の旦那だんなも知ってるから…
それで私が『今あの人と付き合ってるねん』って言うたん。そしたら彼女は『アホな事やめとき! 何考えてるねん!』て怒ってた…。」

私が苦笑しながら彼女に言う。
「まあ、普通はそう言うわな… それでどうしたん?」

ヨーコは毅然きぜんとした声でハッキリと答えた。
「言うたったよ『ほっといて! 私は真剣なんやから。』って。
そしたら彼女『アホッ! あんな男のどこがええん? 大ヤケドするでっ!』
 それで私は、『あんたの忠告はありがたいねんけど、あの人は私の大事な人やねん。』て言うたん。
 最後は彼女、ため息ついて『知らんで、どうなっても…。忠告はしたで。』ってあきらめてた。」

私はヨーコの話を聞いて感動してしまった。
「その人が正しい…
でも…ありがとう、ヨーコ… そんな風に友達に言うてくれたん、すごくうれしいわ…」
目の前にいない彼女を、私は今すぐ抱きしめたくて仕方がなかった。

私の目には涙が浮かんできた…

ヨーコは笑って
「私は自分の気持ちを正直に言うただけやもん。
それに、あの子にはホンマの事聞いといて欲しかってん…
 あの子も私にとって大事な友達やねん。一番信頼してるから本気で私に忠告してくれてた。
見られたのが彼女でホンマに良かった…」

私はヨーコに言った。
「今度からは気を付けよな。
…でも、ホンマは楽しかったんやけど…」

ヨーコは我が意を得たりとばかりに嬉しそうに言う。
「そやろっ! 私もめっちゃ楽しかってん…
でも…やっぱり危ないよね… うん、気を付けよ。」

その後も二人の長電話は続いた…

 このひと時は、私の最も幸せで大切な時間だ。いつまでもヨーコの声を聞いていたかった。

 だが、私にとって女神の様に心地よいヨーコの声を聞いていると、いつしか私は受話器を耳に当てたまま眠ってしまったようだった。

「セイジさん! ちょっと、起きてるん?」

彼女の呼びかける大きな声で、私は目が覚めたようだ。

「ご、ごめん… ちょっと寝てしもてた…」

ヨーコは笑いながら私に言う。

「そやろ、私が一生懸命しゃべってんのに、セイジさん、ちっとも返事してくれへんねんもん。ホンマ、腹立つなあ。」

私は頭をきながら、目の前にいないヨーコに頭を下げていた。

「ほんまにゴメン。大好きなヨーコの声聞いてたら、気持ち良くてつい…寝てしもた。」

「ええよ、そんなん。セイジさん、仕事で疲れてるんやろ。もう電話切ろか?」

そう優しく気遣きづかって言ってくれるヨーコに私はあわてて言った。

「いやや、そんなん。もっと、ヨーコの声聞いてたいもん。もう寝えへんから、もうちょっとだけ話そ。今度は座って電話するから。なあ、ええやろ。」

と、私はヨーコに必死で懇願こんがんする。

「もう… しゃあないなあ。もうちょっとだけやで。」

 と言うわりには、ヨーコの声は嬉しそうではずんでいた。その可愛さに私は自然と笑顔になる。後はとりとめの無い話が続くだけだが、この時間が二人にとっては大切なひと時だったのだ。

ようやく、ヨーコが話すのに満足して電話を切る頃には日があらたまっていた。

 二人とも欠伸あくびをしながら、お休みの挨拶あいさつをして、最後に「チュッ」と言い合って名残惜なごりおしくも電話を切った。

 ヨーコとの電話を終えた後は、私は電話台に戻す前に必ず受話器を見つめてしまう。まるで、そうしているとヨーコからの電話が再びかかって来るかの様に…

 しかし、彼女からの再度のラブコールが無いのにようやくあきらめがついた私は、ため息をつきながら受話器を電話台に戻した。

 この幸せな電話が切れた後の喪失感が、私はたまらなく嫌だった。不倫をしていて、電話であれ逢瀬おうせであれ、相手とのつながりが切れてしまう瞬間が一番つらかった。
 これは普通の恋愛とは比べ物にはならないだろう。なにせ相手は他人の配偶者なのだ。次に二人がえるのがいつの事なのか分からない。
また、本当に逢えるのだろうか…
不安で不安でたまらない気持ちを、常に抱き続けなければならない。

 なんと因果な恋愛関係なのだろうか…

 不倫は足搔あがいても足搔あがいても出口に手の届かないアリ地獄の様だと私は思い、ヨーコの顔を思い浮かべて切なさに涙が出て止まらなかった。

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