中世の本質(6)中世王の王権

 さて古代日本の説明は以上です。これから中世の主体である封建領主、分権制、主従政治を具体的に説明していきます。そしてその説明を通じて中世を精確に定義し、中世の始まりと終わりを明確に示します。それは中世室町時代死亡説の過ちを幾度も指摘することになります。その結果、上記にあげた三つの中世論はその根拠を失います。
 中世の国家支配の主体は封建領主、分権制、そして主従政治です。この三つは中世支配の三種の神器です。それら三つは中世のみに存在する中世固有のものであり、しかし古代にも現代にも存在しません。そして三つは頼朝の挙兵と共に誕生し、そして江戸末期まで一貫して存続し、慶喜の大政奉還と廃藩置県によって一斉に消滅します。それは数世紀に渡り不変なものであり、従って歴史を画す軸となる。
 先ず、支配者についてです。中世の支配者は武士です、精確に言えば封建領主です。彼らは(時代によって変動しましたが)日本には数十名あるいは数百名いました。彼らは大きな領地を所有し、多くの武士を従え、強大な武力を誇り、そして農民を支配しました。彼らは時代によって呼び名が変わりました。それは地頭、守護大名、戦国大名そして大名です。
 封建領主たちは仲間の封建領主から一人を選び、彼を中世王(武家の棟梁)としました。積極的であれ、消極的であれ、それは彼らの合意です。中世王となった者は頼朝や義満や秀吉や家康などです。つまり中世王は封建領主たちの仲間の一人であり、封建領主たちの代表です。
 それは古代王との決定的な違いです。古代の支配者は絶対者でありました。古代王は貴族たちの仲間ではありません、貴族たちの代表でもない。彼に並び立つ者はいないのです。
 さて封建領主たちは中世王に一つの特権を与えます。それは国土の分割、分与の権利です。本領安堵や新恩給付と呼ばれるものです。中世王は領主たちの土地所有を決定します、そしてその決定は言わば実力によって、すなわち領主たちの戦功や忠節を中世王が認定することによって行われます。
 土地の安堵はいつの時代でも必要不可欠なことであり、土地泥棒とそうでないことを公的に決めます。土地を得ること、あるいは失うことはしばしば生活にそして生存そのものにさえ影響するからです。
(飛鳥時代のように)古代王がすべての国土を占有する時代は土地所有の問題は発生しません。しかし荘園制が成立し、個人が土地を所有するようになると当然のことですが、個人の土地所有の認定が必要事となります。平安時代においてそれは古代王の権威の下で決定されました。
 中世になりますと状況は一変します。何故なら、中世世界には古代王のような絶対者が存在しないからです。封建領主たちが仲間の一人を中世王に選ぶ理由の一つはこの土地所有の問題を解決するためです。それは誰も侵すことのできない権威の創出です。領主たちがすでに支配している土地を彼らの所有であると認める盟主の創造です。
 因みに現代の日本で土地所有を認定する者は法務大臣です。彼は国民の合意の上の存在です。古代では古代王が国民の土地所有を決定し、中世では中世王が決定し、そして現代では法務大臣が行うのです。従って土地所有の認定者は支配者の仕事、あるいは支配者層の仕事であるといえます。そして中世の支配者は封建領主の合意の上に存在し、そして現代の支配者は国民の合意の上に存在します。

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