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私の不倫日記:15.5章「夢で抱きしめて…」

『電話する、すぐに出て』

 ポケベルのメッセージに引き続き、すぐにヨーコからの電話が鳴った。私は即座そくざに受話器を取った。

「よかった、セイジさんがすぐに出てくれて。」

ヨーコがうれしそうに言うのに対し、私は少し自慢気に答える。

「当たり前やん。ヨーコからの電話やったら、家の中のどこにおっても一番に出るで。」

「ご苦労様、いつも私から呼び出してばっかりでゴメンな。」

口調からヨーコが私の返事に喜んでいるのが分かった。

「気にせんでええよ、ヨーコの声を真っ先に聞きたいんやもん。だから急いで電話取るねんで。」

「フフフ… ありがと。そうや… さっきのセイジさんの言い訳作戦、上手うまいこといったで。それを報告せなあかんかったんや。」

 ヨーコが言っているのは、前章で私の立てた作戦の事だ。章は変わったが、この電話は同じ日の深夜のラブコールである。彼女は私の心配を気にして、早速さっそく電話をかけてきてくれたのだ。

「そっか、良かったなあ… 上手うまいこといって。あれからヨーコの事が心配でしょうがなかってん。」

「ごめんな、心配かけて。せやけど、旦那だんなから病院行けって言われたから、ちょっとあせったわ。でも、もう大丈夫って言うたら納得してた。」

 ヨーコは笑いながら言ったが、私は少し彼女の夫にうしろめたさを感じた。妻の不倫相手が、自分達の情事の言い訳に考え出したうそなのである。手放てばなしで喜ぶ訳にはいかなかった。

 ヨーコも同じように思ったのだろう、それに私の口調からも考えを読み取ったに違いない。私達はそれほど互いの心情を読み取れるほどの関係になっていたのだった。

「今度からは時間に気を付けるわ。元はと言ったら僕がヨーコの身体を求め過ぎたんが原因やからな… 僕こそごめんな。」

 私は心底しんそこからそう思っていた。ヨーコとの逢瀬おうせで彼女との会話を大いに楽しみ、互いが満足するほどのセックスを堪能たんのうするには、二人に許される時間はあまりに限られていた。
 
 それ以上を二人が、あるいはどちらか片方でも求めてしまうと、今回の様に危険な事態を引き起こすのだ。しかも、その危険は常にヨーコの側に付きまとう。私達は甘く考えすぎていた。

 不倫の二人に許される快楽には大きな代償がともなう事を、今さらながら私とヨーコは思い知った。一時いっときの快楽を得るために全てを失うのでは、あまりにも払う代償が大きすぎる。しかも、私の様な独身者よりも配偶者の存在する側がその代償を大きく負わねばならないのだ。

 私はヨーコに自身の分だけではなく、私の快楽の分までの十字架を背負わせる訳にはいかない。今回の事態は、今まで以上に二人に危機感を植え付ける事になった。

 不倫とは、いつも危険ととなり合わせの綱渡りの様な物だなと私は思った。二人そろってが望ましいが、二人のどちらか一方でも常に気を付けなければならない。二人ともが愛し合う事に夢中になり、おぼれすぎてはいけないのだ。

 今回の一件で、私とヨーコはあらためて思い知った。だが、やはり私はヨーコが恋しい。彼女もまた、そうであって欲しいと願ってしまう。

 私は彼女の夫よりも、ヨーコの事を愛しているという自信がある。だが、正式な夫婦は私ではなく、ヨーコとその夫なのだ。私に何の権利も勝ち目も無いのである。

 不倫の関係の私達二人は、日の光のもとで堂々と愛し合えない日陰ひかげの存在である。
 私はヨーコとかげでこそこそとっては、二人っきりで愛を確かめ合うしか出来ない自分の立場をのろった。そんな二人の関係をさびしく思い、切ない気持ちになった。

不倫はつらくて切ないものだ…と、私はつくづく思った。

「・・・・・さん、・・・イジさん、セイジさんってば!」

 ヨーコの声で私はわれに返った。どうやら私は起きていながら、自分の世界にひたっていたようだった。

「ごめん… ヨーコ… ちょっと考え事してたわ… ごめんな。」

 私はきっと、夢からめたばかりの様な態度だったのだろう。少なくともヨーコはそう感じたのだろう。彼女は私に言った。

「どうしたん、セイジさん… もう寝る?」

 心配そうにヨーコが私に聞いてくる。私は完全に自分を取り戻して、取りつくろうように彼女に言った。

「ううん、大丈夫やで。大好きなヨーコの綺麗きれい心地ここちええ声聞いてたら、ちょっとウットリとなってただけや。」

「何、あほな事言うてんの… 眠たかったら言うてな。明日も仕事やろ。」

 ヨーコは私を心配して言ってくれていた。私にとっては心地よく、まるで女神の様に耳に響く彼女の声だった。
 いつまでも聞いていたかった。出来る事なら私の耳元で、私のためだけにヨーコにささやいて欲しかった。

 ヨーコに好きな時に好きなだけい、自由に彼女にれる事が許されないのなら、せめて愛のささやきを私の耳にだけ聞かせて欲しい…そう願う私は我がままなのだろうか…?

「うん、眠たくなったらヨーコも寝て欲しいな。場所は別々やけど同時に寝たいねん。そしたら、ヨーコとおんなじ夢見れるやろか…?
 夢の中でヨーコにいたいなあ… それでデートしたいな… ヨーコと手えつないで歩くねん…
 そんで…キスしたい…ねん… ひっ… ひっく… ヨーコに… いたいよう… うう…」

「今日ったやんか。泣いたらあかん…セイジさん… 泣いたらあかんて… 私も一緒に寝るから… な。
 一緒にデートする夢見よ…な。せやから泣かんといて… 私ももう寝るで。セイジさんも一緒に寝よ…な。」

いつの間にか泣いていた私は、ヨーコに優しくなだめられていた。

「ごめんな…ヨーコ、泣いてしもた。大好きなヨーコと夢の中でデートしたいな。一緒に寝よ。手えつなぎたいな。ヨーコを抱きしめながら寝たいなあ…」

 表面的に泣く事こそ止まったが、やはり私は心の中では泣いていた。ヨーコの顔が見られないさびしさ、彼女に手を触れられない虚無感、いろんな感情が固定電話の受話器に当てている耳元に集約する。
 この電話の向こうの彼女の顔が見られたなら… 今でいうテレビ電話や写メが無かった時代、恋しい相手の声しか届けられない電話機をうらめしく思ったものだった。

「もう寝よ、セイジさん… 夢の中で私が抱きしめたげるから…
私の胸に顔うずめて寝かせたげる… おやすみ、私のセイジさん…」

 ヨーコが優しい声で私に言った。私はまたこみ上げてくるものを押さえながら彼女に返事をした。

「うん… おやすみ、僕のヨーコ… 君の胸で寝かせてな…
ずっと抱きしめてて… 僕が眠るまで…」

「うん、分かった… おやすみ、セイジさん…」

「おやすみ、ヨーコ…」

こうして二人の長い一日は終わった…

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