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第1回 発達障害特性に対処しながら、放課後等デイサービスで働く~長田耕さん~【前編】|マイノリティのハローワーク|現代書館

『マイノリティのハローワーク』第1回はご自身の発達障害特性に対処しながら、放課後等デイサービス(注1)で働く長田耕さんにインタビューしました。発達障害と一口に言っても、特性や困りごとはそれぞれです。しかし、自分自身の特性や困りごとへの対処法を見つけていく過程は参考になると思います。

長田耕(ながた こう)さんのプロフィール
大学の教育学部で初等教育(小学校と幼稚園)を専攻し、卒業。その後、別の大学の特別支援教育の免許が取れる課程に入学、卒業する。卒業後は小学校で特別支援学級の先生として8年間勤務する。小学校での勤務中に発達障害の診断を受ける。発達障害のなかでも、「広汎性発達障害」(注2)で、ASD(注3)とADHD(注4)が併発しており、不注意や衝動性を主としたADHDの特性が強め。小学校を退職後、就労移行支援事業所を利用して自身の特性や困りごとへの対処を身につけ、放課後等デイサービスを提供する株式会社Kaienに転職。現在は、放課後等デイサービスで発達障害特性や障害のある6歳から18歳までの子どもの支援に携わっており、勤務開始から5年目。


国見台という山の開けたところ。黒いバイクが泊っている。荷台には迷彩柄の大きなバッグがくくりつけられている。
長田さんはバイク旅行を趣味として楽しんでいる。

注1:放課後等デイサービス……2012年4月に児童福祉法に位置づけられた、発達障害特性やその他の障害を持つ、6歳から18歳までの子どもを対象にしたサービス。放課後や週末、長期休暇をそこで過ごしていろいろな活動を通し、子どもが自身の障害特性の扱い方を学んで、生活での困りごとを減らせるようなサービスを提供する場所。生活の話から進路相談まで、多様なニーズに対応する。
注2:広汎性発達障害……対人関係の困難、強いこだわりなどが見られる発達障害の総称。ただし、診断名としては古く、現在の診断基準(アメリカで採用されているDSM-5)では、自閉スペクトラム症(ASD)として扱われる。
注3:ASD(自閉スペクトラム症)……発達障害の一つ。主な症状として、対人コミュニケーションにおける困難、限られた分野への強いこだわりなどが挙げられる。その他にも、感覚が異なっているなど、人によって多様な症状を見せる。
注4:ADHD(注意欠陥・多動性障害)……発達障害の一つ。主な症状としては、不注意、衝動性が挙げられる。ASDをはじめとした他の発達障害との併発もあり、症状の出方は人それぞれである。

発達障害にうっすら気づいた大学生活

長田さんは、「人の気持ちがよくわからない」「人との関係がうまくいかない」ことに悩み、心理学を学んで人の気持ちとはどんなものか分析したいと考え、大学受験に挑みました。心理学部には合格できなかったものの、心理学(注5)、特に発達心理学(注6)を学ぶ機会のある教育学部に進学することにしました。

「(人との関係が)うまくいかないとはいえ、人と関わるのは好きで、教育学部は人に関わる仕事に繋がると思った」と語ります。しかし、長田さんにいくつもの困難が発生します。

長田さんは教育学部で初等教育を専攻しました。初等教育とは、小学校と幼稚園で教えるための教員養成課程です。小学校の先生は中学・高校の先生のように教える科目が決まっているわけではありません。国語、算数、理科、社会、そして音楽や図工、体育。全教科教えられるようにならなければいけないのです。

長田さんは音楽、特に楽器の演奏を苦手としていました。どうにか必要な単位は取ったものの、演奏のレベルは他の学生に追いつけるものではありませんでした。

楽器の演奏以上に、大学生活で苦労したものは人間関係でした。人間関係において、他者から拒否されると大きなダメージを受けてしまう特性ゆえに、人間関係がうまくいかなくなった際に、大学に行けなくなってしまった時期もありました。大学卒業までに7年かかり、最後の年は講義や卒業研究でアルバイトする余裕もなかったそうです。

教員養成課程では、発達障害について学ぶことが必修とされています。長田さんもそういった講義を受け、「もしかして、自分も発達障害かもしれない」と考えるようになりました。しかし、その時点では病院で医師の診断を受けることはしませんでした。「もうちょっと、診断なしで頑張ってみよう」と考えたのです。

注5:心理学……個人ではなく、人間の心の動きを分析していく学問。どのような分析方法を取るかで流派が存在する。「心理テスト」などとは異なる、れっきとした科学で、統計を用いて実験結果を分析することもある。
注6:発達心理学……心理学の一分野で、人間の心が年齢とともにどう変化していくのかを主に扱う。

小学校の教員はきつかったけれど……

大学卒業後に、別の大学の特別支援教育のための課程を経て、小学校の特別支援学級で働き始めました。

児童には慕われており、同僚にも児童に真摯に向き合う姿勢を評価されていましたが、突発的な事態に対処することや将来の計画を立てることが苦手で、やりにくさを感じていました。小学校は中学校以降よりも、急なトラブルが起こります。また、先生は授業をするだけでなく、教育計画も立てなければいけません。これは、6ヶ月後、1年後にどうなっていたらいいのかを考えていくものです。将来についての想像が苦手な長田さんには、計画を作るのは難しいことでした。

これらの苦手を抱えながら、退職前には朝6時半に出勤して、夜の8時や9時に帰宅するようなハードな生活をしていましたが、元々体力には自信があることもあり、児童のためと思えばモチベーションも上がり、働けていました。退職理由は先輩からのパワハラでした。こうして、長田さんは8年間の教員生活を終えることになったのです。

【後編】に続きます

雁屋優(かりや・ゆう)………1995年、東京都生まれ。生後数ヶ月でアルビノと診断される。高校までを北海道の普通校で過ごし、茨城大学理学部に進学、卒業する。卒業とほぼ同時期に発達障害の一つ、自閉スペクトラム症(ASD)とうつ病と診断され、治療しながら就職活動をする。病院勤務、行政機関勤務を経て、現在はフリーランスのライターとして活動。科学、障害に関するインタビュー記事、ジェンダー、障害、セクシュアルマイノリティに関するコラムの他、さまざまな執筆業務を手がけている。障害やセクシュアリティをはじめとしたマイノリティ性のある当事者が職業選択の幅を狭められている現状を、執筆活動を通して変えようと動いている。日本アルビニズムネットワーク(JAN)スタッフ。視覚障害者手帳4級、精神障害保健福祉手帳2級。


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