第3回 「わからない」まま模索し、進み続ける~近藤銀河さん~【前編】|マイノリティのハローワーク|現代書館
近藤銀河(こんどう・ぎんが)さん プロフィール
1992年生まれ。ライター/アーティスト/研究者、パンセクシュアル(注1)。
中学の頃に筋痛性脳脊髄炎/慢性疲労症候群(略称:ME/CFS、注2)を発症、身体障害者手帳(肢体不自由)2級、障害年金2級受給中。2023年から東京藝術大学・先端芸術表現科博士課程在籍。フェミニズムとセクシュアリティの観点から美術や文学、サブカルチャーを研究しつつ、アーティストとしてメディアアートなどの実践を行っている。
ライターとしては、雑誌『現代思想』『SFマガジン』『エトセトラ』、書籍『われらはすでに共にある──反トランス差別ブックレット』『インディ・ゲーム新世紀ディープ・ガイド──ゲームの沼』などに寄稿多数。2024年5月24日、初の単著『フェミニスト、ゲームやってる』(晶文社)が発売。
近藤銀河さんの症状と生活について
「マラソンを走った後のような」疲労感が常にある状態。また、じわじわとした痛みやブレインフォグ(頭に霧がかかったように考えがまとめられない状態)、めまいなどが日常的にあり、体調が悪くなるとそれらが悪化する。
生活においては疲労のために座り続けることや歩くことが難しく、外出時はリクライニングのある車いすで移動し、室内では杖を用いて移動する。一日の大半を横になった状態で過ごす。外出においてはひどく消耗するため、前もって予定を組む、予定の後には回復日を入れるなど、さまざまな工夫をして生活している。
病名が判明しないなか、独学で高卒認定試験に挑む
近藤さんの発症は2005年、中学1年生の頃のことでした。「マイコプラズマ肺炎にかかって、治っているはずなのに症状が消えなかったんですよね。でもそれが何の病気なのかわからず、1~2年入院していろいろ検査してあちこちの科にかかりました。今で言うコロナ後遺症の状況に近いかもしれません」と発症当時を振り返ります。入院、検査を経ても、近藤さんの病気が何かは判明しないままでした。
病名も対処法も不明瞭なまま入院や検査を繰り返すうちに、通っていた中高一貫校から「このままでは高校に進学できません」と言われてしまい、高校への進学を断念します。通常の方法で高校を卒業するのは難しくなりましたが、近藤さんは「元気になったら、大学に行きたい気持ちがあり、いろいろな可能性を残しておきたかった」ため、小学校での不登校や中学受験の際の独学の経験を元に、高等学校卒業程度認定試験(以下、高卒認定試験)の受験(注3)を決めます。不登校の子どもを育てる保護者達のコミュニティでは高卒認定試験は割と知られていたのです。
日常的な体調不良、机に向かうのも難しいなか、どのように受験勉強を進めていったのでしょうか。近藤さんが高卒認定試験に合格したのは17歳のときです。スマートフォンの普及はまだでした。座り続けられない近藤さんが選択した方法は、横になったまま河合塾や東進ハイスクールなどの大手予備校が出版している講義録をひたすら読む、問題集は寝ながら読み、回答はシグマリオンなどのベッドに持ちこめる小さなPC(現在のポメラシリーズに近い製品)を使う、というものでした。
近藤さんは「今はスマホやタブレットがあるので、寝ながらやれることも増えました」と語ります。技術や製品を工夫して使い、選択肢を増やしていたのです。
診断前も診断後も、厳しい状況が続く
高卒認定試験合格後、大学受験をしていた19歳の2011年、近藤さんに転機が訪れます。近藤さんの家族が新聞でME/CFSの患者会のインタビューを読み、「この病気ではないか」と当時住んでいた岐阜県から愛知県名古屋市まで診察を受けにいきました。発症から約6年、ようやく近藤さんの症状にME/CFSと診断がついたのです。
幸運なことに家から通える範囲にME/CFSを診察できる医師がいました。しかし、ME/CFSと診断がついても、身体障害者手帳の取得や障害年金の受給などの公的な支援につながるのは一苦労でした。ME/CFSで身体障害者手帳を申請する場合は、肢体不自由の診断書・意見書を使用するのですが、手足の可動域を中心に評価するためそのときは動かせるけれども継続すると大変疲れてしまうME/CFSの慢性的な疲労状態を評価できるとは言い難い様式になっています。医師の尽力があり、近藤さんは無事身体障害者手帳(肢体不自由)の2級を取得することができましたが、全国的にはME/CFSでの身体障害者手帳の取得はまだまだ少ないのが現状です。
また、ME/CFSは検査の値や原因遺伝子のようなマーカーがなく除外診断によって診断が下されます。他にもさまざまな壁があり、指定難病の要件を満たしておらず、制度のはざまで取り残されているのです。支援を受けるには障害者手帳を取得するのが一番ですが、それも難しく、指定難病ではないので、指定難病の患者として支援を受けることもできないのです。
「わかりやすくない」障害だから、想定されていない
「ME/CFSは“わかりやすくない”障害なんです」と近藤さんは語ります。車いすのマークや語感から想像するのは、車いすに“座る”人です。車いすと言っても、形状はさまざまなのですが、そのことはあまり知られていません。近藤さんは座るのも疲労につながるため、リクライニングの車いすを使用しています。
USJや東京ディズニーランドなどでは、障害があってもアトラクションを楽しめるようさまざまに工夫されています。しかし、その際に「こちらの用意した車いすに乗ってください」と出される車いすは決まって座る車いすです。座ることで体力を消耗してしまう近藤さんのような車いすユーザーはあまり知られていません。この春、合理的配慮が民間においても義務化されましたが、事業者が用意する対応方法はまだまだ不十分なことが多く、近藤さんはその都度自分で相手との交渉を行わなければなりません。
大学受験の際も、センター試験(現在の共通テスト)での合理的配慮を得るために近藤さんは個別の対応を求めてやり取りを重ねる必要がありました。近藤さんのようなケースは前例がなく、過去の受験生が使った支援内容をそのまま使うことは難しかったのです。その結果、別室受験、リクライニングの使用、休憩室の用意を依頼して、試験に臨みました。合理的配慮を必要としない受験者に比べ、受験勉強以外の書類取得や申請に時間と手間をかけさせられましたが、それでも近藤さんは2015年に大学入学を果たします。
「芸術の歴史を学ぼう」と考えた近藤さんが入学した東京藝術大学は障害学生支援の蓄積がそう多くはありませんでした。その上、ME/CFSの“わかりにくさ”もあり、入学後すぐ、受験勉強を頑張りすぎたことによる不調からの回復、大学側との調整のために1年間休学します。エレベーターのない建物、車いすトイレが遠いといった設備の不備は時間をかけて改善されていきました。
大学側は合理的配慮に消極的ではなかったものの、建物や制度を作る際に障害者の視点が入っていないがゆえのずれは生じていました。図書館の新館と旧館の間に階段があるのですが、そこに設置されたバリアフリー機器は都度職員を呼んで動かしてもらわねばならないものでした。「バリアフリーではあるけれど、使いづらいバリアフリーです。人に頼むのではなく、自分一人で使えるものがよかったです」
他にも、設備の不備が改善されるまでの間、同級生の友人達に手助けしてもらっていましたが、まわりの学生が手助けして何とかしていた状況は問題だと指摘します。民間でも合理的配慮が義務化された今、「型通りに対応するのではなく、こちらの要望を聞いてほしいです。また、何かを作るときは最初の段階から障害者の視点を入れる必要があります」と近藤さんはこれからの合理的配慮に求めることを挙げました。
【後編に続きます】